ARTIST
和泉
ARTIST
――都内某所。
薄暗い部屋に呼ばれた俺は、モダンなソファーに腰を掛けていた。
壁には無機質なアートが掛かり、空気は静寂と無言の圧で満たされている。
「……藤平君、キミにとって”ARTIST”って何だと思う?」
そう問いかける記者の声は、柔らかくも鋭く、
まるで暗闇の中で刃を研ぐように俺の心に突き刺さった。
俺は少し間を置き、そして呟いた。
「才能がある人……ですかね。
でも、それを決めるのは他人なので、
僕は結局、ずっとそれを探している途中の人間なんです。」
記者のペンを走らせる音だけが、部屋の静寂を切り裂いた。
ふと、自分の胸の奥でまだ燻っている不安と期待が、交差するのを感じていた。
「……キミは”ARTIST"じゃないというなら”何者”なんだい?
少なくとも、私はキミを本物なんじゃないかと期待しているよ」
俺は記者の視線を避けるように、ソファの肘掛けに指を滑らせた。
そこに本音を置く場所なんてないって、知っているくせに。
それでも、言葉にしなければ、ここには何も残らない。
「……詐欺師、ですかね」
記者の眉がわずかに動いた。
「作品という仮面を被って、
自分の醜さや弱さを飾って、
“感動”だの“表現”だのって言いながら……
本当は、ただ認められたかっただけの、子どもです」
記者は何も言わず、ただ静かにうなずいた。
ペンを走らせる音が、やけに耳に残る。
きっとこのインタビューの後、俺の言葉は編集され、
“作家・藤平の純粋な告白”とか、そんなタイトルを付けられるんだろう。
そんなの、全部、嘘なのに。
――結局、大人は”何も見てはくれない”。
*$*$*$*$*$*
去年……高校2年生の夏休み、アデレード。
俺は、ある大学の文学棟の片隅にいた。
名もない日本人留学生として。
“創作”の授業で課された課題は、「自分の物語を書け」というシンプルなものだった。
だけど、クラスメイトたちはその“simple”を、才能のように軽やかに跳ね飛ばしていった。
殺人鬼の心理を描いたスリラー。
母親への怒りを詩にした少女。
エッセイ風のユーモア、魔術と政治の融合……。
俺はというと、
ただ、日本で培ってきたものが通じなかった。
いや、何より、何を伝えたいのかが分からなかった。
文字は書け、言葉も選べた。
でも、肝心な”中身”に何もこもっていなかった。
まるで自分の中で何かが拒むかのように言葉を崩していった。
自分の“物語”って、なんだ。
俺にはまだ、語れるような過去も、
誰かの心を揺さぶるほどの“傷”もなかった。
でも、周囲は違った。
17歳のくせに社会の不条理を語り、
愛だの暴力だのを、まるでプロットの一部のように扱う。
俺は思った。
――こいつら、何なんだよ。
同じ歳のはずなのに。
なんでこんなに、自分のことを語れるんだ。
その時、自分が招かれた理由を悟った。
“エキゾチックな存在”。
“アジアから来た珍しい作家の卵”。
“英語で苦戦しながらも頑張ってる子”。
そういう”背景”が、俺をこの場に置いたのだ。
“才能”でも、 “物語”でもなかった。
俺は作品じゃなく、
飾りとしてそこにいた。
書くものすべてが、 “日本っぽいね”“詩的で面白いね”と、遠くから褒められる。
けれど、誰一人として、俺の言葉の意味を掘り下げようとはしなかった。
俺の小説は、翻訳された途端に死んだ。
その死体に、「君らしさがある」と言われた。
――冗談じゃねえよ。
その留学期間で、多くの参加者は”成長”し各々が煌めく夜空の星になった。
俺みたいな”凡才”はただそれを見上げて、手にしようとするも届かない。
その星に触れたふりをして、爪先立ちで書いた文章は、
どこか嘘くさくて、浅くて、すぐに剥がれた。
だけど、俺にはもうそれしかなかった。
書くことが好きだなんて、そんな甘い言葉じゃない。
書くしかなかった。
何も伝わらないのに。
誰にも届かないのに。
ある日、教授が言った。
「You don't have to impress, just express. 」
――表現しろ、魅せようとするな。
その言葉が、なぜか一番刺さった。
俺が今までやってきたことは、きっとその逆だった。
“褒められるように書く”。
“評価されるように生きる”。
そうじゃないと、 “才能がない自分”を赦せなかった。
その怒りに身を任せ”ただ綴っただけ”の物語が日本でヒットした。
そうして俺は、 “才能ある若手作家”になったらしい。
メディアも、SNSも、ファンレターも。
俺の“怒りの残骸”を、美しくラッピングしてくれた。
そして今、こうして取材を受けてる。
「君にとってARTISTとは?」なんて、薄暗い部屋で訊かれてる。
滑稽だと思わないか?
……いや、俺が一番、笑ってるんだろうけど。
*$*$*$*$*$*
「……そうですか。キミは詐欺師だったのか。」
記者の男は、そう呟くとペンを机に置き、天井を見上げた。
「……高校生なのに300万人もの人々を欺けるなんて……とんだ詐欺師だよ。」
そう言って笑った男の目は、どこか乾いていた。
まるで、かつて何かを信じて、傷ついた人間のそれだった。
俺は俯いたまま、何も返さなかった。
嘘なんてついてない。
ただ、俺は”本音”を見せなかっただけだ。
だから、欺いたのは読者じゃない。
――俺自身なんだよ。
「大人になると……嘘ってのは”あたりまえ”になる」
記者は、俺に目線を合わせ語りだした。
「本音ばかり語るヤツは煙たがられる。
本音を隠せないヤツは”面倒くさい”って切られる。
嘘をつけない人間は、結局、どこかで潰れるんだよ」
俺は黙って聞いていた。
それは、まるで未来の自分からの予告状みたいだった。
「だけどな……」と記者は言った。
「その嘘が、誰かを救ったり、誰かの居場所になったりするなら――
それは、もう“芸術”なんだよ」
ペンをもう一度手に取りながら、彼はにやりと笑った。
「キミはそれを、高校生でやってのけた。 “詐欺師”って言ったけどさ……
もしかしたら、それこそが――ARTISTってヤツなのかもしれないな」
「……だったら才能なんてものは――――」
「そう。ただの”飾り”なんだよ」
記者の声には、何の熱もなかった。
まるで、昔から何度もそう言い聞かせてきたように。
希望を削り取った末に残った、乾いた答え。
「キミの文章が届いたのは、 “うまいから”じゃない。 “本当っぽかった”からだ。
自分を偽ってるヤツにしか書けない痛みって、あるんだよ。
……それが今の時代、人の心に刺さるんだ」
俺は、ふと思い出していた。
留学最終日の夜、星が滲んだ窓の向こうで、
ホームステイ先の老婦人に言われた言葉。
――「あなたは何者にもならなくていい。ただ、何かを見つけて帰りなさいな」
あのとき、見つけたものは、まだ言葉にはならない。
でも、きっと“あれ”こそが自分の物語だった。
「……もう、帰っていい?」
俺がそう言うと、記者は静かに頷いた。
そして扉の向こう、鈍い夕陽が部屋の縁を照らす中、
俺は静かに立ち上がる。
ドアノブに手をかける直前、ふと思いついたように振り返った。
「ねえ、最後に一つだけ。
あなたって、昔……小説家でしたか?」
記者は答えなかった。
ただ、こちらを見て、ほんの一瞬、寂しそうに笑った。
俺はそれを答えだと受け取り、扉を開けた。
――静寂の中に、微かな風が吹いた気がした。
『ARTIST』
いつだって、ほんとの嘘からしか、本物は生まれない。
ARTIST 和泉 @115232
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