タイムロスマシン
やにーと
第1話 今夜はチョベリバ
憂鬱な会社からお盆休みを頂戴し、私は片田舎の激安アパートでシャーペンを握りしめ、ひたすらにエロ漫画を模写している。
谷口吾郎として生を受けて28年、自称聡明な常識人の私がなぜこんな奇行に興じているのか。
コミケに出兵する訳でも、夏の暑さに当てられた訳でもない。
それは3日前に夜中に晩酌用のお酒を買い行ったコンビニの帰り道まで遡る。
その夜の私はコンビニ袋を左手に、右手には半分飲み干した缶チューハイを持ち、片耳イヤホンで流行りの女性ボーカルの曲を聞き流し、上機嫌に私はアルコールと夜風のハーモニーを楽しんでいた。
夏の夜空を見上げると、ご先祖様が胡瓜の馬に乗って夜の星空を駆け巡っている姿が散見される。私は、人より早くアルコールの力を借りてご先祖様方の帰宅ラッシュを眺める。
楽しそうでなによりだ。
実のところ、もう既に半分意識がお酒様の力で天国に迷い込んでいる。雑踏に実る鬼灯の様に、自分の頬が赤くなっているのを感じる。
頬を撫でる夏夜の生暖かい風も今は心地よい。実にいい気分だ。
コンビニから少し離れて、街頭の数が少なくなってきた。お盆の里帰りで閑散とする天国で、炭酸の抜け始めたお酒様とバカンスを満喫しようとする私の意識を現実に引き戻すような不思議な日本語が聞こえた。
「おにさん、チョベリグ。地球の夏はあちゅいねぇ」
背後から平成を感じさせる舌足らずなカタコトの日本語が聞こえた。声の質からして、外国人っぽかった。
一瞬仲間内での会話かと思ったが、私の視界には人は居ない。背後の街頭が弱々しく照らす凸凹な田舎道に伸びている影は、私の影とまだ見ぬ後ろの1人分しかない。
先程コンビニで会計の為にイヤホンを片耳外し、イヤホンのノイズキャンセルが機能していない事を後悔した。夏の怪談番組は好きだが、いざ自分が当事者になると話は別である。
聞き慣れない謎の日本語を脳がいち早く危険アラートを鳴らし始める。声の主は夜道で他人と顔も合わせず会話を始める不審者か、はたまた夏の風物詩である幽霊か。
お盆の時期も相まって、変な妄想が膨らむ。
想像力豊かな私は背中に冷や汗が伝うのを感じつつ、若干左膝を震わせながら
「え、あ、暑いですねぇ」
と引き笑いで振り返らずに返事をした。
後ろの声の主が私以外の連れに話しかけているとしたら、私との会話は続かず、まだ見ぬ声の主とその連れに「ヤバいやつだ」とヒソヒソされて終わりだ。それを尻目に、目と鼻の先に迫る我が根城に戻れば済む。仮に幽霊だとしたら、返事をしたのは悪手かもしれない。
背中の傷は剣士の恥だと語る里帰り中の武士の皆様には申し訳ないが、夜道で他人様の会話に勝手に返事をし、背中に変人のレッテルを貼られる恥の一つや二つくらい今の私にとっては安いものだ。逆に喜ばしいまである。
深夜のスーパーでお惣菜に半額シールを貼られるのを待つ時の様な心持ちで、歩みを止めてそのレッテルを数秒待った。
しかし半額シールが貼られる気配もなく、しばしの沈黙も夏夜の虫達以外の会話は聞こえてこない。
その時点であの声の主は、私に話しかけたことがほぼ確定した。
今の気持ちを表すとしたら、不審者の言葉を借りるなら「チョベリバ」である。
その無言の数秒で私は少し冷静になり、ふと幽霊は見たくないが、不審者に背後を取られたままはマズイなと、妙に冷静になった。
なにより、返事をしたのに振り返らないのは失礼ではないだろうか。礼節を重んじる日本男児として、私はやむ無く振り返る。
そこには、色黒で筋肉質な黒人らしきおっさんが笑顔で立っていた。
私が振り向いたのを嬉しそうに手をフリフリしている。
相手の正体が視界に入り、おっさんの足の有無を確認し、私は胸を撫で下ろす。
笑顔のおっさんからは悪意は感じられない。
恐らく知り合いの悪意ある日本人から変な平成臭いカタコトの日本語を教わったのだろう。そのハイカラな日本語をレクチャーした日本人に恨みを抱きつつ、私は少し冷めた酔いにアルコールを一口継ぎ足した。抜けた炭酸が恋しい。
抜けたシュワシュワに思いを馳せつつ、日本に来る外国人の多言語習得の杞憂を感じる。
私は早々に会釈をもって、この異文化交流を切り上げ帰路を急ごうとした。
江戸幕府だって鎖国をしてたんだから、私が少し外国人に冷たくしたってお盆で帰省中のご先祖様も怒ったりはしないはずだ。
日本男児は恥ずかしがり屋さんなのだ。
そんな私の気も知らず、おっさんの会話は続く。
「お腹へた?」
そう言いながら、笑顔で八重歯を見せるおっさんは止まらない。
「えっ?」
一瞬フリーズする。なぜ今腹が減ったか私は聞かれているのだろうか?
と言うより、なぜ会話を続けるのだろうか。
私の鎖国は早くも失敗に終わる。
私が江戸幕府の役人だったなら、きっと現代の日本はキリスト教の国になっていただろう。
私は相手の意図は分からなかった。
もしかしたら相手も私と同じ天国でお酒様とバカンスの最中なのかもしれない。
きっとそうだと、私は自分に言い聞かせる。
酔っ払いに絡まれてるだけだとしたら、大した問題ではない。社会人6年目にして、数多の会社の飲み会の修羅場を潜り抜けてきた私からすれば慣れたものだ。
少し心の余裕が出てきた。もしおっさんの質問に答えるとするならば、今から自室で晩酌をする予定なので腹は減ってはいる。
だが今はそんな事はどうでも良い。それよりも私はふと、別の考えがふと脳をよぎった。
コレはもしや、おっさんの祖国流のナンパなのでは?おっさんは、もしや、男色か?
海外では、ゲイに寛容な風潮があると聞く。
もしこれがナンパの類ならば、私の胸を高鳴らせる事におっさんは成功している。
筋肉質なゲイのおっさんとの力任せなラブロマンスの可能性を踏まえ、先ほどから私の小さな心臓が絶えずハードなタップダンスを披露している。
そんな突飛な事を考えている私の気も知らず。
おっさんは、さらに続ける。
「ぷりぷり好き?ぷりぷり食べたい?」
ぷりぷりとは、何のことだろうか。
おっさんの母国の料理のことだろうか。
もしや、男色紳士達の何か隠語の類なのだろうか。嫌な予感がする。お酒様の魔力で浮ついた私の前頭葉ちゃんがアホな思考を巡らせる。
先程とは別の汗がおでこを伝う。
なぜだろう、こんな時ほど冷静になる。
私は断じて男色ではない。どちらかと言えば、ナイスバディなお姉さんが大好物である。
脳内の無駄な告白で恥を重ねつつ、私はクリアな思考を持って精一杯の返事をする。
「のーのー、ぷりぷり。ぷりぷりぶー」
よく理解しないまま、この不思議な会話を終わらせるべく私は拒否の気持ちを相手に精一杯の日本語で伝える。
おまけに腕で胸の前でバツを作ってジェスチャーも追加した。
果たして伝わっているのだろうか。
外国人に道を聞かれた時の、目的地は分かるが伝え方が分からない、あのもどかしさに似た感情を感じつつ、私はこの場をやり過ごす事に注力する。
そんな私の気持ちを察したのか
「まじ?あげぽよ。アリガトゴザイマスタ」
とカタコトの変な日本語を話しつつ、おっさんは私の会話終了の気配を察してくれた様だ。
私の脳内に幸せホルモンのセラトニンが滲み出る。
謎の達成感を感じつつ、能天気に帰路に戻ろうとする私に、笑顔でおっさんはコクコクお頷きながら右手を伸ばしてくる。
私が身構えて一歩下がる。
するとおっさんは、「え?」と言う顔をして止まる。どうやら、まだ平和な晩酌開始の目処は立たないらしい。
「ちょれダメ?」
と言いつつおっさんは私の左腕を指差す。
一瞬私がまだ小学生の頃に読んだ、体の一部をねだる幽霊の怪談話を走馬灯の様に思い出した。
私も自分の左腕に視線を落とす。
緊張ですっかり地球の重力を忘れていたが、私の左腕にはコンビニでの戦利品のつまみ達がレジ袋に詰まっていた。
「あっ、コレ欲しいの?」
私がレジ袋を指さすとオッサンはニコニコ八重歯を見せながら頷く。さっきまで、おっさんが、やれ男色だ、やれ幽霊だと無駄に身構えた自分がアホらしく感じる。
肩の力が抜けて、ほっと息をつく。
「わたしぷりぷりラブ。ぷりぷりダメか?」
とおっさんは私に、なお笑顔で語りかける。
普通は無視するところだが、おっさんの事をやれ怪異だ、やれ男色などと変な勘違いをした自分にも負い目はある。
何より、変な緊張から解放された達成感も相まって、人類の共通の友であるお酒様の相方のツマミをおっさんに分ける事にした。
今日だけ特別、国際のんべぇ同盟の証として特別にだ。
「一個ね」
とおっさんにも伝わる様に簡単な日本語で、右手の人差し指を立てて、笑顔でウィンクをする。
ツマミを取るために、あと少し残った缶チューハイを一気飲みして、戦利品の入った袋に詰め込みつつ、ガサガサと袋を漁る。
「やたー、おにさんいい人ね」
とおっさんはご機嫌で私が袋を漁っている姿を眺めている。
異国のおっさんは、何が好きなのだろうか。
さっきぷりぷりって言ってたから、この「たこわさ」が好きなのだろうか?試しにたこわさをおっさんに向けて差し出す。
「ほか、ほか」
とおっさんは首を振る。どうやら、たこわさはおっさんのお眼鏡には叶わなかったらしい。
ごめんな、たこわさくん。おっさんには失恋したが、君は私が家で美味しく頂くからねと、心の中で語りかける。
私の酔いも大分回復してきた気もする。。
おっさんとの異文化交流も少し面白くすら感じる。
「これこれ。ぷりぷり」
と言いつつおっさんが私の袋の中の三連プリンを指差す。これは酒のつまみというより、私が明日以降に食べようと買ったデザートである。
少し名残惜しいが、別にまた買えばいい。
おっさんに対する細やかなプレゼントだ。
「はい、これだけね」
とおっさんに三連プリンを手渡す。
おっさんはとても嬉しそうだ。
その笑顔を見ていると、きっと悪い人ではないんだろうなとなぜか安堵する。さっきまでの心のざわめきはどこへやら。
「まじちょべりぐ、あざがと」
変てこな日本語だが、おっさんが喜びは伝わってくる。
150円くらいでこんなに喜ぶおっさんを見ているとこっちまで少し嬉しくなってくる。
「じゃ、ばいばい」
と私がいい雰囲気のまま、夏夜の不思議な出会いにお別れをしようと、手を振って自分の根城へ振り返る。今日はいい酒が飲めそうだ。
「まてて、ちょちょい」
と背後のおっさんに呼び止められる。流石にこれ以上はあげれないなぁと邪推しつつ、再度おっさんに振り返る。もしや、ばいばいは世界共通では無いのだろうか。
振り返るとおっさんは、私に向かって白い何かを差し出していた。よく見ると、少し安っぽい時計っぽい何かだ。
「え?くれるの?」
よく分からないまま、私が尋ねる。
いくら安っぽいとは言え、プリンのお返しが時計は破格な気がする。
「そそ」
とおっさんは私に白い時計らしきものをグイッと胸元に近づけてきた。
さて、どうしたものか。
私は脳内会議で、取り敢えずおっさんの感謝の気持ちを受け取って、早く追加のアルコール様を根城で体内にお迎えしようと決定した。
「ありがとね。サンキューサンキュー」
と白い時計らしきものを受け取って、おっさんにお礼を述べる。
一応、プレゼントが余りに高価だと申し訳ないなと思い、薄暗い中で念の為に確認する。
よく見ると文字盤らしいところに、でっかく「6」の数字が書いてあった。
これは、恐らく時計ですらない。
謎のブレスレットみたいだ。
よく分からないが、多分高価なものじゃなさそうなので変に安心する。そんな私の安堵の表情を見て、おっさんは笑顔で続ける。
「まだつかえる。だいじしてね」
と言っておっさんは、私の根城とは別方向にプリンをニコニコと握りしめつつ、夜道に馴染んでいった。不思議な時間だった。
今度こそ私は、目と鼻の先の根城へ向けて歩みを進める。
おっさんから貰った、謎のブレスレットを右手で遊ばせつつ、さっきまでの感情の起伏を思い出して苦笑する。右耳がお留守なことを思い出し、ポッケに入れたイヤホンを再度召喚しようとしたが、このブレスレットが割りかし邪魔だった。
捨てるのは悪い気もするし、戦利品に混ぜるには少し気が引ける。
おっさんの故郷の幸運を呼ぶドリームキャッチャー的な物かもなと、楽観的に考えて試しに左手に付けてみた。
何が起こるわけもない。
ただのブレスレットだ。少し口角が上がる。
普通とは何で素晴らしいんだろうか。
空いた右手をポッケに突っ込みイヤホンを見つける。さっきまで、弱々しく聞こえていた女性ボーカルの曲が平面から3Dに聞こえ出す。
私の平和な夜が帰ってきた。
少し歩くと念願の我が根城に戻ってきた。
自室のドアを開け、足早に戦利品達を冷蔵庫に納品する。
先ほど失恋した「たこわさ」くんと本日2本目の缶チューハイを手に、リビングの座椅子へ向かい晩酌をついに開始する。
今日は不思議な夜だった。
追加のアルコールでお腹の辺りがポカポカする。少し暑く感じて、エアコンの温度を下げる。
ひと段落ついた時に、さっき左手につけたブレスレットを思い出す。
明るい部屋で、よく見てみると尚更安っぽい。これは100均産だなと思いつつ、指で6の数字をなぞってみる。
その時は、特になにも考えてなかった。
「サンキューご利用喜んで。残り6回楽しんで」
と馬鹿でかい声が両耳のイヤホンから突然聞こえた。ビクッと体全体がこわばって、目をギュっと閉じて座椅子からほんの少し飛び浮いた。確かに私は座椅子で飛び跳ねたはずだった。
数瞬の有人飛行から帰還した私はお尻に違和感を感じていた。座椅子がやけに硬い気がする。
覚悟を決めて恐る恐るぎゅっと閉じた右目だけ開けてみると、ぼやけた視界の先には人がいっぱいいる。何処かの教室っぽい気がする。
「うぇ?」
と割と大きめの間抜けな声を私が発すると間髪入れずに
「テスト中だぞ谷口。静かにしろ」
と声がする。何故か懐かしさを感じる。
私の頭は、パニックを通り越してフリーズする。今の気持ちを一言で表すなら何と言おうか。
チョベリバである。
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