神殿への捧げもの

大濠泉

第1話 ウチの娘の好きなようにさせます。あんたは、つくづく強欲な爺さんだ!

 神聖王国レーラの首都バースには、有名な古代神殿がありました。

 そして、バースの民は例外なく、古くから守っている掟がありました。

『七つになった子供は、神殿にお参りに行かなければならない』ーーという掟でした。


 この掟に従い、娘を連れて神殿に参拝に来た、若い三人家族がいました。


 お母さんは、白装束に着飾った娘に、言い聞かせました。


「ナナちゃん。しっかり、神様にお祈りしないと駄目ですよ」


「どうして?」


「どうしても!」


 じつは、ナナちゃんの家族は、バースの街に先月来たばかりでした。

 行商で財を成したお父さんが、首都で店を構えることになったからです。

 ちょうど娘が七歳になったので、『郷に入れば郷に従え』をモットーに、新参家族ながら、バースの民として、神殿参りに参加したのでした。


 参道には様々な露店が並んでいました。

 神具やお供物だけでなく、肉や果物、さらには、お菓子や玩具を並べる店もありました。


 お父さんは気前良く、娘にリンゴやお菓子を買い与えてやります。

 結果、ナナちゃんは、上機嫌になりました。

 神殿が間近になると、ますますナナちゃんは大はしゃぎ。

 これほどの人だかりを見たのは初めてでしたし、同年代の子供が大勢集まったのを見たことも、これまでなかったからでした。


 気づけば、周囲にいる子供たちはみな、白い小物を大事そうに抱えていました。

 お母さんが、近くにいた男の子に、飴玉をあげながらきました。


「その白いモノは、なぁに?」


「おばさん、知らないの? 兎だよ。白兎。ほら、そこらじゅうの店で置いてあるだろ?」


 七歳の子供が参拝する際、白い子兎こうさぎを神殿に捧げるのが習わしになっていたのです。

 ナナちゃんの両親は知りませんでした。

 男の子のご両親から聞いた話によれば、昔は、実際に、生きた子兎を殺して腹をき、その血を神殿のご本尊であるバース神像に降り注いだといいます。

 とはいえ、当然、今では、そんな血生臭いことはいたしません。

 木彫りの兎を捧げる真似事をしているだけになっている、とのことでした。


 実際、神殿前で、木彫りの兎を売る店が立ち並んでいました。

 けれども、もうあらかた売り切れてしまっていて、棚には予約済みの兎しかない状態になっていました。

 ナナちゃんのお父さんは焦りました。


「まずいな。どこか、兎が残ってる店は……」


 結局、貧相な爺さんの店で、売れ残っていた子兎を買うしかありませんでした。


 しかも、「買う」というよりは、お金を払って「借りる」のが精一杯という有様でした。

 神殿で礼拝する子供の一家が、その店に金を渡して、木彫りの兎を手に入れ、それを神様に捧げます。

 もちろん、あくまで真似事として、です。

 そして、参拝を終えた家族から、その木彫りの兎を神殿から返してもらい、店がまた別の家族に貸してゆきます。

 そうして露店は収入を得ていたのです。


 わずかな小銭稼ぎですが、そうした神事に便乗した商売が、彼らの生活を成り立たせていました。

 お参りの時期になると、普段は木こりをしている多くの年寄りが、参道に店を出します。

 ナナちゃんのお父さんが子兎を「借りた」店も、そういった店のうちの一つでした。


 そうした事情もよく知らなかったナナちゃんのお父さんは、悪いことに、「自分は、不当に高く払わされるのではないか?」と思ってしまいました。

 足下を見られ、ぼったくられるのでは? と。

 木彫りの小物を「借りる」だけで、高すぎる金額を支払ってしまうのでは? と。


 でも、店の爺さんに押し切られてしまいました。


「だったら、他所へ当たってくれ」


 と、店のお爺さんに居直られてしまったからです。


 ナナちゃんのお父さんは、苦虫を噛み潰すような顔になってしまいました。

 お父さんが、ザッと周りを見渡しても、予約の札が貼られたモノばかり。

 売り出し中の子兎は、まるで見当たりませんでした。


 背に腹は替えられません。

 ナナちゃんのお父さんは、大枚をはたきました。

 露店の爺さんはお札を数えながら、念を押しました。


「いいですかい、ダンナ。

 コイツは捧げるフリなだけですよ。

 くれぐれも、お願いしますよ」


 ナナちゃんのお父さんは、さらに不機嫌になってしまいました。


「持って帰って来れば良いんだろ。

 わかったよ!」


◇◇◇


 神殿に入ると、すぐ正面に、神様をかたどった像がありました。

 その前にうずたかく、白い兎が積まれています。

 その兎の山の近くに、小さな鐘があり、子供が一人づつ、親と同伴で並んで、カンと叩いて、一礼するーーそれが、参拝作法のようでした。


 お母さんはナナちゃんと並んで、みなと同じ参拝をしました。

 そして、いったん捧げた木彫りの子兎を、再び持ち帰って来ました。


 その娘の姿を見てから、子兎の山を見渡して、お父さんは思いました。


(おかしいじゃないか。

 あの子兎の山を見ろ。

 神殿に奉納したままだ。

 ということは、他の参拝客は、俺たちのように子兎を「借りる」んじゃなくて、「買ってる」ってことだ。

 だったら、どうして、俺たちだけが返さなきゃならないんだ!?)


 しかも、悪いことが重なってしまいます。

 露店に子兎を返すのを、ナナちゃんが嫌がったのです。

 七つの女の子は、その木彫りの子兎を、家に持って帰りたい、と言い出したのです。


 両親は顔見合わせて、この子が気に入ったならいいか、と思いました。

 特に、お父さんは強気に出ました。

 露店に立ち戻りながらも、子兎を返さず、逆に苦情を入れたのです。


「おい、爺さん。

 神殿内には、兎の山ができるほど、たくさん子兎が積まれていたぞ。

 奉納しっぱなしってわけだ。

 ってことは、みんな、『借りてる』んじゃなくて、『買ってる』ってことだ。

 だったら、俺たちも『買った』ことにしてもらおう。

 俺も十分、お金を払った。返す義理はない」


 困ったのは、露店の兎売りのお爺さんです。


「ウチの店では、その兎一匹しかいないんだ。

 持っていかれたら困る」


 機嫌が悪いお父さんには、お爺さんの泣き落としは効きません。


「でも、高いお金を払ったんだから、この兎はウチのものでしょう?」


 お爺さんは、さらにすがりつきました。


「ウチの兎は特に霊験あらたかで……。

 ほんとうです、奉納するのは、あらかじめ予約して彫ったモノだけ。

 その、奉納した兎を神官様の手で下げ渡されたのを、ウチなどの店が貸してるんです。

 奉納されて、霊験あらたかな神具となってるんです。

 それをウチは貸して、返してもらう。

 そういった店で、売る店では……」


「知ったことか。

 俺が余所者だから、騙したんだろう!」


 ナナちゃんのお父さんは、せっかくの晴れの日に、露店の貧相な爺さんから文句を言われたことに腹を立てていました。


「ウチの娘の好きなようにさせます。

 あんたは、つくづく強欲な爺さんだ」


 お爺さんは、悲しそうにその一家を見送るしかありませんでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る