第8話「青く光る瞳」

「……頂きます!」


 海沿いのカフェに辿り着いたマイン達は、待機列に並び、店の中に入ると指定された席に座ってメニューを注文した。

 店内は大勢の客で賑わっており、店員は対応に追われて忙しく動き回っている。

 温かみのある木材で作られた床に、絶え間なく人々の足音が聞こえ、マイン達の目の前に次々と注文した料理が運ばれたのだった。


「……はむっ。んーっ、美味しいなぁ……。」


 数種類のキノコが使われたクリームシチューを頬張り、エディーは満面の笑みを浮かべる。


「マジで美味いな!ここのステーキ!肉厚で肉汁もたっぷりで……柔らかくて食べやすいし、デミグラスソースも良い味してやがるぜ……。こりゃ、人気になるのも頷けるな。」

「……ああ、味加減も食感も絶妙だ。シンプルでありながら、しっかりと調味料の味も魚の味も口の中で感じる。……水揚げされたばかりの、新鮮な魚を使っているのだろうか?」


 マインは分厚いステーキに噛り付き、クレールは鱈の塩焼きを少しずつ口に運んで食事に手を付ける。

 着々と食事が進むマイン達の姿を見ながら、レドは嬉しそうにステーキの一切れを口に運んだ。


「君達は本当に、美味しそうに食べるね。君達を見ていると、俺も嬉しくなってくるよ。この店の味は、気に入ってくれたかい?」


 そう言って笑顔を見せるレドに、マイン達は勢いよく頷いて相槌を打つ。


「おう!今まで店で食べたステーキの中で、指折りの美味さだぜ!まだ食ってる最中でも、また食いたくなる味だな。」

「うん……体も温まって、美味しい食事も食べられて……。良いお店を紹介してくれた医療施設の職員の方にも、お礼を言いに行かなくちゃ……。」

「それは彼らも喜んでくれるだろうね。紹介した店を気に入って貰えたなら、薦めた甲斐もあったというものだからね。是非、彼らが言っていたハーブティーも飲んでみてくれ。」

「ええ……折角ですので、頂きます。医療施設で頂いたハーブティーをもう一度飲むのも良いですが、違う香りも楽しみたいところですね……。」


 クレールはそう言いながらメニュー表を開き、飲み物のページをじっと眺める。

 マインは横からメニュー表を覗き込むと、メニューに記されたハーブティーの種類の多さに驚いた顔をする。


「へぇー、こんなにあんのか……。こりゃ、一回じゃ全部飲み切れねぇな。」

「そうだな……ハーブティーの飲み比べのために、食事がてら通ってもいいくらいだ。……よし、今回はこれにするとしよう。……すみません、注文宜しいですか?」


 クレールはメニュー表を見せながら、呼び出した店員にハーブティーの注文を告げる。

 マインは横目でそれを見つめた後、レドに向き直り、思い出したように口を開いた。


「そういやレドさん、ヒゥヘイムさんとはどういう感じで知り合ったんだ?古い友人同士なんだろ?」


 不意に思い出話を振られたことに、レドは少し驚きながら持っていたカップをテーブルの上に戻す。


「俺と領主様の出会い……か。話さないこともないが、話してもそんな面白い話ではないよ。」

「いや、単純に気になってさ……。レドさんとヒゥヘイムさん、本当に仲が良さそうだったし、どんな風に知り合ったんだろうなってさ……。もしかして……聞かれたくなかったか?」


 マインが気まずそうな顔で見つめると、レドは首を左右に振って微笑んでみせる。


「いいや、そういうわけではないさ。本当に、何気ないことしか語れないぞ?」


 レドは一旦前置きを挟んで俯き、考えるように視線を落とすと、当時の様子を思い出しながら顔を上げて語り始める。


「そうだなぁ……強いて言うなら、お坊ちゃまと悪ガキさ。」


 レドの言葉に、エディーは首を傾げて会話に混ざろうと問い掛ける。


「ヒゥヘイムさんは、領主の息子だから……っていうのはわかるけど、レドさんは……?そんな風には思えないけど……。」

「確かに、誰かを直接傷付けたりするほど悪では無かったさ。今の領主様の親が、先代の領主であったように、俺の親も狩人として働いていてね。街の外へ狩りに出掛ける親の姿を見ていた俺は、街の外には出るなと言われていたのに、その言いつけを破ってコッソリ抜け出してたのさ。俺の遊び場は、街の外だったくらいにね。」


 注文を待つ間、少しずつ食事に手を付けていたクレールは驚いて思わず口を開く。


「外には……生ける屍が居るにも関わらずですか……?」


 唖然とするクレールへ視線を移し、レドは困ったような顔で苦笑いをする。


「そう、生ける屍に襲われて死ぬかもしれないというのに……全く、今思うと、親は心配で心配で仕方なかったと思うよ。随分やんちゃで、親不孝の迷惑坊主だったのさ。……ただ、それのお陰で、領主様と知り合えたと言っても過言ではないのだけどね。」


 レドは一度顔を上げて虚空を見つめ、ヒゥヘイムと出会った時の光景を思い返す。

 マイン達は口を閉じたまま、その様子をじっと眺め——やがて、レドは目線を戻して話を続けた。


「……ヒュムと俺が出会ったのは、先代の領主様とヒュムが、近くの村を訪問しに行く最中の時だったんだ。ヒュムはあろうことか、先代の領主様や護衛のもとからはぐれてしまってね。森の中で独り彷徨って、帰り道もわからず、親のもとにも辿り着けないヒュムは森の中で泣いていて……そこを、森で遊んでいた俺が偶然にも見つけたのさ。初対面にも関わらず、ヒュムは俺の顔を見るなり安心したように泣き止んでね……。そんな状態のヒュムを放っておけなくて、森で迷子になった経緯を聞いて、一緒に先代の領主様のことを捜して送り届けたんだ。……それからは、頻繁に会って遊ぶようになってね……俺とヒュムの出会いは、そんなところかな。」


 レドは話し終えると、椅子にもたれ掛かって一息吐き、マイン達は姿勢を崩して噤んでいた口を開く。


「森で遊んでいたために、運よくヒゥヘイムさんを見つけられたということですね。偶然とは言いますが、お2人が出会ったのは必然では……とも思います。」


 クレールが顎に手を当てながらそう伝えると、レドは3人の顔を順繰りに見つめて言葉を返す。


「それを言うなら、君達もだろう?是非、君達が出会った時の話も聞いてみたいものさ。」

「うっ……確かに、聞いたのなら、こっちも言うのが道理だよな。……俺達には、登山っていう共通の趣味があるんだ。始めは、俺とエディーが山の中で出会ってさ……エディーが登山道の途中で酸欠気味になって、苦しそうに座り込んでたところに、俺が通りがかったんだ。介抱して一緒に山降りて、後日2人でまた登ろうって話になってさ、そこからお互いに連絡を取り合うようになったんだぜ。そうやって一緒に登る内に……2人で、とある登山隊へ志願しようって話になってさ。クレールとは……その登山隊で知り合ったんだ。話す内に、3人で妙に意気投合して、そっからは3人で会うようになったな。」


 マインの話を聞き終えると、レドはじっとしていた体を動かして楽な姿勢をとる。


「そうか……君達はそういった経緯で知り合ったのだね。共通の趣味で出会いを果たせるのは、それこそ運命的に感じるね。」

「……まぁ、登山で色々な人とすれ違ってきちゃいたけど、挨拶以外でちゃんと話して、ここまで連絡を取り合うようになったのはエディーとクレールぐらいだな。」

「私もだ。今まで何度も山を登ってきたが、山中で親しい間柄になったのは2人が初めてだ。……もともと、私の知り合いに登山家は居なかったからな。」

「俺も……兄さん以外とは、一緒に山に登った経験が無かったから……。……あの時、マインに声を掛けられたのには驚いたよ。」

「そりゃお前、道端で苦しそうにしてたら助けるだろ。そのまま放っておく奴がいるかっての。」


 マインは詰め寄るようにエディーに近付き、エディーは制止しようと両手を胸の前に上げて、掌をマインの方へ向ける。

 そんなマイン達を微笑ましそうに見つめた後、レドは思い出したかのように外へ視線を送り、再びマイン達に声を掛ける。


「……そうだ、つい思い出話に浸ってしまったが……君達の疑問を解消するために集めた情報の整理は、ゆっくり出来たかい?……と言っても、全部空振りに終わってしまったけどね……。」


 レドが申し訳なさそうに話すと、クレールは首を左右に振って返事をする。


「いえ……むしろ、何も得られなかったことが収穫にもなり得ます。ですから、レドさんが責任を感じる必要はありません。実は……先程3人で話をしていた際に、次に調べるべき場所について目星を付けておいたのです。私達が最初に倒れていた、あの古き王国の遺跡へ向かおうかと……。」

「……なるほど。確かに、君達が倒れていたという遺跡を調べる価値は充分にあるね。是非ご同行したいところだけど……そろそろ日が落ちて夜になってしまう。夜は生ける屍が活性化する時間帯だからね……。領主様が戻っておいでと言っていたから、もう一度領主様に会いに行って、今日はもう……この街でゆっくり休んで欲しい。帰りたいという想いを抱きながら、立ち往生するのはもどかしいと思うがね……。」


 レドのその言葉に釣られて、マイン達は窓から外を見つめると、日が落ち始めた空は薄っすらと宵闇に染まり始めていた。

 今日中に、帰るための道筋を見つけることは叶わなかった——そう実感したマイン達は再び俯き加減になるも、気を紛らわすように残った食事を食べ進める。


「……いや、こんだけ協力してくれてんだ。今日中に帰る方法は見つけられなかったが……それならいっそ、明日になるまで、この街を楽しもうぜ。あったけぇ人と美味い飯に巡り合えたんだし、楽しまなきゃ損ってもんだ。」


 マインの言葉に、エディーとクレールは顔を見合わせて笑みを浮かべる。


「……そうだね、これだけ良い街なんだから、少しは楽しまないと。」

「ああ、そうでなければ失礼というものだ。これから一時の間は、旅行に来た気持ちでリラックスしよう。」


 クレールは新しく運ばれてきたハーブティーを嗜みながら、デザートのカボチャケーキを味わって口に運ぶ。

 自身も食事の残りに手を付けながら、レドは安堵した表情で3人の様子を見つめる。


「……良かった、そう言ってくれると嬉しいよ。この街に住む一人として、少しでも思い出に残る体験があれば光栄さ。」


 それから4人は時折雑談を交わしながら食事を終え、立ち上がって受付の前へ赴くと、レドは銀貨を取り出して店員に支払いを済ませた。


「『メゾン・ド・ラメール』へお越し下さり、ありがとうございました。是非、またご利用下さいませ。」


 店員の一言を聞きながら海沿いのカフェを後にしたマイン達は、一度レドへ向き直りお礼の言葉を述べる。


「はぁ~、美味かったなぁ……。ありがとうな、レドさん!お陰で腹一杯になったぜ。」

「うん、本当に美味しかったよ。ご馳走様でした。」

「とても満足感のある、良いお店でした……。誘って頂けただけでなく、お支払いまでご厚意に甘えてしまって……本当に、ありがとうございました。」


 1人1人お礼の言葉を伝えるマイン達に、レドは満更でもないといった様子で笑みを零す。


「腹を満たせて、君達が満足そうに過ごしてくれて良かったよ。不安を抱える時こそ、美味しい物を食べなくてはね。……それじゃあ、さっきは通り過ぎてしまった店を軽く回りながら、医療施設に挨拶に行って、領主様のお宅へ向かおうか。」


 レドの言葉に3人は相槌を打つと、医療施設へ向かい、道中の屋台や店を軽く巡って少しばかりの旅行気分を味わう。

 エディーは屋台の串焼きや軽食用のパンケーキサンドイッチを食べ、マインは酒場で数種類の酒を貰い飲み比べをする。

 クレールはいくつかの店を訪れて雑貨類を漁り、特に気に入ったアクセサリーをペアで受け取ると、4人は海沿いのカフェを紹介した2人の職員に礼を伝えるため、医療施設を尋ねる。

 「美味しかった」と職員達に礼を伝え、医療施設から出たマイン達は、ヒゥヘイムとの約束を果たすために再び領主邸へと向かうのだった。

 陽もすっかり落ち、街灯が灯り始めた頃……4人は領主邸の前に辿り着き、扉をノックしてヒゥヘイムと対面する。


「ようこそ、いらっしゃいました。港での聞き込みは終わったようですね。」


 4人の顔をそれぞれ見つめて、ヒゥヘイムは笑顔を見せながらマイン達を迎え入れる。


「おう、終わったぜ。皆で手分けして聞き込みをしたから、結構な人数に声を掛けられたぜ。……ただ、俺達の国のことは誰も知らなかったけどな……。」


 徐々に目線を落としていくマインに向けて、ヒゥヘイムは残念そうに眉を下げて口を開く。


「そうでしたか……やはり、誰も知らないと……。私の方でも……先程お伝えしていた友人に話を聞いてみましたが、どちらの国も聞いたことが無いと仰っていました。家に貯蔵されている歴史書も漁りましたが、こちらも見事に空振りです。皆様のお役に立てればと思ったのですが……何も得られず申し訳ありません……。」

「いやいや、俺達も空振りに終わってんだし、気にしないでくれよ。」

「ええ。マインさんの言う通り、調査して頂いただけでも、充分嬉しく思います。マインさん達には既に伝えてありますが、何も得られなかったことが手掛かりの1つでもあるかと思いますので、どうか謝らないで下さい。私達のために……ここまでよくして頂いて、ありがとうございます。」


 クレールがそう伝えると、ヒゥヘイムは気落ちしていた心を持ち直して笑みを浮かべる。


「……ありがとうございます。そう言って頂けると、調べた甲斐があるというものです。しかし……今日はもう陽が落ちてしまいました。狭くて申し訳ないのですが、部屋を用意しますので、うちに泊まっていって下さい。ゲストルームとして、寝台が置かれた部屋がありますので。」


 ヒゥヘイムの提案にマイン達は驚き、口を軽く開けて呆然とする。


「……まさか、部屋まで貸してくれんのか……?世話になってる立場で言えることじゃねぇけど……レドさんもヒゥヘイムさんも優し過ぎるというか、随分とお人好しだぜ……。」

「ふふっ、言われてしまいましたね……。お人好し度で言いますと、レドの方が上かと思いますが……どうかお節介だとしても、受け取って貰えると嬉しいです。」


 ヒゥヘイムの言葉に、レドは「やれやれ」と呆れたように軽く腕を広げると、改めてマイン達に声を掛ける。


「それじゃあ、今日のところは俺も家に帰るとするよ。領主様が君達の宿泊先も兼ねてくれるようだしね。俺の家だと、3人分の寝床を用意するには狭かったから、どうスペースを確保したものかと考えていたところだったんだ。領主様が言い出してくれて、助かったよ。」


 安堵した様子のレドに向けて、マインはハッとしたような表情を見せる。


「……そうか、聞くことばかりに集中してて、寝床の確保とか全然頭に無かったぜ……そこまで気にしてくれてたんだな。俺達は野宿とか慣れてっからお構いなく……って言いたいとこだけど、この寒さの中を装備も無しに寝るのは凍えちまうし、外は生ける屍が居るしで危な過ぎるから、ありがたく部屋を借りることにするぜ。」

「ええ、是非そうして下さい。……あぁ、つい寒空の下で長話をしてしまいましたね。これ以上は体も冷えてしまいますし、どうぞ中へ……。ゲストルームはまだ空きがありますが、レドは泊まらなくてよいのですか?」


 玄関のドアを大きく広げながら、ヒゥヘイムはレドに向けて問い掛ける。

 レドは首を横に振って断りを入れた後、後退りをして玄関から少し遠ざかる。


「俺の家はすぐ近くじゃないか、泊まるほどでもないだろう?それに……一応狩りの仕事をした後だからね、家に戻って弓の手入れをしたいのさ。また明日、朝方に尋ねるとするよ。」


 誘いを断られたヒゥヘイムだったが、さほど気に留めることも無く頷いて了承した。


「そうですか……わかりました。では、明日の朝にレドが訪れるのを待っていますよ。」


 ヒゥヘイムが言い終わるのと同時に、マイン達は身を乗り出すようにして一歩を踏み出し、レドに改めてお礼の言葉を伝えた。


「レドさん!マジでありがとうな!今日はレドさんのお陰で、楽しく過ごせたぜ!また明日な!」


 「また明日……。」「ありがとうございました。」と、若干重なるようにして、エディーとクレールも感謝の言葉を告げて手を振った。

 レドは手を振り返して満面の笑みを浮かべると、4人に別れの挨拶を交わす。


「ああ、また明日。君達も領主様も、おやすみ。」


 レドはそのまま背中を向けて帰路に着き、マイン達はその背中を見送ると、ヒゥヘイムが3人を家の中へと招き入れる。


「……さぁ、部屋はこちらです。玄関を通ってすぐ左側に、階段がありますので……ゲストルームのある3階へ案内しますね。」


 ヒゥヘイムに誘われるまま、領主邸の階段を上り始めたマイン達は、2階を通り過ぎて3階へと足を踏み入れる。

 3階へと上ると、すぐ目の前には暖炉が据え置かれており、ゲストルームと思しき両扉には、リビングで目にした上品な装飾が綺麗に施されている。

 暖炉とゲストルームに挟まれる形で、なおかつ向かい合うような形で設置された扉の窓からは、ベランダの風景が覗き込んでいた。

 ヒゥヘイムはゲストルームの前で立ち止まると、慣れた手つきで両扉を開け、マイン達に中へ入るように促す。


「ここが、ゲストルームです。中の物は自由に使って頂いて構いませんので、どうかゆっくりお過ごし下さい。」


 通行の邪魔にならぬよう、扉の脇へ移動したヒゥヘイムの前へ赴き、マイン達は会釈をしながら感謝の意を告げる。


「悪いな、こんな良さげな部屋を用意してもらっちまって。ありがたく使わせて貰うぜ。」

「部屋の中に階段があるってことは、更に上の階もあるんだ……。広くてゆっくり休めそうだし、なんてお礼を伝えれば良いのかわからないな……。」

「お心遣い、痛み入ります。今日、私達が受けた恩は必ずどこかで返しますので、その時は是非、受け取って頂けると幸いです。」


 律儀にお礼を伝えるマイン達の様子を見て、ヒゥヘイムは思わず笑みを零して言葉を紡ぐ。


「……ふふっ、皆様は本当に律儀な方々です。お気になさらず……と言いたいところですが、そこまで言って下さっている気持ちを無碍にするのも失礼になりますね。その機会が訪れた際には、是非受け取らせていただくことにします。」

「ああ、そん時は遠慮せず受け取ってくれよな!」


 ヒゥヘイムはマイン達に向けて笑顔を見せると、3人がゲストルームの扉を潜ったことを確認し、扉の前に立つ。


「……では、皆様……おやすみなさい。」


 ヒゥヘイムが軽く頭を傾けながら就寝の言葉を掛けると、マイン達は言葉を重ねながら「おやすみなさい。」と返し、ヒゥヘイムは下の階へと降りて行った。

 ヒゥヘイムが階段へ向かう姿を見送った後、マイン達は両扉を閉め、改めて室内を見回す。

 ゲストルームには、荷物を収納しておける箱がいくつか置かれ、暇潰しになるであろう沢山の本が棚に綺麗に並べられている。

 室内を照らすランタンを頼りに上階へ赴けば、そこには清潔に保たれた3つのベッドと、白いテーブルクロスが掛けられたサイドテーブル、朝焼けの山や緑豊かな森を描いた2つの壁掛け絵画と、向かい合わせの長い木製のソファが整えられた状態で置かれている。

 すっかり陽が沈んだ外は暗闇に満ちており、マイン達はそれぞれが借りるベッドを決めて落ち着くと、寝るまでの間に軽い雑談を交わす。

 やがて、意識が微睡み始めた頃——マイン達はベッドへ横になり、疲労が蓄積していたようで、すぐに静かな寝息を立てて眠りへと落ちていくのだった。




 それから、しばらく時が経ち——皆が寝静まって僅かな街灯と月明かりだけが暗闇を照らす頃、マインはふと目を覚まして横たわっていた体を起こす。


(……あんまり夜中に起きることねぇのに、起きちまったな……。やっぱ、気にしないようにしてても気になるよな……日向……。)


 マインは心の中で、共に過ごしてきた親友——なぎさの名前を呼ぶ。

 突然、引き離されたことへの喪失感……自由に会うことも、連絡を取り合うことも出来ない焦りから、もどかしさに心を痛める。


(……少し、夜風にでも当たってくるか。)


 喪失感を振り払うように、マインは首を左右に振って顔を上げると、隣で寝ている2人を起こさないようにと慎重にベッドから降りる。

 しかし——不意に2人のベッドへ視線を移すと、寝ているはずのエディーの姿が無く、クレールだけが静かに寝息を立てて眠っていた。


「…………エディー?夜風にでも当たってんのか……?」


 マインはゲストルームを抜け、ベランダへ通じる扉を潜ると、優しく吹き付ける冷たい風の中、周囲を見回してエディーの姿を捜す。


「……居ない……。どこ行ったんだ?アイツ……。」


 妙な胸騒ぎを感じたマインは、2階……1階へと降りてエディーを捜すが、領主邸のどこにもエディーの姿は見つからなかった。

 マインは慌てて引き返し、3階のゲストルームへと戻ると、クレールの肩を揺さぶり、眠りから起こそうと試みる。


「……んっ、どうした……?マインさん……。」


 薄っすらと瞼を開けたクレールは、眠たげに目を数回擦り、体を起こしてマインの顔を見つめる。


「起こしちまって悪い……けど、エディーが居ねぇんだ!部屋のどこにも……ベランダにも、下の階にも!」


 両手を合わせて謝るも、慌てて説明するマインの様子に、クレールは微睡んでいた意識を起こして隣のベッドを見つめる。


「エディーさんが……?何故、一体どこへ……。…………!マインさん、あそこだ!」


 クレールは室内を軽く見渡した後、窓から街の様子を覗き込み、道沿いを西側へ歩いていくエディーの姿を見つける。


「アイツ……外か……!こんな時間にどこへ行くんだ……?取り合えず……追い掛けるぞ、クレール!」


 マインも同じようにして窓の外を覗き込んだ後、クレールと共に急いで領主邸を後にし、歩き続けるエディーを追い掛ける。

 ブラーヴシュヴァリエを通り、医療施設の横を通り……港の南側へ辿り着くと、そこには見張りも居ない、小さな木製の門が寂しく佇んでいた。

 門は少しだけ開いた状態になっており、2人は警戒しながら門を潜り抜けると、目の前には整備が行き届いた墓地が広がっていた。


「ここは……墓地か?墓の前に、ひとつひとつ花が添えられてて……大事にされているようだな……。」


 そう小声で呟くクレールの横で、マインはエディーの姿を捜して墓地の中へと視線を巡らせる。

 すると、エディーは墓地の中を歩いて東側に寄り、丘の上に続く階段を上って行った。


「……クレール、あそこだ。俺達も階段を上って、エディーを追い掛けようぜ。」

「ああ、この地で安らかに眠る魂には悪いが……奥まで踏み込ませてもらおう。見る限り、この墓地は砦の外にある……いつ生ける屍に襲われるか分からない。さっさと追い付いて、エディーさんを連れ戻すぞ。」


 マインとクレールは墓地の中へと踏み出し、丸石で整えられた道を走って階段を目指す。

 所々が白い柵で囲われた道を進んで階段の前へと辿り着くと、石製のレンガで積まれた階段には点々と街灯が備え付けられ、仄かに足元を照らしている。

 2人は転ばぬようにと気を付けながら階段を駆け上がり、丘の上に到着すると、眼前に広がる海を前にして佇むエディーに声を掛ける。


「エディー!!どうしたんだ、こんな時間に……1人で街の外に出るなんて危ねぇだろ!」

「生ける屍にでも襲われたらどうするつもりだ?登山ウェアを着ているとはいえ、このまま潮風に当たり続ければ風邪を引くぞ。……さぁ、ヒゥヘイムさんの家へ戻るぞ、エディーさん。」


 マインとクレールはエディーの背中へ話し掛けるも、エディーはすぐに答えることは無く、ただ海を眺めて佇んでいる。

 声が聞こえなかったのかと、2人がエディーに近付こうとした、その時——エディーはゆっくりと振り返り、マイン達の顔をじっと見つめる。

 振り返ったエディーの顔は——無表情に固められ、目は虚ろになり、瞳は青い光を放って暗闇の中で輝いていた。

 月明かりに照らされた海と、満天の星空を背景に立ち尽くすエディーのその姿は、どこか人ならざる気配を感じさせる神秘的な光景として映り、マインとクレールは思わず口を噤む。




「…………巻き込み、たく……なかった……のに…………」




 静寂を破るようにして呟いたエディーの言葉に、2人は驚いて咄嗟に反応する。


「その台詞……生ける屍に襲われる前にも呟いてたよな……?」

「巻き込みたくなかったとは……一体、どういうことだ?エディーさんは……何かを知っているのか……?」

「なぁ……何か知ってるなら教えてくれよ、エディー…………いや、そもそもお前は、本当にエディーなのか……?」


 微動だにしないエディーの異様な雰囲気を感じ取り、マインとクレールは戸惑った様子でエディーに問い掛ける。

 エディーは相変わらず、2人の言葉を聞き取れているのか怪しい状態のまま、少しの間を開けた後……僅かに口を開き、言葉を紡ぎ出そうとする。




「そこで何をしているんですか。」




 エディーの口から声が発せられるより前に、マイン達は背後から何者かに声を掛けられ、慌てて後ろを振り返る。

 振り返った先には——街灯に仄かに照らされながら、3人のもとへゆっくりと近付く青年の姿があった。

 青年は剣と盾を携えており、後ろで束ねた赤い髪を揺らしながらマイン達に近付くと、ある一定の距離を保って立ち止まり、紫色の瞳にマイン達の姿を捉えて睨み付けた——。


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