第6話 冬ごもり
雪が舞い始め、山深い住まいに、今年最後の荷運びの男達が訪れた。例年になく多くの食料を運び込んだ彼等は、恭しく、老人に礼を取った。
「我等、これにて、今年の任務を完了致します。次の雪解けの頃に、またお目にかかれる事を、願っております。」
「この時勢に、これ程の食料を準備するのは、難儀であった事だろう。感謝する。」
「もったいないお言葉です。次代の”蒔き人”の育成が、世界の未来にとって、どんなに大切な事か、皆理解しております。……どうか、健やかであられますように。」
そう言って、彼は、老人に深く頭を垂れた。
そして、波差と多羅に向くと、笑いかけた。
「2人共に、しっかりと学ぶのだぞ。
……子供のお前達に、こんな事を言うのは酷な事だとわかっているが、あえて、教えておこう。」
彼は、波差と多羅の前に、目線を合わせるように膝を折った。
「今、下界は、飢饉で大変な事になっているんだ。愚かな賊が、世界の食糧庫の我が国を焼き尽くしたせいで、おのれ達の口に入る食料も早々に底をついたようでな。
無い物は、金を積んだところで、出ては来ないからな。草の根を食む生活をしても、多くの者達が命を落としている。
民は、暴徒と化している。秩序は無くなってしまった。」
そこまで言って、大きくため息をついた。
「次の春に、我等が来ない時は、亡くなったと思ってくれ。我等が来ない時は、自分達で、老師と共に、生き残って欲しい。
我等は、老師と、お前達に危険が及ぶと判断した時には、ここには来ない。
我等もかつて、”まじない”を学ぶ為に集められた子供だった。だが、適正が無かった。なので、騎士になった。」
波差と多羅は、息を飲んだ。
「僕らに出来るかな……。」
「出来るさ。老師の”試し”で、既に適正者になっているじゃないか。」
「「ええ??」」
「犬だよ。流熊だ。あの犬が、君達を受け入れただろう。”血の汚れ”をあの犬は敏感に察知するんだ。あの流熊が受け入れた君達なら、必ず成し遂げられる。」
皆が、家の入口を塞ぐようにして寝そべる、大きな犬を見た。
「いつ頃から、あの犬が”蒔き人”を選んで来たのか……。今では誰も知らない。
いつの間にか、どこかに消えて、いつの間にかそこに居る。もしかしたら、誰にも知られずに代替わりしているのかも知れんが、違いがわからん。」
荷運びの男達が、ハハハと朗らかに笑った。
優しい笑い声を残して、彼等は背を向けて、去って行った。
その屈強な背中を、舞う雪がかき消していった。
「さあ、本格的な冬は、もうそこまで来てるぞ。届いた荷物を、家の中に運び込め。彼等が苦心して隠し持って来てくれた、貴重な食料だ。大切にしよう。」
老人の言葉に、波差と多羅は無言で頷いた。
食料の重みと、彼等の想いを、しっかりと両手に感じた。
雪に降込められた、逃げ場の無い岩屋の中で、来る日も来る日も鍛錬が続いた。
「どこが、簡単な”まじない”なんだ?!」
やはり、すぐに音を上げたのは、多羅だった。
「体術と棒術と、本読んで、草の絵描かされて、何だか分からない乾燥した草の、匂いの嗅ぎ分けとか。どれも同じ匂いに感じるし!!」
「そうか?匂いなら、ちょっとずつ違うぞ。」
「いやいやいや!嗅いでるうちに、何が何だか分からなくなるだろう?!」
「ああ、まあ、そういう事もあるけど、そん時はちょっと違う事をしてみるとか……。気分変えるといいぞ。」
「”まじない”って、どこからが”まじない”なんだか……。」
「え?最初から、最後までじゃないの?」
「はああ??あの手順、全部でまじないなの?!」
「……違うの?」
「え……。わからん。」
毎度毎度、こんなやり取りをしながら、2人は老師にお伺いを立てて、また1から習う、という日々を繰り返していた。
老人は、何度でも、初めて教えるかのように、丁寧に教えた。
言葉一つ一つ、同じに教えた。言い換えたり、はしょったりせず、毎回、同じ言葉で同じ抑揚で語って聞かせた。
辛抱強く、何度も何度も。
そのうちに、その老師の語り口と、仕草も含めて”まじない”が発動する要なのだと、2人は理解した。
そこまで理解したら、後は、老師の日々の生活の中での行いを、盗み見るようになった。
全てが”まじない”に直結していた。
水を、水瓶から汲み上げる時、柄杓を入れる角度、汲み取った水の量、汲み取った水を一滴だけ、垂らす事。そうすれば、水瓶の水は、いつまでも減らず、その量を保っている。
竈の火を熾す時、息を吹きかける角度と勢い、呟く言葉。薪を刺し込むタイミングと、火が上がって来てから、炎に向かって唱える言葉。
熾火にして、消えずにいてもらう為に唱える言葉。
2人は、ひたすら老師の真似をした。
2人が食べる食料も、何かの”まじない”で減らさずに出来ないものかと、老師に尋ねたら、大笑いをされた。
「そんなまじないがあれば、本当に、いいなあ。」
老師は、腹を抱えて、ひとしきり笑ったあと
「願うことだ。願えば、時に”まじない”が発動する事がある。その時に、その願いの”想い”と”強さ”を己の魂に刻むことだ。それが出来れば、その”まじない”はお前の物になる。次に使いたい時に、魂の中から呟きが出て来る。」
「……???」
大いなる謎が増えただけだった。
老師が行う、自分の為の鍛錬は、流れる動作が舞うように美しく、見惚れる程だった。興が乗って来たら、流熊が合いの手を入れるように噛みつこうとしたり、前蹴りを入れたり、足をかけようとしたりする。
だが、老師はそのどれもを、かわし、払い、流し、怪我をする事も無い。
流熊が加わる鍛錬の時の緊迫感は、息つく暇がない程に白熱の演武になる。老師の額から玉の汗が滴り、受けの手応の音は、生木を裂くかのように激しい音がする。少しでも力を抜いて受ければ、骨が折れる音だ。
そんな演武を見ながら、それを真似しながら、波差と多羅はお互いを鍛えあった。間違って、手痛い目にあう事もしょっちゅうだったが、痛めても、その後すぐに互いに手を当てて”まじない”を行う。
”魂に刻む”とはどういうことかを、実践で学んでいった。
ある日、流熊との手合わせの後、老師は2人に語った。
「何故、こんな鍛錬が必要だと思うか?」
「強くなるため。」
多羅が即座に答えた。
「何故、強くなる必要がある?」
多羅は黙った。波差は、考えながら答えた。
「僕等は、人を殺めてはいけないから……。殺めないように、武器を持つ人よりも強くなくちゃいけない……。素手でも、相手を倒せるように……。」
「近いな。ただ、倒すだけでは、すぐに反撃されるぞ。」
「あ……。」
「反撃しても負ける、と、解らせるような勝ち方をする為に、鍛錬しているんだ。」
老師の瞳は、強く、2人に語る。
「まだ子供のお前達だが、数年たてば、そこら辺の騎士にでも、素手で負かせるだけの力をつけてやろう。
時々は、流熊に手習いするのも、いいかも知れんな。」
犬が、尻尾を振りながら、二ッと牙を見せた。
鋭い牙だった。
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