断章 ヘリオとライ

まだ世界が歪む前。

コランダムの片隅、忘れられた古い屋敷で、日向の氏族の最後の末裔はひっそりと息を潜めて暮らしていた。

彼の名は、ヘリオ。彼は若き龍の王ライと、種族を超えた友情を育んでいた。


「…近頃、コランダムの宮廷の空気が変わった」


焚き火を囲みながら、ヘリオが憂鬱そうに呟いた。


「老王は病床に伏し、実権は北から来たスピネルという妃が握っていると聞く。彼女は『完璧な制御』を信奉し、古の不確かな力を次々と排除していると…」


「案ずるな」


人間の姿を取ったライが力強く言った。


「お前はここにいる。世界の目からは隠されている。俺が必ず、お前を守る」


ライは懐から対となる二つのムーンストーンを取り出した。


「これを、持て」


彼はその一つをヘリオの手に握らせる。


「この石が輝きを失わぬ限り、俺たちの魂は決して離れはしない」


二人は夜が更けるまで語り明した。いつか、龍と人が再び手を取り合う未来を。



翌年。

その静かな屋敷の重い扉を叩く者がいた。

女王スピネルからの使者。


扉の隙間からヘリオが目にしたのは、闇色の外套をまとったまだ若い男だった。その佇まいには、年齢にそぐわない冷徹な空気があった。


「コルヴスと申します」


男は名乗った。


コルヴス家――いつの時代もコランダム王家の影となり、その手を汚すことを厭わぬ、忠実にして危険な一族の名だった。目の前の青年はその血を引く者なのだと一目で分かった。


彼は一枚の手紙を差し出した。


『古の知恵を持つ賢者よ。我が治世に、あなたの力が必要です。どうか王宮へ』


冬の魔女が太陽の隠れ家を嗅ぎつけたのだ。



ヘリオは女王スピネルと婚姻を結び、やがて王子が生まれた。ルビウスだ。

数年が経ち、城の離宮へその居を移してから、彼の全てが変わり始める。


月白の湖のほとり。

ライは言葉もおぼつかない幼いカイをその腕に抱きながら、日課のように自らのムーンストーンに意識を集中させていた。少し離れた場所では、娘のルナが楽しそうに水遊びをしている。かつてヘリオの快活な魂の響きを伝えてきたその石は、今や日に日にその輝きを失い、冷たくなっていった。

時折、石の奥から断片的な叫びが聞こえてくる。


『――冬が来る』

『ユークレースの石が私を縛る…意識が、遠のいていく』

『ルビウス、許してくれ』


友がその腕で抱くことのできない息子の名を叫んでいる。


「何が起こっている…ユークレースの石とはなんだ…」


ライは自らの腕の中で眠る息子の、その小さな体を強く抱きしめた。友の魂が氷の牢獄の中で少しずつ死んでいく様を感じ続けるのは、地獄だった。


そして、ある嵐の夜。


『――ライ。氷の棘が打ち込まれた。私にも、息子にもだ。もう私の意識は保たない。妻はお前を捕らえる罠を完成させた。私はそれを止められない。…すまない』


『忘れないでくれ、友よ。我ら日向の氏族に伝わる、古の予言を』


『――いつか、龍と共に偽りの王を打ち破る者が現れる』


その言葉と共に、ライの手の中の石が、ぷつりと完全に光を失った。


「――ヘリオッ!!!」


呼びかけに答えはなかった。

ライは冷たくなった石を握りしめ、天に向かって咆哮した。


「今、助けに行く…!」

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