無限の蟲窟

成れの果て

第1話

 鉛玉を食らって顎のなくなった人間の死体が横たわっている。裂けた腹からピンク色の腸がニュルっと出ていた。


 寒い季節は腐敗の進行が遅くてありがたい。死臭に誘われる死に蝿も少ないし。


「シケてんなぁ。ロクなもん持ってねえじゃねえか」


 死体を漁りながら男が悪態をついた。


「まさか死んでから漁られて文句を言われるなんて、夢にも思わなかったでしょうね。死んでるから夢なんて見ないでしょうけど」


 私は目の前でしゃがみ込んで死体を漁る男を皮肉った。


「間違いねぇな。翠の言う通りだ」


 男は鍛えすぎて筋肉隆々の背中を小さく振るわせて軽く笑った。そして、物色を終えると、手を合わせ、死体の見開いたままの目を優しく手で閉じた。


 閉じた死体の瞼が、すぐに元通りに開いた。


「バカヤロウ! 閉じねぇのかよ」


 男がまた悪態をついた。この男はどこまで死体に文句を言うつもりなんだろう。


「響が慣れないことするからでしょ」


 呆れた態度が伝わったのか伝わっていないのか、響は立ち上がると「次の獲物を探すか」と仕切り直した。


 乾いて冷たい風が、遠くの火薬と鉄の焼ける臭いを運んでくる。


 どこまでも果てしなく広がるスラム街、蟲窟では、小規模な抗争から地区規模の戦争まで、所々で争いが起きている。そして、争いが起これば私たちのような商売を生業とするもの達が湧く。まるで死臭に誘われて群がる死に蝿のように。




 物心ついた時から、私はこの男と旅をしている。


 情報を得たら戦地へと赴き、死体から武器や金品を漁る。そうやって手に入れた獲物を売って生計を立てる。強烈に泥臭くて血生臭い商売。


 そして、常に死と隣り合わせである。


 遠慮のいらない剥き出しの死と、血肉と火薬の臭いに酔う。幼かった私は、それが恐ろしくてたまらなかった。だけど、それが日常であり、生きる術だった。


 幼い頃に響に拾われ、翠と名付けられてから、私は今年で十五歳になる。長年そんな生活を続けていると感覚が麻痺する。


 慣れとは恐ろしいものだ。


 私たちのような商売を生業とする者を、世間では蜚蠊とか、死体漁りと呼んで忌み嫌った。


「よく聞け、翠。俺らは武器商人だ。危険を冒しながら汗水垂らして苦労の末、手に入れた商品を捌いてる善良な武器商人だ。人を騙して儲けてる奴よりよっぽど善良だと思わねえか?」


 耳にタコができるほど何度も聞いた口上だ。 自身の行いを都合よく正当化しているだけにしか聞こえない。だから、よほどの暇人でなければ死体漁りなど無視する。汚物には蓋をして無視する習わしである。だけど時々絡んでくる奴もいる。輩から軽蔑の言葉を吐かれるたびに、この男は私に向かって得意の口上を吐く。


 言いたい事は分かるけど、分かりたくなかった。だから私は響をはかる言葉で返す。


「善良な商人なら、何で嫌われるのかしら。死体漁りなんて、呆れるほど真っ当な商売とは思えないけれど」


 自分も含めてだけど。


「僻んでんだろ」


 私はこの男が大嫌いだった。


 そんな男と、私は蟲窟で旅を続けている。






 季節は冬。


 時折、遥か遠くで銃声が響いている。


 この場所は静かなものだ。なんせ死体しか転がっていないのだから。


 冬はいい季節だ。


 死体の腐りが遅いから臭いもマシだし、それに蝿が少ない。寒ささえ我慢すれば、これほど仕事がしやすい季節はない。


「響」


「んな、お前、師匠と呼べっていつも言ってんだろ」


 吐く息も白く、響は不満を口にした。


 四十代にしては鍛えすぎるくらいに筋肉隆々とした大柄な男が、十代半ばの少女に対して不満を垂れるなんてどうしたもんか。


「どうでもいいわよ。それより、他を探索してくるわ」


 響の訴えを適当に去なす。


 目ぼしい死体を漁り終わった私は、別行動を提案した。


 この地区は広そうだ。二手に分かれた方が効率も良いだろう。


「オーケー。俺はもう少しこの辺りを漁ってからそっちに向かう。一人で平気か? 気をつけろよ」


 響は過保護だ。それが本気なのか演技なのか、長年一緒にいるけれど今だに分からない。


 しかし、最近はどうでもよく思えた。


 私も成長したということか。


 曇天、冷たくて乾いた風が肌を刺す。シュッと冷たい何かが頬に触れた。


 雪だ。


 雪と共に遠くの血肉と火薬の焼ける臭いを孕んだ風が吹き抜けた。



♦︎



 この世界には二種類の生き物が闊歩している。


 人か、人以外か。


 人間も異形者も、形は違えど信仰心は似たり寄ったりだ。祈ったところで何になる? この地区には数え切れないほどの死体が転がっているというのに。


 なら、私たちのような一線もニ線も超えている者達はどっちなんだ? 恐らく答えは見つからないし、どっちでもないのかもしれない。


 教会の前で立ち止まった私は、そんな事を考えていた。


 はっきり言って、私は信仰心がない。この商売で生きている以上、自分の経験と勘だけが頼りである。形骸化した神に祈りを捧げるより、よほど健全で生産的な考えだと自負している。


「だからどうしたって話だけど」


 考えていたら独り言が漏れた。今の生活に不満がないと言えば嘘になる。だけど、生きていけるのであれば、私はこれ以上に何か求めようとは思わなかった。現状を維持することは健全で生産的である。


 だから、教会の中から声が聞こえなかったら気にも止めずに通り過ぎていただろう。わざわざ危険を冒してまで建物内に入る馬鹿は命がいくつあっても足りないのが世の常である。


 こんな燃えカスに成り果てた戦場において、生存者がいても別におかしくはない。上手く隠れていたのだろう。それでも、何日も隠れ切る事は不可能に近い。第一波である争いが鎮まると、第二波に私たちのような者が湧く。争いごとに巻き込まれて地獄を見るか、見つかってから地獄を見るか、飢えて地獄を見る前に自害するか、どちらにせよ早いか遅いかだけの違いしかない。


 結果は同じである。


 私や響は生存者と遭遇しても手を下したことは一度もない。多分だけど。でも、他の同業者達は違う。彼らに見つかれば問答無用で地獄への片道切符を握らされる。


 そんな生存者の末路を、私は嫌になるほど見てきた。だから、教会から子供の泣き声を聞いた時に、不気味な違和感を感じたのである。


「この地区に入って今日で四日目だから、この争いが起きてもう十日ほど経ってるわね……」


 響から聞いている情報を頭の中で整理する。


 今では幕が降りたように静まり返っているけれど、十日ほど前まではこの辺りでドンパチが起きていたのだろう。壁をエグる無数の弾痕や、破れた窓ガラス、足元に転がる真鍮製の空薬莢が争いの激しさを物語っていた。


 周辺に漂う火薬や血肉の臭いの薄さからして、銃撃が収まったのは六日ほど前か。ならば数日前に、この辺りは燃えカスに成り果てていた計算になる。


 そう考えると変だ。


 この規模の争いで十日も子供が生き残れるなんて有り得ない。ここに来るまでに何人かの同業者ともすれ違っている。あの飢えた奴らが獲物を見過ごすはずはない。運だけで片付くほど甘くないのが現実だ。


 考えていても仕方ない。


 強まってきた雪風を凌がないと凍え死んでしまうのだから、危険を天秤にかけるまでもなく答えは決まっている。


 教会内へ避難する方が健全で生産的だ。






 そんな事を長々と考えていたけれど、私はただ中へ入るのが怖くて躊躇っていただけである。


 一丁前な事を言うクセに、実際には怖くて一歩が踏み出せないのだ。


「一人で行くとかハードル高すぎでしょ……」


 降り出した雪は強さを増して、もはや吹雪である。


 響も今頃は避難しているだろう。こんな吹雪いている中を歩いていたら、それこそ凍え死んでしまう。


 考えていても仕方がない。


 覚悟を決めた私は、弾痕で蜂の巣になったドアに手をかけた。


 その選択が運命を大きく動かすキッカケになるなんて、その時の私は思いもしなかった。


 もし、その時ドアを開けずに素通りしていたら……そんな考えは不健全である。


♦︎




 縁は不思議だ。


 何がきっかけで始まり、いつ終わるかなんて分からない。


 私は十五歳――ということにしている。


 自分の本当の年齢が分からないからだ。物心ついたころから響と共にいる。親の顔も、自分の本当の年齢も誕生日も分からない。


 「お前を拾った時はたしか一歳くらいだったな、普通に飯食ってたし」と響は言っていた。


 響の事だ。強制的に食わしてただけじゃ無いのかと疑いたくなる。でも誕生日は毎年ささやかに祝ってくれている。


 毎年、日にちはバラバラだけど。


 それでも、私の名前を決めてくれて、毎年「おめでとう」と言ってくれる。


 大雑把なようで、案外そういうところは大切にしている。


 きっと、私も少しは似てきたのだと思う。


 縁なんてものに、意味を感じるようになったのだから。






 私は教会の扉を派手に蹴破って中に入った。


 流れ弾を喰らい、歪んで立て付けが悪くなっていたからだ。


 当たり前だけど、扉の向こうは礼拝堂だと思っていた。


 でも、


「ここって……」


 そこは薄暗い広間で、長椅子や机が四方八方に散乱して悲惨な状態だった。


 この様子だと、すでに同業者に漁られた後のようだ。


 外観は立派な教会だった。間違いない。でも、教会の中はまるで違っていた。


 そこは極端に窓が少ない空間だった。薄暗い空間に打ちっぱなしのコンクリートの床。独特の冷たさを感じさせるその内部は、まるで倉庫だった。


 表向きは立派な教会で中は倉庫。そんな偽装教会を、他の地区でも見たことがある。嫌な予感が頭を過った。


 ここは人買商の拠点だ。


 


 広間の奥、遠くて分かりづらいけど泣き声の主がいた。


 こちらに背を向ける形で小さく丸まって、肩を寄せ合い泣いている。


 散乱した瓦礫に注意を払いながら、私は慎重に奥へと向かった。


 やがて、三メートルほどまで近づくと、その姿もハッキリと分かる。


 やっぱり子供だった。粗末な布切れを纏った童女が二人、しゃがみ込んで泣いていた。


 違和感を感じつつも、私はそのまま距離を縮めようと一歩踏み出した、その時である。


「うっ……」


 その刹那、ムワッと強烈に鼻をつく糞尿の臭いにむせ返って足を止めた。反射的に鼻を覆い、思わず顔を歪める。


 部屋の中が薄暗くて分からなかったけど、二人の足元は黄土色した糞尿の海が広がっていた。この距離ならば、彼女らのお尻の辺りが排泄物で酷く汚れているのがハッキリと分かる。


 二人までの距離は二メートルくらい。このまま進めば、私は彼女らの糞尿で滑って転ぶ未来が見える。


 コンクリートの床は滑りやすいのだ。


 わざわざ他人の糞尿を踏む趣味はない。自分のも嫌だけど。


 数秒思案した結果、これ以上近づく事を諦めた私は、少し離れたこの場所から呼びかけることにした。


「ちょっと、アンタ達!」


 倉庫内に、私の声が響く。できる限り威圧的にならないようにしたつもりだ。


 数秒後、片方の童女は小さな肩をピクリと反応させて泣くのをやめた。私の張り上げた声に反応したのである


 そして、ゆっくりと私の方へと振り向いた。


 それにしても酷い臭いだ。蝿が寄り付かないのが不思議である。


 今思うと、私はこの布切れと糞尿を纏った二人をどうするつもりだったのか。別に何か考えていたわけじゃない。興味本位? 気まぐれ? わざわざ危険を冒すほどバカじゃない。ただ呼ばれたような気がしたのだ。でも、それは恐らく気のせい。


 人間は感情の生き物だって響が言っていた。理屈では説明できないことのほうが遥かに多いんだって。


 そんな私も人間だ。


 だから、そんな考えは振り向いた少女と目が合った瞬間に、遥か彼方へと吹き飛んでしまった。


 泣き腫らした童女の顔を見た瞬間、胸の奥で心臓がドクリと脈打った。私は、その理屈では説明できない姿に一瞬で頭に血が登り、思考が止まってしまった。


 体が強張り、金縛りのように動けなくなったのである。


 日に焼けていない肌は雪のように白く、年相応の幼い女の子だった。背中まで届く黒髪が、彼女の幼さを強調している。


 頭に生えた短い角と、首筋に走る百足の刺青のような痣さえなければ。


「……亡きの子」


 それ以上言葉が続かなかった。思考回路が渋滞している。


「おねえちゃん……だれ?」


 声を絞り出すように、泣き腫らした顔を私に向けて童女が言った。


 数秒の沈黙。


 私は言葉を探した。


「私は翠、行商人よ。あなた達に危害を加えるつもりはないから安心して」


 我ながら何を言っているのやら。今の私には定型的な自己紹介をするのが精一杯だ。


 情けない。


 ともあれ、自己紹介をしておくのは私の流儀である。


「すい……ぎょうしょうにん……?」


 問われてしばし考えた。


 亡きの子の童女は的を得ないような表情で私を見つめている。子供独特の、手応えのない反応に戸惑った。


 でも一応、危険人物ではないと判断してくれたみたいだ。その証拠に、今では少女は泣き止み、つぶらな瞳で私の顔をジッと見つめている。だからそういうことにしておこう。


 目が合ったまま、気まずい沈黙が続いた。


 私は子供が苦手だ。それに、亡きの子なんて与太話の類だと思っていた。でも彼女らは、おとぎ話ではなく現実に存在している。




 響が言っていた。この世界には、時々、説明のつかない「不具合」が生まれることがあると。


 暇を持て余した神の気まぐれか。


 それこそ馬鹿げた妄想である。


 適当な響の話だ。 私は、それを与太話だと思っていた。


 人間と異形者は、水と油だ。どこまで行っても交わることはない。 蟲窟の争いのほとんどは、どちらかの「瑕疵」が原因で始まる。 所詮は感情の生き物。互いを腹の底では忌み嫌っている。


 でも万に一つ、その理から外れた者同士が出会ったのなら……可能性はゼロじゃないのかもしれない。


 それこそ馬鹿げた話である。


 この世界は微妙なパワーバランスの上に成り立っているのだ。だから、共存はあっても共生は無い。


 それは、私らも例外では無い。




 黙っていても仕方がない。亡きの子とはいえ、相手は幼い子供だ。一応、護身用の武器も持っている。


 何かあれば対応はできるだろう。


「あなた達は何者かしら」


 私はできる限り、優しく話しかけたつもりだ。いつもの調子で詰めてしまったら、彼女は壊れてしまいそうな気がしたから。


 それほど、目の前で怯えている少女が儚く見えた。


 クソ垂らして動けなくなってるくらいだし。


「……わからない」


 ハァ……これは時間がかかりそうだ。まぁいいよ、どうせ外は吹雪いてるから出れないんだし。


 覚悟を決めて、私は黄土色の床へと一歩踏み出した。

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