第20話 魂の音色
小さな白いテーブルを挟んで向かい合う二人。息詰まるような緊張感の中、ルビウスはエメの魂を射抜くように見つめ、残酷な最初の問いを放った。
「…一つ聞かせろ。お前が、この世で最も恐れるものは何だ?」
その問いに、エメは逡巡しなかった。彼女は静かに顔を上げ、ルビウスの瞳をまっすぐに見つめ返す。
「わたくしが最も恐れるもの。それは「無力であること」です。愛する民が目の前で苦しんでいるのに、何もできずにただ見ていること。それ以上の恐怖はございません」
その予想外に気高い答えに、ルビウスは面白そうに片眉を上げた。彼は椅子から立ち上がると、獲物を値踏みするようにエメの周りをゆっくりと歩き始める。
「…無力、か。面白い。ならば今のお前は、まさしくその恐怖の真っ只中にいるわけだ」
その言葉の冷たさにも、エメは怯まない。
「そうですね」
彼女は一度言葉を切ると、静かに顔を上げ、彼のその美しい横顔を見つめた。
「…偉大な王子様というのは、孤独な生き物ですのね。籠の中の小鳥をいたぶる遊びでしか、自らの力を確かめられないなんて。その寂しさが続くのもまた、恐怖でしょうね」
目の前の少女が放ったのは、悲鳴ではなく鋭い刃だった。
ルビウスは口元に笑みをたたえているが、その瞳には怒りの炎がゆらめいていた。
「…お前は少し気丈すぎる。ここは、いかなる魂の音色も狂わせる。皆、三日も経たずに不協和音を奏でながら壊れていった」
「お前にはどこか心の拠り所があると見える。俺の城で、俺以外の何かに縋っているとでも?」
その、魂の奥底まで見透かそうとするような問いに、エメは無意識に髪の編み込みに指先を触れさせてしまう。そっと自らを落ち着かせるように。
その小さな仕草を、ルビウスの鋭い視線が見逃さなかった。彼の歩みがぴたりと止まる。その紫の瞳が、エメの髪の一点に釘付けになった。
「…その髪か?」
彼はゆっくりとエメの後ろに立つと、白い指を彼女の栗色の髪へと伸ばす。エメは全身の血が凍りつくのを感じた。
動けない。
ルビウスの冷たい指先が彼女の髪に届いた。ムーンストーンが隠されているすぐそばを、何かを探るようにゆっくりとなぞっていく。
時間が永遠のように感じられた。
やがて、ルビウスは何も見つけ出せずに髪から指を離すと、美しい笑みを浮かべた。
「…美しい髪だ。これほど複雑に編み込まれていれば、さぞ多くの秘密を隠すこともできよう」
そして、彼は扉へと歩き出す。
「お前の『恐怖』については、よく分かった。公務がある。戻るとしよう」
扉に手をかけ振り返った彼の表情には、もはや笑みの欠片もなかった。
「…明日は建国祭だ。お前を俺の妃として披露するはずだった日だ。それが叶わないのは残念だが…まあいい。」
「また来る。この白の塔で、お前の魂はどんな音色を奏でるのだろうな。それを聞く時間はまだいくらでもある。」
その呪いのような言葉を残して、彼は部屋を去っていった。
一人残されたエメは、背筋を氷の指でなぞられたように悪寒に襲われた。震える指先で、髪の奥から無事だったムーンストーンを取り出す。
(…伝えなければ。)
この緊急事態を。カイに。
(カイ、聞こえますか。白の塔で王子に会いました。…なにか感づかれたかもしれない。ごめんなさい。わたしの失態です。くれぐれも、気をつけて)
◇
「循環炉…だと?」
イリスの隠れ家に合流していたカイは、血の気の引いた顔をしていた。
塔の最下層に隠されたおぞましい真実を知ったカイの元へ、緊迫したメッセージが届いた。胸元のムーンストーンが熱を持ち、エメの恐怖と警告が脳裏に流れ込む。
「どうしたのです!?」
イリスが顔を青ざめさせる。
「…エメからだ。気をつけろと。」
「何かあったのでしょうか…」
「塔で、王子と接触したみたいだ」
「王子が…?まさか直接塔に足を踏み入れているとは…まずいですね。明日の作戦も危険すぎるかもしれない」
しかしカイは強く首を振った。
「…いや。だからこそやるんだ」
「今のでわかった。明日の作戦をエメは知らない。でもあいつは、あの場所でやれることを探してる。たった一人であの化け物相手に時間を稼いでくれてるんだ。俺たちがここで怖気付いてどうする」
カイの言葉に、イリスも覚悟を決めた。
◇
エメは再び髪の奥深くへと石を隠した。警告がカイに届いたと信じて。
―――ルビウス。
あの男は、芸術家気取りの悪魔だ。
人の心を調子の狂った楽器かなにかだと思っている。叩き、弾き、どんな悲鳴を上げるかを楽しむ、冷酷な指揮者。
彼がエメに向ける感情は、興味や好奇心などという生ぬるいものではない。自らの手でゆっくりと壊し、空っぽで従順な人形を作り上げたいという歪んだ嗜虐心だ。この、完璧な箱庭のために。
「…そう。これがあなたのやり方なのね」
ならば。わたしにも考えがある。
決してこの屈辱に涙せず、彼の想像を裏切り続け、「面白い」と興味を引き続けるのだ。
それは時間を稼ぐということ。
この塔の外では、きっとカイが動いている。そう信じている。
そして、この白の塔から正気のまま脱出し、再びカイの『目』となるチャンスを伺うこと。龍の王を救い出す。その唯一の目的を果たすために。
祖国を救うための最も遠回りに見えて、最も確実な近道。
ここが、わたしの新しい戦場。
「奏でてさしあげましょう。あなたが望む、どんな音色でも。―――あなたを、夢中にさせてあげる」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます