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近江国石山寺。平素は穏やかなこの寺院に、数百の旗が立っている。
その一角。古びた小屋の中で、いかめしい顔つきの武者が数人集っていた。いずれも老いている。足利一門諸家のお目付け役たちである。
「ふうう。ひとまず、ここまでこれたな。」
「来れなかったら問題じゃろ。」
「しかしなあ。」
いずれも渋い顔を浮かべている。しわのせいで分かりづらいが。
「まったく。近頃の若いもんは・・・」
「わしらも言われたな、それ。」
隻腕の男が呵々と笑った。
「笑い事ではないわ。」
扉から一番離れた場所に座る禿頭の翁が吐き捨てた。瞬間、場が締まる。
「質の劣化が著しい。これでは御家を保てるかわからんぞ。」
苦々しげに首を振る翁に、周囲の者たちが同調する。
「うむ。ただでさえわれらの立場は苦しい。尊氏様の機嫌一つで家が断絶しかねん。」
「だというのに、若いやつらはなっとらん。」
「気骨が足りんわ。ぬるま湯につけすぎたな。」
殿村が嘆いた。
鎌倉府打倒は二十年前、中先代の乱・建武政権との抗争は十数年前。観応の擾乱が激しくなったのはここ一、二年。しかも急展開であったがゆえに前線の者以外には殺伐とした空気が届かなかった。家にいたものたちはなあなあの空気感で育ったままなのだ。若い者たちは、戦を知らないまま成長してしまった。
「うん?今川の若様は、気骨があったと記憶しとるぞ?」
気骨は、な。と隻腕の男が笑う。
「いいや。京に向かうは若さまではない。貞世様だ。次男のな。」
「ああ、知っとる。立派な馬に乗って居ったな。」
「おお!あの幼子か。あの馬は強かろう。」
「・・・馬は名馬だ。しかしなあ。」
「ふん。名馬に乗れるなら問題あるまい。馬が軟弱者を乗せるものか。」
「あの馬は、幼いころから貞世様が世話をしておった。それを覚えているだけじゃろう。」
「ほー世話を。見上げた心がけじゃ。」
「うちの若様にも見習ってもらいたいのう。」
「お主の若様はもう少し自嘲した方がよいなあ。」
「布団以外でも腰を使ってもらわなくてはな。」
どっと沸く一座を尻目に禿頭の翁が溜息をつく。気にかかった殿村がそばに寄った。
「のう。なにをそこまで懸念しておる?貞世様はじめ、各家の名代は歴戦とは言い難いが、目付役は皆熟練じゃ。なによりわしらが着くころには戦は終わっていよう。」
殿村の言葉に、翁は重々しくうなずいた。
「たしかに。わしらがおれば不測の事態もあるまい。そも、忠誠を示すだけの張りぼて軍よ。勝ちも負けもない。」
言葉を、切る。
「鎌倉を討ち、帝を廃し、わしらは新たな時代を築いた。しかしな、時をかけすぎた。時代に、かけすぎた。」
「・・・」
「昔を知る者たちが皆前線に張り付き、教育に力を注がなかったつけが回ってきておる。ろくな努力もせずにわめく者のなんと多いことか。悪辣な手段で他者を踏みにじらんとする者のなんと多いことか。」
殿村も感じていたことだった。あの
「それに比べて南朝方はどうだ。圧倒的劣勢に立ち向かわんとするその姿勢たるや、目を見張るものがある。」
「うむ。井伊殿はじめ、駿河の南朝方は見事と言わざるをえん。」
「奥州、駿河、吉野に九州。南朝方はいまだ各地に根を張っておる。これを打ち払うはわしらにあらず。若様方じゃ。」
殿村は今川家嫡男の顔を頭に浮かべた。齢20にも満たぬのに、酒のせいで常に赤らんだ、顔。
「うちの若様の締まりのない顔を見るたびに、取り返しのつかない過ちを犯してしまったのではないかと気が気でならん。あのざまで、新たなる時代を守っていけるのか・・・」
ふと見ると、一座の者の視線がこちらに集まっていた。
「雲が出てきたな。」
どんよりとした空を、翁は忌々し気に見上げた。
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