第10話 種を蒔く
人は、食べなくては生きていけない。
それは、獣も鳥も虫も、同じだ。
この世の生きとし生けるモノは、何かを食べる事で生きて、子孫を残していく。
農耕作物を生産する事で、国として成り立っていた国は、その作物の恵みが、自分達でも土地さえあれば成せると勘違いした、他国の思惑によって蹂躙された。
国の中央山地の中のごく一部。溶ける事の無い雪を残す山中の、洞窟の中。
氷の壁の中に、国中から集められた種が、細かく仕切られた棚の中に、厳重に梱包されて保管されていた。
地方ごとに分けられた”種”は、分かりやすく東西南北に分けられていた。
北の方角の種は、北の地に蒔く。南の方角の種は、南の地に蒔く、という風に分けられていた。
「これまで、”種”は、元”蒔き人”候補の子供が、優れた武術を習得して騎士になり、”運び人”となって、収穫後に集めて来た。
雪解けと共に、騎士達が訪れて、”蒔き人”が芽吹くように”まじない”をかけた種を持って、各集落に届けていたんだ。もちろん、各集落毎に、種を保管していたが、その種と混ぜる事で収量があがる。」
老師は、波差と多羅に説明する。
「お前達は、つい最近”蒔き人”に選ばれた。選ばれてすぐにこんなに過酷な状況になって……ほんとに、気の毒としか言いようがない。」
老師は、淡々と続ける。
「かく言う儂も、もう何年もこの地に囲われていて、下界の世情には詳しくない。情報は全て、食い物を届けに来る騎士から聞かされていただけだからな。」
やれやれ、と老師はため息をついた。
「多分、この間まで下界で生活していたお前達の方が、世情には詳しいと思うぞ。」
そう言いながら
「旅に路銀は必要だが、ここにはこれだけしか無い。さて。足りると思うか?」
老師は、棚の一角から、革の袋を取り出して、中身の硬貨を手の平に出して見せた。
「えええ!金貨!!」
「銀貨もある!」
「でも、このお金の柄は見た事が無い……かも。」
「そもそも、金貨や銀貨なんか、僕等は手にした事もないよ。
金貨なら、1枚、母さんが嫁入りの時に持って来たって言ってた。実物はとっくに無くなって、話ししか聞いた事無いけど。」
そう言った波差が、金貨の1枚をしげしげと見て
「母さんの持ってた金貨は、こんなだったのかなあ。」
そう言った。
「なら、これは、大金だってことだな。」
老師は、手の中のお金を見ながら、遥か昔にこれを稼いで来た朋を想った。
「うん。そうだよ!」
老師の手には、金貨が8枚。銀貨が10枚乗っていた。
「使いやすい銅銭があれば良かったんだろうけど……。両替商は、大きな町に行かないと無いから。このままじゃ、きっと使えないだろうね。」
多羅が、初めて目にする銀貨の絵柄の美しさに感心しながら、そう言った。
一同は、頭を寄せ合って、考え込んだ。
旅の路銀としては、どうやら十分らしいのだが、払うお釣りが貰えない可能性もある。そればかりか、強盗に合う危険も増すのだ。
「あの……。行く道々で、冬に捕れた毛皮を売ろうよ。薬草とか。残ってる芋や豆とかが金になるかも知れない。」
波差が、考え考え、提案した。
「食べ物が手に入らない時には、それを食おう。最悪、追剥ぎに合っても、食べ物出して命乞いしたら、助かるかも知れないし。」
老師は、自分よりも生活能力の高い弟子達に感心しきりだった。
その日から、携帯食作りに、皆で勤しんだ。
芋を薄く切って干す。豆を炒る。
元々、干し肉は炉の上の天井にぶら下がっていたので、それを半分持ち出す事にした。すぐに食べられるし、物々交換の材料にもなりそうだった。
種を取りに、何度もここまで往復する必要があったので、戻って来た時の為に、少しは食料を残しておく必要があった。
鍛錬にも力が入った。
流熊を相手に、多羅はせっせと腕を磨いた。
波差は、流熊が相手をするのを嫌がったので、しょげながら、自分なりに得意のボーガンの練習をした。
ある時、老師と鍛錬し終えた多羅が、物陰で膝を抱えてしょげかえっている波差を見付けた。
多羅は波差を探していたのだ。
「波差。こんな所にいたのか。探したぞ。」
多羅は、優しく波差に話しかけた。波差は、答えない。
心細そうな、波差の背中に、多羅はドキリとした。
消えてしまいそうで、咄嗟に後ろから抱きしめた。
「どうした。元気がないな。」
「……ん。」
2人は暫く、そのままで居た。
何も言わなかった。ただ、多羅は波差を抱きしめて、波差の体温と呼吸の音を聞いていた。
春の風が、頬に心地よかった。
柔らかい色の草の芽が、揃えたように一面に広がっている。所々に小さな蕾が揺れていた。
「僕が、ここに来たのは、運命だったんだろうな。あのまま村に居たら、この春で11才だから、近所のどの子かと、親同士で話し合って、許嫁になった筈だ。
そして、12才になったら、その子と夏祭りを踊って、朝まで踊って、多分、契りを交わすんだ。
13才になったら、その子を嫁に迎えて、14才で赤ん坊を抱いたかも知れない。」
多羅は波差を強く抱きしめた。
「だが、そうはならなかった。
波差。あの夜、お前は俺に自分の服を着せて、俺を負ぶって、足が前に出なくなるまで、歩いてくれたんだ。
お前の足の裏、とてもじゃないけど、人を負ぶって歩けるような怪我じゃなかった。傷だらけで、尖った石が一面に刺さっていたんだ。
どんなにか、痛かったことだろうな。あの頃の俺には、ムリだったろう。」
波差は、自分を抱きしめる多羅の腕に自分の腕を重ねた。
「たいした事じゃないよ。あの時は、ただ、置いていけなかっただけだよ。寒さで動けない多羅を置いていくなんて、僕にはできない。もし、師匠と流熊に見捨てられていたら、あのまま、あそこで座っていただろうね。」
ゆっくり、多羅は波差の身体の向きを変えて、自分に引き寄せた。
「嫌だったら、よけて。」
そう言ってから、多羅は軽く波差の唇に、自分の唇を重ねた。
波差はよけなかった。
多羅は、自分の想いを込めて願いながら、波差に深い口付けを落とした。
『波差を守り抜く強さをください。共に、永く歩ける幸運を授けてください。』
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