第17話 火の後に、かすかにささやく声がした

顔が隠れる程の深さでフードを被り、小柄な身体を赤いローブに包んでいる。

ローブの周囲に炎が舞っている。その姿はまさに炎を纏っていた。

怒りや憎しみを燃料に敵を燃やし尽くす炎、それは自分を傷つけ焼き焦がす炎。

【イェヘズケール】憤りの杯。

炎のローブは人の形をとっていた。

赤い色の本体を守るように包み込んでいるものの、その実イグニスは炎に身を焼かれている。

【フラベラム】聖扇。

右手のそれを振るい、燦原の火を放ち続ける。

腕を振るえばどこまでも炎は伸びて、その炎は相手を消し炭にするまで燃え盛る。

その炎は剣の強さを持ち、その傷は毒となって身体を蝕む。

炎の鎧は攻撃が届く前に一切を焼き、本体は傷つくことを知らない。

近づくモノはみんな消え去る。それは自分自身でさえも。

命を削っている。自分の身を省みることなく、他のモノ全てに憎しみを抱き続け、そんな自分を恨み続ける。

右手を振るえば、敵がたちまち延焼。力を失い墜ちていく。

それは地上の流れ星だ。

何もかもを呑み込もうとする怒りの日だ。

のたうち回り、消そうとしても消えない炎。

自身の破滅すら厭わない憤りの杯。

そんな無敵に思える炎の鎧にも隙間があった。

息継ぎをして、胸を左手で抑えること。

その瞬間は炎が消えて本体が剥き出しになる。

時にはへたりこみそうになりながら、必死に息継ぎをしている。

それは地上で溺れてもがき苦しんでいる様だ。

今を苦しみ、今を変えようとする決意の姿だ。

「みんなわたしのように苦しめばいい……」

ノイズ交じりのおよそ人のものとは思えない声が二人の元に届く。

それは呪いだ。自分の苦しみを他者に知らしめる。共感を求めるその感情は、共感からは程遠い場所に位置している。

苦しみを理解してもらおうとする程、だんだんと理解からは遠退いて行く。

歩いて進むことも叶わなくなりそうな重圧。

自らを縛り付ける炎の楔。

イグニスを取り巻いていたぬいぐるみ達が燃え尽き、辺りに静寂が訪れる。

グラスはずっとおあつらえ向きのように入り口付近に立っていた木の影に隠れていた。

その場にへたり込み、肩で息をしているイグニスに攻撃を仕掛けるか判断をしかねていた。

今仕掛けるには有利な場面であるし、イグニスが味方である保証はどこにもない。

先手必勝で危険な要素を排除するのが定石であると理解している。

それでもグラスとアルは動けずにいた。

考える時間が長くなればなるほど、相手が回復していく。

だけど、相手が同じ人間かも知れない。その考えが頭を過ってしまうと排除することに躊躇いが生まれてしまう。

イグニスの頭上に大きな影が一つ。

突然降り立ったそれは空を覆い尽くすかと錯覚するほどの翼を持つ大鷲だった。

イグニスが右手のフラベラムを天へと振るう。

火柱が天ごと貫こうと上空へと伸びるが、大鷲が翼を一振りすると炎がたちまち掻き消える。

その余波か、それそのものが攻撃か、無数の羽が地上へと降り注ぐ。

イグニスはイェヘズケールを頭上へと集中させ直撃を防ぐ。

そして諦めずもう一度フラベラムを振るう。

大鷲も同じ動作を繰り返す。

同じ攻防を繰り返す毎に大鷲の高度が低くなってきていた。

「———」

炎の柱が収束し炎剣となり、大鷲のかぎ爪へ触れる。

すると焔転。大鷲の全身が炎に包まれる。

炎上しながら巨体を揺らし、飛ぶことを維持出来なくなった大鷲が地上へと難着陸。

イグニスは着地の隙を見逃さず、大鷲の細い足を横に薙ぐ。

「———」

切断までには至らなかったが、大きくバランスを崩した。確実にダメージは入っている。

大鷲はかぎ爪をイグニスの頭上に掲げ、切り裂き、踏み潰そうとする。

内側から外側へ、下から上へと回しながらイェヘズケールの右腕がかぎ爪の勢いを逸らす。

右腕の受けた動きを予備動作に左フックを放ち、脆くなっていた右足の部分を破壊する。

大鷲が崩れ落ちながら、右翼を大きく薙ぐ。

振り抜いてしまった左腕を戻せず、翼の一撃を背中に受けてしまう。

吹き飛ばされた勢いで草原をゴロゴロと転がるイグニス。

衝撃で炎の鎧も消えてしまっている。

うつ伏せに倒れたまま動かないでいる。

右足が崩れ、本体が炎上し続けている大鷲も弱っている気配はするものの、視線と左翼の先をイグニスに狙いをつけている。

遠距離から仕留めるようだ。上空で行っていた羽根での攻撃をするようだ。

ここでグラスとアルは選択を迫られる。

一つ目は大鷲にイグニスを倒させ、その後に大鷲をグラスが仕留める。

二つ目は大鷲を先に倒し、イグニスを倒す。

三つ目はイグニスを倒し、後に大鷲を倒す。

可能性として浮かんだのはこの三つだが、どの選択肢もヴィジョンが生まれてこない。

では、四つ目。

グラスはイグニスの前へと躍り出る。

「スティーリア」

両手を前で広げ、氷の壁を形成する。

直後、大鷲の放つ羽根が壁に撃ち込まれる。

ブレードを傾け、右へと走り出す。

狙いが壁ではなくグラスに移る。

そのまま大鷲の外側を駆ける。

左翼はグラスに向けられ、身体が開いて自然と背中が反っていく。

グラスは無防備な左足に氷弾を撃つ。

四発、五発当たるごとによろめいていく巨体。

ついにはバランスを崩し、仰向けに倒れ込む。

止めとばかりにグラスは氷の台を作り、上空へと跳ねる。

「ニウィスルイナ」

掲げた両手は氷の大剣となり、高い位置からの一撃は、確実に終わらせる意志の現れ。

上空からの速度のついた一刀は大鷲の首を切断し……

———グラスの身体は太陽に包まれた。


『火の後に、かすかにささやく声がした』

全身を火で炙られた痛みをアルは覚える。痛みに思考が鈍りながら、最小限の指示を出す。

『剣を投げて』

グラスは瞬時に意図を理解し、大剣を大鷲へと放り投げる。

そして投げた反動を使い、足場を蹴りイグニスとは反対方向へ跳ぶ。

終極フィニス円形劇場アムピテアトルムムスペルヘイム】

詠唱を終えるとともに太陽が墜ちる。大鷲の上に小さな太陽が出現。そのまま無防備な大鷲は光に包まれ、太陽ごと消失した。

出来るだけ離れた場所で、かつ氷の盾を仕込んでやっと余波が防げる程の攻撃。あれは大鷲を狙ったものだがグラスを躊躇なく巻き込もうとしていた。

イグニスは既に立ち上がっており、こちらを見据えている。

ただ遠目でも分かるほど肩で息をしているのが解った。

「アル。行ってもいいよね……」

グラスも助けようとしていたところに殺されかけたのだ。いい気はしない。

両者構えて隙を窺っている。

『試練の進行条件が達成されました』

天使の声が脳内に響く。

意識に靄が掛かり、次第に現実へと引き戻された。

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