獄の基は震え動くへの応援コメント
ややお久ぶりです。
思うところあって、この四月からコメント本体を別の場所で書くようにしています。恐縮ですが、以下のリンクからお読みくださるよう、お願い申し上げます。
https://kakuyomu.jp/shared_drafts/5EjqtA0WwmZ5LZe41A5jPtGv69PeAFks
いつにも増して暑苦しいコメントになってますが、どうぞよろしく。
作者からの返信
湾多珠巳 さん
御清覧とコメント、ありがとうございます
全体として過大評価を受けており、せっかくの評価を否定するようで申し訳ないのですが、こっ恥ずかしくもあります
>まず本作のリーダビリティについて。句読点なしの、ルビを多用した文体、それもWeb小説風に行空けを多めにしたスタイルでもなく、部分的には改行なしのままぎっしりと文が詰まっているような外観……
>……ことば全体が明瞭な話し言葉で構成されていて、声に出したとしても充分読みやすいフレーズ感、音節感が配慮されているからだと。具体的には、逆説の接続辞や、文単位での否定構文などがなく、前の部分に目を戻して一旦読み直さなければならないような文が全くありません。本当に直線的にまっすぐ読んで、すっと理解できる日本語を全文に渡って意識しておられる。
>相当難解なルビも散りばめられているのですが、音声を意識して黙読する分にはことさらつっかかりもなく……
>……どこか謡い上げるような音韻のリズムがある書き方、これはもしかしたら聖書の文体か、あるいは神道の祝詞のイメージが根底にあるのではとも思いました。
Web小説とは言い条いろいろなものがありますから、ひとまとめに扱ってよいものではないでしょうが、たしかに私のやりかたはWeb小説のいわゆるメジャーな作法からは逸れているのやもしれません。これは逆張り意識とか、とくに深い考えがあってのことではなく、なんとなくやっていることです
聖書のイメージが根底にあるというご指摘は肯綮をついたものです。日頃ちょくちょく聖書に目を通しては字面に心を遊ばせているのでその影響があるのと、本作は文語訳聖書からの引用が多いので、それに合わせて文章の型を決めました。たとえばネット上に転がっている創世記の文語訳をご覧いただければおわかりになると思いますが、該訳においては基本的に句読点が使われていないんですね
文章に関しては他にも色色とこだわりがあるのですが、毎回申し上げている通り、私は作者のパラフレーズや自作解説ほど野暮なものはないと思っているので、詳述は控えさしていただきます
>本作の内容を従来的な意味での「ストーリー」にまとめ上げるなら……
>最後のシーンの幻想文学的な仕掛けも含めて、本ストーリーの表面的なビジュアルはことさら難解なものではなく、メッセージ(というものを意識しておいでなら)もダイレクトに伝え得るものだと思いますが……
なんといいますか、現実に被害者がいるものをまるで玩具のようにもてあそんで薄っぺらく扱うことで、実際に苦しんでいるかたがたの心情を踏みにじっているのではないのかという葛藤がありました。まあ、それでも投稿している時点でなんの言い訳もできないのですが
ただ、やはりダボのひとつ覚えみたいに繰り返しますが、自作の意図をくどくど表白するような抜け作行為は避けたいので、そのあたり仔細にくっちゃべるのは止しておきます
>なお、私自身は本作を、今日的な人間の実存に迫った一般文芸作品、として読みましたが、もちろんジャンル小説的な意味でのホラー小説として……
私はハイブローな人間ではないので、難しい話になると、とてもついていけないのでご容赦いただきたいのですが、もともと純文とかエンタメとか、そのほかジャンル分けに関してはあまりこだわりがないので、異象を描いているのでホラーにしておくか、という安直な理由で決めました
これはおもねりや世辞でいうのではなく、正面から作品に向き合ってもらい、熱量のあるコメントをいただけることほど作者にとってうれしいものはありません
いつもありがとうございます
取り急ぎ返信まで
感謝
獄の基は震え動くへの応援コメント
「不条理・クトゥルフ・宇宙的ホラーの本棚」からきました。
拝読しましたが、本当のことを申しますと、作品の核にあるものが非常に強いのでコメントを書くことに少し躊躇しました。
作品概要の参考資料を拝見して、かなり誠実に資料にあたられている感じがあり、これはきちんと読んでコメントしたいと思いました。
私は、作品の中で言葉や場面がどう響き合っているかを追って読むことが多いので、今回はその方向から書かせてください。
少し長文になりますがお許しください。
「あいつらを人間と思うな」という言葉が、最初に来ます。
命令として。
戦地に赴く前に、最初に渡される言葉としてです。
この作品を読んで、まず考えたのはそのことでした。
「豚の群れだ」
「人間は豚に対して何をしてもいい」
「生まれた時から地獄往きが決まってる」
これは、ただの憎しみの言葉ではないのだと思います。
憎む必要すらなくなるように、ためらわなくてもいいように、最初から許可が与えられてしまう。
相手を人間として見ないための言葉であり、撃てるようにするための言葉として置かれています。
そして実際に、その言葉は機能します。
人群は撃たれる
倒れる
銃声が止んだ後、デイヴィットには「負い紐をえらい重く感じた」「寒気を覚えた」とだけあります。
身体が、そのあとに少しだけ反応する。
ただ、それだけです。
「豚を消し去れ」という言葉は止まらなかった。
ただ、ひとつだけ忘れられない場面があります。
PRESSの男が「戦争犯罪だ」と言った直後、兵士が黙る。
目玉が泳ぎ、顔から汗が噴き出し、「須臾すこしの沈黙」が挟まれる。
それから頭を振って、「豚を自由にすると秩序が乱れるんだ」と言い直す。
「お前たちは豚だ」が続く。連打のように。
ここが、この作品でいちばん重いと感じた瞬間でした。
「豚」という言葉は、最初から疑いなく信じられていたわけではなかったと思います。
少なくとも、そこで一度揺らいでいて、その後に、もう一度言い直さなければならなかった。
そして、言い直すことで、その言葉はより強く押し固められて、斉射へ繋がります。
言葉が壊れかけた瞬間に、それをまた言葉で塞いだのだと思いました。
◇
この作品の奥で静かに支えているものについて、私なりに考えました。
帰還後の場面で、デイヴィットは暗い部屋に戻ります。
そこから作品は、なぜそうなるのかを説明するより、崩れていく形そのものを積み重ねていきます。
壊れた壁掛け時計
飛び起きる
「闇。何も見えない」
また何かが動き始める
また飛び起きる
「闇。何も見えない」
覚醒したはずなのに、覚醒が出口にならない。
時計が壊れた後に、「何時だ 何処だ あいつらは何だ」という問いが出てきます。
ここがとても気になりました。
時間の問い
場所の問い
そして、あいつらが何であったかという問い
それらが、ひとつの束として並んでいる。
時計の故障と、「あいつら」の分類が、同じ場所で壊れているように見える。
「あいつらは何だ」という問いが、まだデイヴィットの中に残っている感じです。
複数のデイヴィットが現れます。
私が印象に残ったのは、その出てき方の違いです。
裸身のデイヴィットは、ただ見ている。泣いている。
軍服のデイヴィットは、浴室から現れて聖句を怒鳴る。
血塗れのデイヴィットは「あいつらは豚だったんだ」と繰り返し叫びながら、鏡を割り、時計を壊す。
魚の腹のような色をしたデイヴィットは、吸気口から出てきて「汝殺すべからず」と這いながら唱える。
首を吊ったデイヴィットは、天井から振り子のように揺れている。
同じ名前の人間が、これだけ別々の身体に分かれています。
「豚だったんだ」という正当化と、「殺すな」という禁止を、ひとりの身体の中に同時に置いておけない。
だから、それぞれ別の身体が引き受けているように見えました。
矛盾を解決するのではなく、ばらばらに分けて持っていくしかなかったように感じました。
聖句も、この作品を通じて何度も出てきます。
戦地に向かう前に最初に現れる聖句は、許可の言葉のように囁かれます。
「汝がその敵より奪ひ獲たる物は……楽しむべし」
虐殺の後、死骸が蠢き出す場面では、今度はこの一文が繰り返されます。
「この苦しむもの叫びたればヱホバこれをきき そのすべての患難よりすくひいだしたまへり」
苦しむ者が叫んだら神は聴く、という言葉が、殺した直後に、デイヴィットの口から出てしまいます。
けれど、それが本当に彼自身の言葉なのかは、もうはっきりしません。
許可のように聞こえていたものが、今度は告発のように戻って来ます。
さらに後に、この一文が来ます。
「汝殺すべからず」
同じ聖書から取られた言葉が、進むにつれて向きを変えていきます。
許可から、
告発へ、禁止へ。
ただ、それを誰が言っているのかは、最後まで曖昧なままです。
冒頭で「それが他者の声なのかあるいは識閾下で発せられた己の独言なのかは判らなかった」と書かれます。
その曖昧さは、後になっても解けません。
外から来た声なのか
自分の中から出た声なのか
それとも、その区別自体がもう壊れているのか
読んでいて、そこも怖かったです。
◇
記憶の場面です。ここで、私にとって、とても重い表記が出てきます。
「豚ひと」
「豚いしゃ」
「豚こども」
「豚ちちおや」
「豚ははおや」
「豚ろうじん」
文字の上では「豚」と書かれている。けれど、その「豚」には読みがついています。
「ひと」
「いしゃ」
「こども」
「ちちおや」
「ははおや」
「ろうじん」
表記は非人間化の言葉を使っているのに、読みの側には人間の属性が残っている。
医者であり、子どもであり、父であり、母であり、老人であったことが、消えていない。
「豚」という言葉は、殺すためには機能しました。
でも、人間だったということを消すためには、機能しなかった。
この差が、作品全体に残っているように思いました。
殺すことはできてしまった。
でも、殺した相手が人間だったことまでは消せない。
その消し残しが、帰還後の部屋に、説明のつかない形として戻って来ます。
時計として
暗闇として
複数のデイヴィットとして
聖句として
赤い人影や、赤い球体や、心臓や、眼球のようなものとして
なぜこうなるのか、作品は答えを渡してくれません。
「罪悪感のせい」とも言い切らない。
「神の裁き」とも言い切らない。
「PTSDだから」とも言い切らない。
ただ、崩れていく形式が積み重なっていきます。
そして重要なのは、崩壊がずっと先に来ていたという順序です。
時計の問いも、複数のデイヴィットも、赤い系列も、認識の言葉よりずっと前に部屋を満たしていました。
終盤で、冒頭の命令場面がもう一度置かれます。
「あいつらを人間と思うな」という上官の言葉が戻ってくる。
そこでデイヴィットが「あいつらは豚じゃなかった」と返す。
上官は宙へ踏み出し、砕け散る。「権力は呆気なく消えた」と書かれる。
ここを、単純に「言い返したから権力が消えた」とは読めませんでした。むしろ、あの場面では、分類の言葉がもう前と同じようには働かなくなっている。その結果として、上官の立っていた場所そのものがなくなってしまったように感じます。
「あいつらは豚じゃなかった」は、「彼らについての」言葉です。まだ、彼らの側を指しています。
でも直後に来る「オ レ ハ ニ ン ゲ ン ヲ コ ロ シ タ」は違います。
主語が「オレ」になっている。一語一語、確認するように三度繰り返されます。
「彼らは人間だった」から、さらに進んで、「その人間を殺したのはオレだ」という認識が来ます。
ここに、この作品のいちばん冷たい到達点があると思いました。
崩壊は認識よりも前に、ずっと先に来ていた。
認識は、その崩壊の末尾に、最後にたどり着いた発話として置かれている。
最後の行為について、私には言い切れませんでした。
「聖餅ホスチアを拝領うけるように銃口を咥える」という比喩が重ねられます。
聖体を受けるような動作として、引き金が引かれる。
それが何であったのか。
罰なのか
儀式なのか
逃げることなのか
自己処刑なのか
あるいは、また別の何かなのか
作品はその答えを渡してくれません。
起きたことは、はっきりしています。
でも、それが何だったのかは、最後まで言われない。最後まで。
「豚」という言葉は、殺すためには機能しました。
しかし、人間であることを消すことはできませんでした。消せなかったものが、崩壊という形を取って部屋に満ち、そしてその末尾に「オレハニンゲンヲコロシタ」という一人称の言葉だけが残りました。
そこから引き金へ移る意味を、作品は渡してくれません。
そのほどかれなさが、読み終えてからもずっと続いています。
◇
追記
もう少しだけ深くします。
この作品で最後に残るのは、思想でも救済でもなく、ひとつの文なのだと思いました。
「あいつらを人間と思うな」は命令です。
誰が思うのか
誰が撃つのか
その主語は、兵士連の中へ散らされています。
「豚」は分類です。
相手を別の名前に変えて、殺せるものにする言葉です。
最後に残る一文は違います。
「オ レ ハ ニ ン ゲ ン ヲ コ ロ シ タ」
そこには、もう逃げ場がありません。
オレ
ニンゲン
コロシタ
誰が、誰を、どうしたのかです。
「豚」という言葉で隠していたものが、最後には文の形で戻って来ます。
人間が戻ってきた瞬間に、その人間を殺した主語としての「オレ」も戻ってきます。
だから、この作品は「人間性が回復される話」ではないのだと思います。
むしろ、人間という語が戻ったせいで、消していたはずの主語まで戻ってきてしまう話に見えました。
そして、その文のあとに引き金は置かれます。
けれど、その行為が何を意味するのかは、やはり最後まで決まらない。
贖いなのか
罰なのか
逃避なのか
儀式なのか
どれかに閉じる前に、作品は終わる。
最後に残ったのは、「オレが人間を殺した」という文から、もう逃げられないことでした。
その文だけが、ほどけないまま残っている気がします。
作者からの返信
Lina Ictus Fluctus さん
御清覧とコメント、ありがとうございます
篤い反応をいただきまして、輓近、泥のような心持ちで過ごしていた私は目が潤みました
さて
私は作者のパラフレーズや自作解説の類を好まないため、いただいた疑問等に真正面からお応えすることはできませんが、以下、とつとつお返辞を叙したいと思います
本作を書く少し前(去年の今頃ですが)、私は己の自業自得で体調を崩し、また行動の自由を極めて制限された状態で暫くおかれたため、だいぶ頭の具合が悪くなっていました(その影響は現在まで継続し、だいぶ茫茫とした頭でいるのですが)
で、廉恥もなにもあったもんじゃなく、こんな読みづらい自分ひとりで気持ちよく唄っているような小説を書いてしまったんですね
それを熱心に読み解いていただき、感謝するほかありません
冗談はさておき
やはり己の文章を己で説明するような野暮吉を働きたくはないので、曖昧な言になってしまうのですが(お言葉を拝借すれば『答えを与え』ない!)
莫迦でダボな私なりに色色と思うところがあり、それが本作のテーマを選ばせたのでした
現実に苦しんでいるかたがたがおられる問題を、私のような人間が軽く扱ってしまうのは、斯く苦難の裡にある人の思いを踏みにじるようなもの
しかし絶望的で苦難を決定づけられているような世界で、塵のように愚かで莫迦な私であっても、なにかを表し、人を苦しめるもの、人間を人間と思わないような考え、などと距離を取りたいと希んでおりました
で
苦しみや悲しみは過去の一点で完結したものではなく、苦しんだ人間、悲しんだ人間、そういった人間たちは「今も苦しみ続けて」「悲しみ続けて」いる
死んだ人も含めてです、むろん人以外も
これは歴史的なできごとの経過とは別の次元のことです
私が苦しめたもの、悲しめたもの、それは、そのものの現在のありようとは別に、現在継続系で「苦しみ続け」「悲しみ続け」、世界に呈示されている
序で正しいクロニカルなものではない本作では、直線、円環、(対数)螺旋などの時間の捉え方、それらをてれこに使っています
よくもまあ、こんな独りよがりな文章を尻まで読んでくださいました
ひたすら死のことばかり考えている生活で
貴方のレスポンスは確かに私の魂を救ってくれました
煉獄に冷たい風が吹くと魂たちは微かに揺らぎながら喜ぶ
鄙の立ち飲み屋から壊れた頭(しかも酔っている!)で取り急ぎ
感謝