蠢動

 ──こうして薄暮達が出立する幾許いくばくか前。

 影見ノ国の都、華都かと

 

 白檀の香漂う屋敷にて、藤原宗継は一振りの枝を前に静かに息を潜めていた。

 それは海の彼方、唐土より密かに持ち帰られた「蓬莱の玉の枝」と称される枯れ枝である。

 かつては五色の珠が咲き誇り、神仙の庭に咲くと謳われた枝も、今は色褪せ、命の気配を失っていた。


 だが、宗継は、藤原家の威光が翳りゆくのを黙って見ている訳には行かなかった。

 だからこそ、この枝こそが再興の切り札であると、狂おしいほどに信じていた。

 これを蘇らせ、帝に献上すれば──藤原の名は再び朝廷に轟くであろうと。


「これは天より授かりし宝に違いない……この姿すら神の試練か」

 そう呟き、枝を金の箱に納め、誰にも触れさせぬよう厳命した。


 月が雲に隠れた深更、宗継の寝所にぬめりとした気配が忍び寄る。

 障子の向こうに現れたのは、艶やかな女の影であった。

 白く透ける衣の下、妖艶にうねる肢体。だがその肌はどこか蛭のように湿り、

 目に映るほどに、宗継の理性は蕩けていった。


「……枝を蘇らせたくば、血を捧げよ。清き乙女の、生き血をな」


 唇が触れたかと思うと、首筋にぬるりとした痛みが走る。

 快楽と毒が一度に流れ込み、宗継は抗うことすら忘れていた…


 🐇⚔️



 秋風が吹き始めた街道沿い。

 都へ向かう道を、三人の女が歩いていた。


 一人は、大きな袋を担いだ小柄な少女。大きな瞳が印象的で、十歳そこそこの幼さを残す。

 もう一人は、腰に大小二振りを差した武芸者風の美少女。

 最後の一人は、派手な着物に扇子をひらひらさせた艶やかな美女──旅にはまるで不向きな姿。


 言わずもがな、火鱗、薄暮、瑕月耶である。


「ちょっと瑕月耶っ!なんであたしが、あんたの荷物まで持たなきゃいけないの!」

 火鱗のキンキンした声が街道に響く。


「文句言うな。賭けに負けたのは火鱗の方だろ?」


 言い合いながら竹林の入口に差しかかったとき、薄暮がふと足を止めた。


「薄暮、どうしたの?」

 火鱗が声をかけた瞬間──ヒュッと風を裂く音。

 三人の足元に矢が突き刺さった。


 竹の合間から現れたのは、刀や槍を手にした野盗五人。

 布で顔を覆い、据えた酒の匂いをまとった連中だ。


「へっへっへ……こりゃまた上玉だ。おまけが二人ついてらぁ」

 舌なめずりする一人に、火鱗と薄暮の眉間がわずかに寄る。


「お嬢さん方、財布と命、どっちが惜しい?」


「見て見て、お約束の展開だよ♥」

 カグヤが満面の笑みで両手を叩き、楽しげに薄暮と火鱗に目配せする。


「あんたたち、あたいを美女って言ったことに免じて見逃してあげる。

 命が惜しいなら、とっとと逃げな!」


「それ逆に煽ってるから……」

 薄暮が小声で呟く。案の定、野盗たちは頭に血を上らせ、一斉に刃を抜いた。


「舐めやがって! 大人しくしてりゃよかったものを……!」

「もういい! 犯してぶち殺してやる!」

「俺は一番小さいのをもらうぜ!」


 ──一人だけ明らかに危ない奴が混じっていた。


 火鱗が甲高い悲鳴を上げた。

「きゃー! お姉ちゃん怖いー!」

 わざとらしく叫びながら、薄暮の背後に回り込む。


「……えっ?」

 薄暮が目を丸くしたところに、さらにカグヤが一歩下がり声を張った。

「薄暮! やっておしまい!」


「ちょっ、二人とも……!」


 野盗が刀を振り下ろした瞬間──。


 薄暮の影が一閃した。


 次の瞬間、三人の首が同時に宙を舞い、切断面から鮮血が噴き上がった。

 真紅の飛沫は竹林の青に散り、葉を染めながら雨のように降り注ぐ。


 首なき胴体はなお二、三歩ほどよろめき、腕を振り回しながら地面に崩れ落ちる。

 肉と骨が砕け合う鈍い音が響き、竹の根元に赤黒い水溜まりが広がった。


「な、なんだこれは……!」


 残った野盗の一人は、仲間の首が転がり落ちるのを凝視し、喉の奥から獣じみた悲鳴を上げると逃げ出した。


「ヒっ、ヒィィィィィ…」


「ふん、口ほどにもない」

 瑕月耶がしれっと扇子を広げる。


「──瑕月耶さん……」

 薄暮が細目で睨むと、彼女はわざとらしく視線を逸らし、にっこり。


「そ、それより薄暮、腕を上げたんじゃない?」

「そーそー、今のは腕試しだよ!成長したねぇ♥」


 二人の白々しい声が、竹林に響き渡った。


 秋風が血の匂いをさらい、街道には再び静けさが戻る。

 ──そして三人は、華やぎと影が交錯する都・華都へと歩を進めていった。


 🐇⚔️


 一人逃げ延びた野盗が、息も絶え絶えに街道脇へ崩れ落ちた。


「は、はぁ……き、聞いてねぇぞ……あんなの……化け物じゃねえか……」


 すると、その背後で、ねっとりとした男の声が響く。


「ふむ、あれが噂の『斬姫』か……中々、興味深い」


「ひっ!」


 野盗は悲鳴を上げかけたが、姿を見て一瞬安堵の表情を浮かべ、縋りつく。


「だ、旦那ぁ……なんなんだありゃ……女三人だから余裕だって……!」


「私はそんなことは言っていないよ。女三人なら余裕だろう、とは思ったがね」


「な、な……でも旦那が銭をくれるって……金目の物は好きにしろって……」


「……あぁ、もう五月蠅いな」


 次の瞬間、ぶすりと矢がこめかみに突き立ち、野盗は奇声を上げて地に倒れた。

 四肢を痙攣させ、痩せた喉から濁った息が漏れる。


「全く、下賤の者が……」


 暗がりから、ぬるりと弓を持った影が現れた。

 紙人形が膨れ上がったような異形の式神。その節の折れ曲がった腕が、死骸の腹へと伸びる。

 すると体内から淡く光る球が引きずり出され、式神はそれを嬉々として咀嚼し、飲み込んだ。


 月明かりの下、喉の奥で鈍い光がしばし瞬いた。


「……“枝”に縋る藤原も、“血”を貪る蛭も。

 どちらも都を蝕む駒にすぎん。面白い……さて、次は誰に踊ってもらおうか」


 🐇⚔️


 ──華都。


 影見ノ国の中枢にそびえる巨都は、四方を高大な石垣と城壁で囲まれ、

 その内部は碁盤の目のごとく大路と小路が隅々まで張り巡らされている。

 南北を貫く大路には牛車や荷車が行き交い、東西を渡る小路には市が立ち並び、

 昼夜を問わず人の波が絶えることはなかった。


 正面を守る朱塗りの楼門は、まるで竜宮の門のように煌びやかに輝き、

 一歩内へ踏み入れば、絹衣をまとった商人、金銀の簪を挿した女官、

 舞を披露する楽人や香を売る行商が織りなす、色とりどりの喧騒が押し寄せてくる。


 その華やかさは、まさに人の世の極致であった。


 ──だが同時に。


 石畳の隙間に濃い影が潜み、楼門の裏には神隠しの噂が囁かれる。

 子を探して泣き崩れる母の声が、陽の下の笑い声と奇妙に混じり合う。

 繁栄と災厄を併せ呑む器──それが華都である。


 街道を進んだ先、ようやく視界の向こうに華都の姿が現れた。

 四方を囲む高大な城壁、その中央にそびえる朱塗りの楼門。

 碁盤の目のごとく整然とした大路が、門の向こうに真っすぐ延びている。



「うわぁ!あれが華都!?でっかーい!」

 火鱗は荷物を放り出さんばかりに飛び跳ね、きらきらと目を輝かせる。


「──子供みたいだね、火鱗ちゃん。でも……確かに壮観」

 子供のようにはしゃぐ火鱗を横目に、薄暮は静かに楼門を仰ぎ見た。


「あたいも久々に来たけど、昔とは大分変わったね。見物するだけでも退屈はしなさそう」

 瑕月耶は扇子をぱちんと鳴らし、艶やかに笑った。


 三人それぞれの想いを胸に、ゆるりと楼門へと歩を進めていく。


 ──薄暮たち三人は華都の楼門をくぐって行く。


 碁盤の目のように整えられた大路には、見渡すかぎりの人、人、人。

 色鮮やかな絹衣の商人、白粉を塗った女官、芸を披露する楽人の一団。

 屋台からは香ばしい焼き団子や香の煙が漂い、華都は昼も夜も祝祭のごとき賑わいに満ちていた。


「わぁ……」火鱗は目を輝かせて足を止める。

「……ふん、視線が鬱陶しいわね」瑕月耶は扇子で口元を隠しながら艶やかに歩む。

「……騒がしい」薄暮は眉を寄せ、人混みを見渡した。


 ──そのとき。


 すれ違う群衆の背後で、かすかに耳に届いた。

「また一人……」「神隠しか?」「昨夜も娘が……」

 笑い声と笛の音にかき消されるような、低い囁き。


 陽光に照らされる大路と、路地裏に漂う影。

 華都は繁栄と災厄を呑み込む器であり、今まさに均衡が軋み始めていた。

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