第13話 つくばねの空の下
つくばねの 峰より落つるみなの川
恋ぞ積りて 淵となりぬる
—陽成院
——
──つくばねの 峰より落つる みなの川。
あの川の水音は、ずっと胸の奥に残っているの。
あなたは、覚えていないかもしれないけれど。
あの夏の、こと。
*
最初は、ただの風だった。
通りすがりに、私の髪を揺らしただけの、
それだけの存在だった。
けれど、それが何度も何度も吹き過ぎるうちに、
私の胸には、小さな波ができた。
その波が重なって、寄せて返して、
気づけば、深く、深く沈んでいった。
──気づいたときにはもう、
あなたが笑うたびに、胸が痛んでいたの。
それが恋だと、わかるには
時間がかかった。
でも、わかった頃にはもう、
伝える場所がなかった。
私は、遠くへ行ったの。
見送るあなたの背中を、
あの筑波の夕日に重ねながら。
伝えなかったことを、
いまさら後悔してるわけじゃない。
ただ、
ひとつだけ、願いがあるの。
──あのときの私が、
たしかに誰かを想っていたことを、
せめて、風に覚えていてほしい。
恋は積もって、積もって、
もう、どこにも流れていかなくなった。
でもそれでいいの。
この胸の底に、そっと沈んでいくのなら。
それが、
私の、
最後の旅路。
*
手紙を読んだ郵便局員は、
そっと目を閉じた。
白い封筒の中には、淡く乾いた花びらが一枚。
きっと、あの国で咲いたものだろう。
──彼女は誰かを愛した。
けれど、その誰かに愛されたわけではない。
それでも、確かに、心を差し出した。
静かに便箋を閉じる。
風が、また吹く。
机の上に置かれた風の地図の上で、
花びらがひとつ、はらりと舞った。
その音だけが、
この場所に、恋の終わりを告げていた。
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