Episode 29 :【誓いの盃】

 ――色々と……本当に色々と衝撃的な事実も知ってしまったが……。


 ともかく、雨津星あまつぼしさんの話のおかげで、今の俺が求めていた真実のほとんどを、理解することができた。


 その中でも、特筆すべき内容は、『如何いかにもなアタッシュケースを抱えて〈狭間はざま交信局こうしんきょく〉へ行き、秘密裏に入国している者がいる』という噂の全貌ぜんぼうだ。


 おそらく……いや十中八九、そのケースの中身は、機械化手術の費用にてられたんだな。


 他のトガビトからすれば、その手術の権利とやらは、喉から手が出るほどに欲しいものなのだろう。


 だが、俺の場合――政府が開発中の〝《E・A・Eイー・エー・イー》の活性化を抑制する医薬〟の服用と、定期的な身体検査を条件に、雨津星さんが特例として、手術を受けずに入国させてくれるらしい。


「君のように手術を拒否する人間は、当然ながらいた。

 だが、大金を積んででも〈御門みかど大江戸おおえど〉に入国したい人間が求めているのは、絶対的な安心感だ。

 その絶大なるメリットと比べれば、肉体を機械化させることなど、大した問題ではない。

 だから、この〈狭間交信局〉に来た全ての人間が、手術を受けることに同意した。

 あそこまで拒絶する人間は、君が初めてだったから、驚かされたよ」


 ニッと口角を上げた雨津星さんが、〝治安維持型フレンド〟に何かを持ってこさせるように、クイッ、クイッとハンドサインを送る。


 そして、そのフレンドが持ってきた、手の平サイズの防護ケースを机に置き、その中から、透明な液体が入った如何いかにもな小瓶こびんを取り出す。


「この薬は、いわゆるナノカプセル形式でな。

 カプセルが腸内で溶けた後、ナノマシンが全身に行き渡り、肉体の内側からアプローチをかける……というものだ。

 ある程度の臨床りんしょう試験しけんを終え、十分な効果も期待できる代物ではある。

 ただし、服用時の副作用として、ナノマシンを異物だと感知した身体が、免疫反応や交感神経を過剰に刺激してしまう。

 これが実に曲者でね……長期的に服薬すると、被験体の大半が精神的に憔悴し切ってしまって……ついには中止するにまで至ったんだ」


 そう語っていた雨津星さんが、真っ直ぐ、信念の宿った瞳で、俺を見据える。


「だが、君は《ヒューマネスト》と対峙していながら、その戦闘時の動きは冷静そのものだった。

 その並外れた精神力ならば、この抑制薬の長期的な被験体として、最も成功率が高い……そう判断した。

 つまり俺と君の関係は、ギブアンドテイクのウィンウィンということだな!」


 そう豪快に笑う雨津星さん。


 彼が俺を、特殊とくしゅ構成員こうせいいんというポストに引き入れたかったのは、《ヒューマネスト》単独撃破の戦闘実績も加味しているかもしれない。


 だが、それとは別に、抑制剤の被検体として役立てるためでもあったのだろう。


 お人好しなだけでなく、その実は、海千山千の切れ者。


 伊達に、〈A.E.G.I.Sイージス〉という組織の主任を任されてはいない、ということか。


「……いくつか、確認したいことがありますが、いいですか?」

「もちろん。

 これから突然、謎の薬を服用させられるかもしれないんだからな。納得のいくインフォームド・コンセントはするつもりだ」


 雨津星さんの了承も得られたので、俺は気になる点を、一つずつ確認していく。


「その薬の効果は、具体的にはどういうものですか?」

「〝《ヒューマネスト》化現象〟の発症を抑える、あるいは遅らせることは、現状でも立証済みだ。

 ただ、根本的な治療薬とはならないだろうな……いわば、風邪薬みたいなものさ」


 ……成程。


 完全な対策と言う意味では、やはり機械化手術の方が軍配が上がるわけか。


「……いっそ、全人類を機械化してしまえば、《ヒューマネスト》はこれ以上現れない――そんな極論もある。

 だが、その実現には、膨大な費用と時間が必要だ。

 だから、今はまだ、構想の段階にも至っていない。まさに机上の空論、絵に描いた餅さ」

「……つまり、この抑制薬は、それまでの〝時間稼ぎ〟のためのもの……ということか」


 〝トガビト〟――〈アフターエリア〉に住む人間にも、機械化手術の実施や、抑制薬の臨床実験を受けさせない理由が、なんとなく見えてきた気がする。


 おそらく現在の政府は、数年、数十年かけるような長期的な目で、人類が生存する道を選んでいるのだろう。


 身を削って多くを救うより、少ない出費で少数を救う方が……確かに堅実的な話ではある。


 だから奴は――あの〝鎧野郎〟は、俺達を追放した。生きる資格さえ、最初から剥奪した。


 犠牲になっても痛手にならない人達を、姥捨うばすて山《やま》に置き去りにするみたいに……。


「――さて、夏神なつみ君。

 俺からスカウトしておいて何だが、本当に後悔はないか? 辞退するのなら、今の内だぞ?」

「……ご冗談を。

 あれだけ機密報をベラベラと話してくれた時点で、俺をノコノコ返すつもりなんてないんでしょう?」

「お、流石だな! 

 俺の目に映る、君の瞳……そしてそこに宿る決意の炎は、確かに本物だ。

 『今更何を聞かされようと、俺の心がおくすることなど、決してない』……そう叫んでいるようにさえ見えるほどに、な。

 そう判断したからこそ、俺は君に、全てを話した。

 俺は今この時点で、もうすでに、君のことを仲間として認めている。

 だからこそ、俺の期待を裏切ることだけはしないでくれよ?」

「……はい。善処します」


 何はともあれ、この抑制剤とやらを飲まない限り、俺の未来への道は途切れたままだ。


 覚悟を決め、さかずきの酒を飲み干すかのように、小瓶に満たされた液体を一気飲み。


 ……なぜか、薬草のような風味が鼻に抜け、口の中がしびれる不快感にわれる。


 だが、良薬は口に苦しと、頑張って飲み込んだ。


「おお、中々の飲みっぷりだな!」


 雨津星さんは、にこやかにそう言っていたが、褒められている気がしない。


 ……この人、多分天然とかそういうのじゃなくて、〝いい性格〟している人だよな……。


 ふと唐突に、そう思った。


-----------

《次回予告》


《――かくして俺は、雨津星さんと共に、一枚の鋼鉄の扉を前に立っていた。

 それは、〈狭間交信局〉の終わりであり、〈御門大江戸〉の始まりを告げる扉。》

《再誕した故郷こきょうの景色を目にした時――俺は、言葉を失った。》

「今の君の目には、かつての故郷は、どう映る?」


次回――Episode 30 :【〝理想郷〟という名の〝虫籠むしかご〟】


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