第5話 誘惑

 リリスが退院してから二ヶ月。リョウは一般病棟に移り、窓際のベッドから窓の外を見ていた。思わず駆け出したくなるような程に澄んだ青い空。車椅子でしか移動ができない状態でもなければ、とっくに外に出て行ったに違いない。




 青い空はリリスの髪を思い浮かばせる。遠くに聞こえる透き通った鳥の声はリリスの声を連想させる。なにかある度に、一年以上コンビを組んできた相棒を思い出させる。




『人工脊髄の移植は成功したよ。早ければ後二ヶ月で退院できるだろう』




 医師の声を思い出す。




「何が『成功』だよっ!」




 その声には焦りがあった。怪我の事ではない。怪我ではなく、その後の事だ。




「……HATには乗れない、か……」




 それは同時にリリスとのコンビを解消するという事。




 リリスの事だ。どんな相手を相棒に選んだとしても、うまくやっていくに違いない。リリスにとってみれば、支援砲撃の回数が増えるかどうかの違いにしかならない筈だ。それだけ、リリスの射撃能力は突出している。逆を言えば、前衛を務める人間にとって、リリス以上に頼もしい後衛はいない。




「泣き虫リリス、か……」




 幼馴染みとして育ったリョウのみが、唯一それを知っている。小さな頃はいつだって背中で守っていた。それが士官学校に入った頃には、守る必要がなくなり、卒業の頃には完全に背中を任せるようになっていた。




――どっちが泣き虫なんだろうな……。




 リョウは自嘲気味に笑うと、窓ガラスに両拳を当てて涙を流していた。




「こんな事で、泣けてくるなんて、よ……」




 それほどにまで悔しかった。あの一瞬、油断した自分が許せなかった。もし、一瞬でも早く気付けば、リリスと同じように軽傷で済んだかもしれなかった。その一瞬の遅れで自分の機体は小さく潰され、コクピットブロックが大きく歪んだ。その中で自分は下半身が潰されていくのを感じた。




「許せねぇ……」




 自分をこんな目にあわせたシリウス連合が、こんな無茶な作戦を立てたファウスト参謀少将が、あの一瞬に勝利を確信して油断した自分が、そして……。




「……誰だ?」




 リョウは顔を上げずに声を発した。




「もし、それで気配を消しているつもりなら、訓練所に行って一からやり直して来い」




 それまでとは打って変わった気配に、一人の男が慌てて入ってきた。




「はじめまして。リョウ・ミツムラ少尉ですな?」




 卑屈とも取れる笑顔と態度にリョウは警戒心を強める。




「何の用だ? 軍の兵器開発局の人間が」


「よく、わかりますな」




 正体を見破られても態度自体は変えない。




「ああ、俺の大嫌いな匂いがするからな」




 リョウはそう言うと、窓の外に視線を移す。




「新しい兵器を開発するためなら、人間の命をゴミ以下にしか見ていない連中の匂いだ」


「それは、ずいぶんなご挨拶ですな?」




 下卑た笑顔は変わらない。それを嫌いだと、リョウが言っているにもかかわらず、だ。




「それが証拠に、初対面の相手に名乗りを上げていない」




 それで初めて男は急いで頭を下げる。




「すみませんな。兵器の開発などに従事していると、どうにも世間に疎くなりまして。私の名はリチャード。リチャード・ルーベリック技術大尉です」




 ようやく名乗りを上げた男に、リョウは冷めた視線を向ける。




「リョウ・ミツムラ……少尉だ。それで、大尉殿は俺に何をさせたい?」




 リョウの言葉にリチャードは目を丸くする。




「驚く事程の事はないだろう? 俺とあんたは面識が全くない。兵器開発局の人間だから、エースパイロットたちの名前くらいは知っているかも知れんから、あんたが俺を知っている可能性はある。が、俺にはそれがない。しかも、俺はこんな状態だ。にもかかわらず、あんたは俺を訪ねてきた。それは即ち、俺に頼みたい事があるからだ。違うか?」




 リョウの言葉にリチャードは頷くと、一枚の図面を取り出す。




「これは?」


「HATの設計図の一面だよ」




 あいも変わらず、人を見下したかのような口調にリョウは拳を握りしめた。




「そんな事は見れば一目でわかる!」


「最新最強のHATハーデスだ。私は君を『私のHAT』のテストパイロットに指名しに来たのだがね」




 その言葉にリョウは大きな声で笑い始めた。




「何がおかしいのかね?」


「おかしいさ! あんたの目はちゃんと現実を見ているのか!? 俺の体は車椅子が必要な状態だ! HATなんざ操縦できる訳ないだろうが!」


「本当にそうお思いで?」




 リチャードの言葉にリョウの笑いがピタリと止まる。




「これは軍の『最新型』だ。今までのHATとは操縦系統が少し、いや『全く』違う。自信がないのなら、そう言いたまえ。すぐに代わりの人間を探す」




 リョウのプライドをくすぐるような言葉を混ぜる。




「……自信が無い、だと?」




 リチャードに凄まじいまでの視線を送る。




「いったい誰に向かって言っている?」


「もちろん、クリムゾン・エッジの片割れ、近接戦闘において比類なき戦闘能力を叩きだすエースパイロット、ドッグファイト・リョウ。違うかね?」




 お世辞半分、事実半分。そんなセリフにリョウは小さく笑う。




――もう一度、HATに乗れる。




 それはもう一度、リリスの横に立てる資格を得られるという事。




「……俺が、自信がない、と言うと思っているのか?」




 天の救いか、悪魔の誘惑か。恐らく、九分九厘、後者だ。




「いや、隠さなくて結構。このハーデスの操縦は『非常に』難しい。開発主任の私が言うのだから、間違いようがない。後……君以外に乗りこなせそうな人間といえば、もう片方の片割れ位なものだろうな」




――面白い。




 リョウは素直に思った。恐らく、このリチャードという男、何か人道的に外れた行動をしているに違いない。だが、もう一度、HATに乗れると言うのならば……。




「いいだろう……。その誘い、乗ってやる」




 リチャードの瞳に『狂気』と『狂喜』が宿ったのをリョウは見逃さなかった。






 そして、数日後。リョウの姿は病室から消えていた。

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