青:異常
ぽんぽん丸
青い爆発
「青:異常は割り切れない。色と状態は概念が違うから。カテゴリーと言い換えてもいいかも。相容れないのかも。
素数みたいなものかも。言語という同じカテゴリーにいながら共通項を持たない。7:37のような状態なのかも。
素数と言えばすべての自然数は素数の掛け合わせだから、この世のすべては素数でできていると言えるかも。
青と異常は割り切れない。他の言葉の対比も割り切れない。オレンジ:家も夏:米も、一見すると割り切れそうな冬:雪でさえ。つまり言葉はぜんぶ素数なのかも」
「7:37っておもしろいね。あおいくんらしい」
スマホ越しの彼女の言葉に私はただ赤面するのである。だけど声にこの赤面が震えとか、早口とかに変換されて伝わらないように注意して話を続けた。
「冬:雪は割り切れるんじゃない?冬は雪で割ったら暖冬で雪は雪で割ると1だから暖冬:1にできるかも」
彼女がはじめてだ。私がこういう話をするとみんな退屈そうな、眠たそうな顔をしてしまう。特に女性にこういう話をするのは罪だ。だけど彼女は話してくれる。
なのに結局、いつも私が先に寝てしまっても通話を切らずに、翌日私の寝息を聞きながら寝てしまったと言うのだから、私はいよいよ彼女をデートに誘うことにすると決めた。
そのためサークル内では私に彼女ができるかもしれないという話題で持ちきりである。
「あおいに彼女ができるんだから、やっぱり予言通り今年は何か天変地異が起きるんじゃないかな」とデブは言った。
「もし彼女が出来る度に天変地異が起きるなら主人公みたいじゃん。恋のはじまりと困難がセットなんてモスバーガーより気が利いてるよ」私がそう言うと、それもそうかという様子で何も言わずにお手洗いに行ってしまった。
デブは気の良い奴だ。素直に祝えないのも、大学に入ってから四六時中一緒に過ごしている私が離れてしまうかもしれない不安のせいもある。私はそう信じている。
「顔と性格以外は良い奴だから当然」
「サービスの良い極めて幸福な詐欺」
「男子大学生に恋人ができるのは統計データによる確率的に言えば妥当」
「ペアーズがすごい。ひいては出会うはずでなかった若い男女を引き合わせた通信技術の功績。人類の進歩の証明である」
10数名の男が長机にかけて、様々な角度の学派に分かれそれぞれの知見を交えて私の恋愛について考察を深めている。
「弁論ってモテないよな」
戻ってきたデブは部室のこの有り様を眺めて言う。
「なんだか心配になってきた。まだ付き合ってるわけじゃないし」
私もそのサークルの一部だ。デブは缶のコーラのプルタップを起こして、プッシュっと良い音を鳴らした。ついでに買ってきたみたい。
「お前に買ってきた。飲めよ」
そうしてデブは私の不安に答えなかった。私は缶のコーラを受け取ると不安を流しこむ。炭酸ののど越しと甘味で気分はよくなった。
講義室の大きな黒板とチョークが小気味良い音を立てる。ドュルーズ・ガタリについて書かれていく。昔気質の教授の退屈な授業はチョークのリズムのみが良いところ、と噂だったけど私は好きになった。だけど今日ばかりは集中できない。
よく考えてみたら、キモさもマッチングしている。青:異常の話を聞いて冬:雪が雪で割れるかもと答えてくれるのだから彼女もキモい。だから安心してしまってもいいのかもしれない。単にコーラの爽やかさと甘さが慰めたわけではない。信じていいのかもしれない。
どうやって彼女をデートに誘おう。まだ会ったことのない素敵な女性。彼女は私の寝息を聞いてくれる。なので私の事を好きかもしれない。そして私は彼女のことが好きだ。
殆ど間違いようのないこんな簡単な問題の答えがドゥルーズ哲学に見つかるはずがないのだからやはり今日は集中できない。いや恋の答えはどんな哲学書にも書かれていない。彼女と私の答えはどこにも書かれていない。ひょっとすると正解なんてないのかも。悩ましい4限目の講義はただ難解なまま過ぎて帰りのチャイムが鳴る。
「今度会いに行っても良い?私大学の近くまで行くよ」
「えっいいの…?」
そうか!彼女が誘ってくれる!こんな正解もある!ユリイカ!と電話口に叫ぶ代わりに、私はどもったうえに、くだらない返事をする。恒例になった夜9時からの通話時間に見つけた世紀の大発見に体中が熱くなる。きっとベッドに私の形に汗が沁み込んでいる。
「いいよ。下宿、大学の側でしょ?その方が長く一緒にいれるよ」
私が興奮で言葉が出ないでいると彼女は追撃する。
「会いたい」
まっすぐ。厄介な哲学が陳腐化して2度と見たくなくなるくらい魅力。偉人の知識の積み重ねを彼女は一言でごぼう抜き。
「俺も、会いたいです」
私はやっと外れた敬語でそう言った。「あんなにがんばったのにまた敬語」って彼女は笑った。そうして二人は会うことになった。
『私の恋愛』に関する議論は進み、各々の立場が明確になりいよいよサークルは二分された。肯定派と否定派である。
「やはり顔と性格以外はいい人間だからおかしい」「詐欺としか考えざるを得ない」
というのが否定派の主な意見である。いささか感情的だ。彼女のいない奴が多いことからも見てとれる。
「顔と性格以外はいい人も恋愛が出来る。そうでなければこれほどの人口生まれない」「言語と通信と反差別の結晶であり、人類の進歩として受け入れるべき」
肯定派は現実や数字を根拠にしているので説得力はある。だけど私を無視している気がして賛成派の方が数としては多いのだけど、本人としてはあまり嬉しくなかった。
部室を左右に分けて否定派と肯定派が議論は続く。デートまでの結論としては以下になった。
・否定派は詐欺や宗教勧誘に備え対応する警視庁のガイドラインを読み込む
・肯定派はデートがうまくいくようにサポートをする
というところでまとまった。うちのサークルのいいところは最終的には建設的な行動に落ち着くところだ。SNSの言い争いとは違って気持ちが良い。本人としてはすごく迷惑ではあるのだけど。
デブは肯定派だった。
「これ使ってくれよ」
デートの前日にそう言ってアスリートが使う酸素ボンベを1ダースくれた。マラソン選手がゴールして倒れ込んだ時に吸わされているやつだ。彼なりにデートがうまくいくように考えたアイテム。
「絶対息切れするからさ」
デブはそう言った。
私はそれまで気づいてなかったのだけど、急にそんなことを考えてしまう。わざわざ下宿先の近くに土曜日に来てくれる。私は顔を赤くしてしまう。鏡を見る必要もなく自分でもわかる。
「おいおい、やめてくれよ。俺にはそっちの気はないぜ」
妙にニヒルなセリフを言ってデブは次の講義に行ってしまった。
私は1人になってから、そんな時に酸素ボンベを吸う姿を想像してみて笑ってしまって少し冷静になれたから、良い贈り物かもしれないと思うことにした。
彼女は想像以上だった。アプリのプロフ写真はプロイラストレーターが描いたもので本物は5歳の子の絵くらい違うと聞いていたのだけど、どうやらきちんと写真だったようだ。解釈一致の素朴なかわいらしさのために、予約しておいた居酒屋の席に着いた今も直視できていない。
彼女はツッコミがうまい。ツッコミといってもコテコテのではない。改札から出てきた彼女に私がぎこちない「はじめましての挨拶」をすると、「はじめまして?ですか?」と言って首をかしげて笑って和ませてくれる。
ずっと彼女は会話をリードする。私は初デートだから哲学っぽい変な話題を避けてみたのだけど、「どうして37:7だったの?」だなんて話題を掘り起こす。そうしてここ1か月続いている毎日の電話と同じ調子の話にしてしまう。
私は彼女が好きだ。
そう感じてから写真とは違う、日本酒を飲んで顔を赤くした彼女の目を見てしまう。きっとコペルニクスがはじめて地動説に気付いた瞬間、こんな気持ちだったことだろう。
「ここから駅までどのくらい?」
「えっと…20分くらい?」
彼女は立ち上がって見せると、ゆらゆら揺れている。
「ちゃんと歩けないから、たぶんもう終電間に合わない」
「えっどうするの?」
「明日休みだし、だいじょうぶ」
彼女は座って残ったお酒を飲み干して、最後に残っただしまきの一切れを「もらっていい?」と聞いた。彼女が食べてしまうと私達のテーブルにはもう何も残っていない。
だいじょうぶらしい。私の頭は回転する。この速度なら太陽が中心であり、正円ではなく楕円軌道であることに容易に気付くことができただろう。
「ご注文いかがですか?」
よく気の利く店員さんがやってきた。
「だいじょうぶです」
彼女はそう答えた。
「あの、お会計お願いします」
そう言った私を見て彼女は火照った頬に手を当てながら微笑んだ。
「近いの?」
「10分くらい」
彼女は私に頭を寄せて歩く。私は肩に手を回したり、手を繋いでみたいと思いながらそこまでの勇気は出せずに、少し背の低い彼女の頭の重みが二の腕の辺りに感じることに幸せを感じる。
家についたら肯定派の後輩がくれた『中学生の頃に初めて買ったファッション誌』や『モテ術 2020』『君たちはどう話すか?』、といった不必要な本や、『モテそうな羽モチーフのシルバーっぽいアクセ』なにより『1ダースの酸素ボンベ』について、彼女にどう説明しよう。
静かな夜。都会から離れた田舎大学の近くは、電灯がところどころ照らしているだけ。田んぼや畑があったりするし、かと思ったら学生向けの絵本カフェなんかがある。
「あそこなに?」
白壁に水色の両開き扉。大きな丸い窓の外観に気付いた彼女は私に聞く。
「今度連れていってね」
私は次の約束をしてくれた彼女を電灯の下では直視できずに、切れ目の星や月だけが照らす暗がりでやっと顔を見ることができる。まるで月の美しさをそのまま映したような彼女の目をなんとか横から盗み見ることができるのだけど、当然彼女がこちらを向くと目をそらしてしまう。
「なに?」
「なんでもないよ」
ゆっくり進む時間の中を彼女を支えて歩いていく。
「なんか明るいね」
下宿先のアパートが近い。空が妙に明るい。
「なんだろうね?」
私は少し不安になった。この辺りは特に暗いのに。
「火事かな?」
わずかに聞こえるサイレン、彼女は何気なく言った。私がどうかなと不安げに言ってしまったから彼女も不安そうになってしまう。
アパートが、燃えている。まだ30メートル向こうだけど、あれは私のアパートだ。田舎の下宿が並ぶ細い道に消防車が3台、野次馬も、燃える我が家を囲んでいる。
「もしかして、あそこが、あおい君の家?」
私が立ち止まると、彼女はそう聞く。私は回答に困る。
あれは私の家なのだけど消防車が放水している。1.2.3…間違いない、私が住む103号室の窓は割られて直接放水が行われている。あれはまだ私の家と言っていいのだろうか?少なくとも今日はもう2人で過ごす場所ではなさそう。
私がやっと彼女の問いに頷くと、2人は何も言わずに燃えているアパートを見る。
「おいあおい!!あおいだよな!」
デブは近くに住んでいる。だから飛び出してきたみたい。
「無事でよかった!!お前の家の隣燃えてるぞ!どうすればいいんだ!」
デブは我が家を焼く火の手のような勢いで言った。心配と出来事でいっぱいの様子。私が聞きたい。どうすればいいんだろうか。
大きな爆発音が混乱を裂いた。1.2.3…あれは私の部屋だ。青い炎が噴き出した。オレンジの火を吹き飛ばして、確かに青い炎が私の部屋の窓から噴き出した。
―異常発生!!下がって!!
消防士の怒号が夜の喧騒に広がる。我が家を囲んでいた野次馬は怒号と悲鳴を喚きながら散り散りになる。屈強な運動部の学生も必死に走って逃げる。彼が横を駆け抜けた後には、焦げ臭いにおいがした。
脳裏には窓際に置いた酸素ボンベが浮かぶ。爆発を機に火の手はより強く広がりアパートを焼く。
「あれって、俺のボンベ…?」
デブもそう言ったからきっとそうだ。
彼女だけ、爆発にヒっと身を屈めてから飲み込めずにいる。それなのに私はどうすることもできない。デブもすっかり大人しくなって私の横で静かだ。
消化活動を呆然と眺めていると、私の手が握られた。
柔らかくて、熱い手。はじめて触れる彼女の手。早い鼓動が掌から伝わってくる。私は強く握った。彼女も、また強く握りかえしたからやっと言えた。
「だいじょうぶ、ぜんぶよくなるよ」
彼女はどうしようもなく頷いた。
「行く場所なかったらうちに来いよ。掃除しとくから」
デブは私達の繋がれた手に気付くと、帰っていった。
友の背中が遠ざかっていくのだけど、彼女は彼が誰か?聞くこともしない。私も説明しない。ただ繋がれた手の感触にふたり寄り合う。いつのまにかまた私の肩に彼女が身を寄せる。
―これが恋愛?
少なくとも対比でも、素数でも、哲学でもない。答えは彼女に聞いてもわからないし、どんな本にも見つけられない。だけど確かに私の心も、彼女の心も、繋がれた手に主体なく委ねられている。
青:異常 ぽんぽん丸 @mukuponpon
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