嘘を信じるからです
水沢樹理
第1話 プロローグ
名前を呼ばれ振り向くと同時に、肩を強く押され突き飛ばされた。
思わず悲鳴を上げ地面に倒れそうになるが、今まで話をしていたクラスメイトが咄嗟に身体を支えてくれたお陰で事なきを得る。
だがそれを見た突き飛ばした相手は顔を怒りに歪め、的外れにも程がある怒号を発した。
「おいっ、俺という婚約者がいながら他の男と密着するとはどういうことだ!」
「……は?」
「……お前は何を言っているのだ?」
この状況で言葉にするにはあまりにも理不尽な言い掛かりに、突き飛ばされた本人であるアイリーン・アグイスト侯爵令嬢と助けてくれたクラスメイトの男子生徒が呆気に取られる。
確かに彼はアイリーンの婚約者である一歳上のフェデリコ・ガブレイト侯爵令息だが、アイリーンとクラスメイトの男子生徒が密着する状況を作り出したのはフェデリコ自身だ。
彼がアイリーンを突然突き飛ばしたりなどしなければ、助けてくれたクラスメイトと彼女が密着するような事態にはなっていない。
しかもそれはアイリーンが体勢を整えるまでの極僅かな時間だ。
当然のことながらそれに対し難癖をつけられる謂れはない。
だがフェデリコのおかしな糾弾はそれだけでは終わらなかった。
この場合は彼らの、と言うべきかもしれないが。
「上級生に向かってお前とは何様だ!? 敬称を付けて敬語で話すべきだろう!」
「そうよ! フェデリコ様に失礼だわ!!」
「……失礼なのはガブレイト侯爵令息とモニカの方です。第二王子殿下に対して不敬にも程があります」
彼らが妙な言い掛かりをつけている相手は、アイリーン達が暮らすボドルブ王国の第二王子であるエミリオ・ボドルブだ。
先程転倒しそうになったアイリーンを支えてくれた彼女のクラスメイトでもある。
そしてフェデリコと共にエミリオに対し無礼な言葉を放ったのは、アイリーンの一歳下の妹であるモニカだ。
フェデリコもモニカも、王族であるエミリオに気安い態度を取ることは許されていない。
にも拘らず王族に対して遠慮なく不遜な態度を取る二人に目眩がしそうになりながら、アイリーンは無駄だろうなと思いながらも厳しい声でそれを咎める。
そして思った通り、それは火に油を注ぐだけの結果となってしまった。
「学園では身分など関係なく平等だ! ならば王族であっても上級生には礼を尽くすのが当然だろう」
「確かに学園では身分に関係なく平等であるということにはなっていますが、王族に対して不敬を働いてもよいと言う訳ではありません。それに元々の身分を無視してもよいということでもありませんよ。自分に都合よく解釈するのはおやめください」
「うるさい! 都合よく解釈しているのはお前の方だろう!!」
「そうよ! フェデリコ様の方が年上なのだから、敬意を払うのは王子殿下の方よ!」
険しい表情で声を荒げるフェデリコとモニカの二人に、やはり理解していなかったかと頭が痛くなってくる。
実際のところ身分に関係なく平等と言うのは、学園内では身分に関係なく交流を図りそして深める為の建前でしかない。
故に身分を無視した振る舞いは許されないことだ。
よって年上であってもフェデリコのエミリオに対する態度は許されることではないし、モニカはエミリオよりも年下なのだから言動が矛盾しており、それも含めて問題であることは言うまでもない。
ただ悲しいことに、この二人にそれを理解させるのは困難だろうというのが現実であった。
「そう言うのならばモニカ、貴女は第二王子殿下に対し敬意を表しなさい。殿下より貴女の方が年下なのだから」
「はあ? 何でフェデリコ様に対して失礼な人に敬意なんて払わなきゃならないのよ!?」
「…もういい。この二人に何か言ったところで無駄なのは君もよく分かっているだろう? これ以上君の貴重な時間を使ってあげる必要はないよ」
「どういう意味だ、それは!」
難しいと思いながらもモニカを嗜めようとしたアイリーンに、暫し事の成り行きを見守っていたエミリオがゆっくりと首を横に振り諦めろと促す。
そして当然の如くそんなエミリオの言葉に激昂したフェデリコは、顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「そのままの意味だ。それに先程、ガブレイト侯爵令息に突き飛ばされ転倒しそうになったアイリーン嬢を支えただけで密着したとか妙な言い掛かりをつけていたが、ならば君達のその状態はどういうことだ? 婚約者同士でもないのに腕を組み密着している方が余程問題があると思うのだが」
罵詈雑言を並べ立てるフェデリコにうんざりとした顔を向けると、エミリオは言うだけ無駄だと思いながらも一応苦言を呈す。
だがそんなエミリオに対しフェデリコとモニカは馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、何故か勝ち誇ったように不敵な笑みを浮かべた。
「それならば何も問題はない。悪女であるアイリーンとは婚約破棄をして、愛するモニカと婚約を結び直すのだからな!」
そして二人だけで勝手に決めたとしか思えないことを、意味不明なことを付け加えた上でそう声高に叫んだのだった。
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