第7話 冬の狩り

 雪深い森の中で、その日も、雪が止んだ時を狙って、野生の獣を捕える為の罠や、狩りの練習の為に、老師と流熊に先導されて、波差と多羅は膝まで雪に埋もれながら歩いていた。

 暖まる”まじない”を掛けてもらっていても、やはり雪の冷たさは骨身に凍みる。厚い毛皮の防寒着に、毛織の肌着を着込んでいても、寒い。


 早速、多羅が弱音を吐いた。

「寒い~。今日は、罠だけ掛けて、帰りましょう~。」

 老師と流熊は、全く取り合わない。

「もう少ししたら、最初の罠の場所だから、罠の準備しよう。ほら。」

波差が、泣き言を言う多羅を励ますように声を掛けた。

 波差は、いつもしんがりを歩いて、ともすれば歩みの遅くなる多羅を後ろから押すように、掛け声をかけたりと、気を使っていた。


 最初の罠に運よく、野兎が掛かっていた。既に冷たくなっていて固まってしまっている。波差は、手際よく罠を外して、背中の革袋に兎をしまい込んだ。

 その様子を、多羅は見ていただけだった。


 波差は同じ場所に又、罠を掛けた。兎の通り道なので、運が良ければそのうちまたかかるはずだったから。


「次の罠に掛かった獲物は、多羅が外せ。」

老師が、多羅に向かって言った。


 次の罠には、何も掛かっていなかった。

 多羅は、雪から掘り出して、再び同じように、罠を掛け直した。


 次の罠までは、少し距離がある。山の天気は変わり易いので、急いで向かいたいのだが、多羅の足運びが思いの外遅かったので、波差は後ろから、多羅を随分急かした。

「うるさい。」

多羅が、憮然と、一言文句を言った。

 その一言に、波差は珍しく、カチンときた。だが、言い返しはしなかった。

 無言で、波差は多羅を追い越して、老師のすぐ後ろに付いた。

 そのまま、先頭を歩く流熊の歩調に合わせて、老師の背中だけを見ながら進んだ。ただひたすら、前だけを向いて。


 次の罠には、まだ動く狐が掛かっていた。雪に隠れる為に白い毛色をした、銀色狐だ。毛皮も高値で取引される。

 後ろ足に食い込んだ鉄の縄が、狐の毛皮を裂いて流血させていた。

 雪の白と、毛色の白の中で、その鮮明な色は、目に付いた。


 寒い中、長時間同じ場所に拘束されていた狐は、かなり弱っていたが、それでも牙を剥いてこちらを威嚇して来る。

 こういう場合は、心臓を一突きにして、瞬時に息の根を止めないと、こちらが危ない。狐の、弱りながらも闘志のみなぎった瞳に、波差は畏怖の想いを抱いた。


 後ろから、遅れて追いついた多羅が

「これ、俺が仕留めるんですよね。」

そう言いながら、腰から短剣を抜いた。その、流れる無駄のない動作を、波差は止めていた。

「なんだよ。お前がやるのか?」

「いや。この狐には、子がいると思って。」


 狐の乳房が膨らんでいた。その乳首は何度も子に含ませていた証拠のように目立っていたのだ。

「だから?獲物食わなきゃ、俺達が飢えるだろう。」

「今日は、兎が捕れただろう。」

「はあ?兎だけで、何日持つんだよ。」

「子が育てば、来年もっと捕れるかも知れない。」

「来年より、今!」


 そのやり取りを、老師は黙って見守っていた。

 すると、遠くの雪の茂みの陰から、小さい白い耳が4つ、動くのが見えた。すぐ近くに、子供が2匹も、母狐から離れられずに居たのだろう。

 その小さい白い耳を見た時、多羅は、唇を噛み締めた。

「頼む。このケガでこの母狐が助かるかは分からないが、今、殺さないで欲しい。」

波差は、心から、多羅に願った。

 

 多羅は、老師に向いた。

「師匠。この狐の怪我を治す”まじない”を掛けて欲しい。」

「食い物が減るぞ。いいのか?」

「甘ちゃんの波差は、俺が狐を逃がすまで、ここを動かないよ。」

 ハハハと、老師は軽く笑った。


「波差よ。願え。このケガが軽くなるように。そして、縄を外す間、噛みつかないように。」


 波差は、頷いて、母狐に瞳を合わせた。

 それから、ゆっくりと、怪我に視線を向けて、更にゆっくりと手を近付けて行った。

 母狐は、自分の足を見ていた。震えていたが、牙は剝かなかった。


 波差は、願った。

『怪我の痛みが和らぐように。やがてきれいに治るように。子と共に、春を迎えられるように。』


 そっと、罠の輪を広げると、狐は自ら足を抜いた。

 そのまま、後ろも振り向かずに、痛めた足を地に付けないようにして、子の元に走り寄って行った。

 子狐が2匹、母親が間近に寄って来てから、走り寄って来た。


 そのまま、白い3匹は、山の中に姿を消した。足跡だけが、乱れた線のように、絡まり合って続いていた。


「さーて。天気が変わりそうだ。急いで戻るぞ。」

老師が、そう言った。


 波差と多羅は、同じ場所に罠を仕掛けるのを止めた。

 少し離れた木の根元に、新たに罠を仕掛けた。

「狐に通り道があるのは、聞かんが……。この罠は、何狙いだ?」

「……さあ??」

2人共に、首を傾げた。


 後日、吹雪の後に、その罠には、銀鹿が掛かっていた。

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