第一夢

 久しぶりに夢が繋がった。

 

 この『私』に、私は逢ったことはあるだろうか。

 夢を見ながら、私はこれが夢であることを認識している。

 珍しい。

 夢を通じて、他の世界線の『私』に逢うことはたまにあるのだが、大抵は、起きる瞬間に気づくのだ。


 

 『私』は暗い夜道を運転していた。

 見慣れたコックピット。

 愛車も同じとは、さすが『私』だ。趣味が合う。


 この車は発売当初から気になっていた。


 コンパクトで排気量も多くなく、なんちゃってだが四輪駆動。

 車高もそこそこ高いので、ちょっとくらいの悪路はなんとかなり、一応SUVというカテゴリーに入る。

 燃費は正直それほどよろしくはないが、運転がしやすいのも良い。


 私くらいのライトなユーザーには、性能も必要充分。


 そして、目を引く顔も好みだが何よりおしりのフォルムが良い。

 車というのは、おしりを見られている時間の方が圧倒的に多いのだ。

 向かってくる車の顔を認識するのは、すれ違いざまの一瞬だが、走行中見続けるのはおしりだからね。そこは拘りたい。


 この『私』も、そんなところに惹かれてこの車に乗っているのかなと、私は思った。


 走行距離も少なく、年式も若い状態の良いものが市内に取り扱っているのを中古車検索サイトで見つけて、実車を見学に行って、私はほとんど衝動買いでこの愛車を手に入れた。


 新品でないものは、実際に見て触れて感じてみなければ怖くて買えない。

 私はだけども、その程度にはしまうからだ。


 この『私』は、私より運転する頻度が多いみたいだ。

 走行距離がまるで違う。

 そして、運転しているのが私ではないことに気づいた点はもう一つあった。

 カーオーディオから曲が流れて来ていない。

 私は運転中に何か曲を流していないと、いられないのである。


 『私』は焦っていた。

 降りしきる雨の中、夜道を照らすのは自分の車のヘッドライトくらい。

 同乗者はいない。


 私が夜に運転するのは、飲み会帰りの夫を迎えにいく時くらいしかない。

 自宅周辺よりも賑やかな駅前に向かうときだけだから、そもそもこんな暗い道を一人で走ることがまず無い。


 道には見覚えがあった。

 隣の、古くは城下町だった市から流れて来て、住居のある市をまたいで海に流れていく川沿いの道だ。


 今は雨のせいで水かさが増し、黒々とした水がごうごうと流れている。

 赤い欄干が目をひく川を右手に見ながら、『私』は何かから逃げるように車を走らせていた。

 左手には住宅街が続き、なかなか左折できる道が現れない。


『私』は左折しなければならなかった。帰る方向は左。

 川を渡ると遠回りどころか、


 運転しているだけだというのに、息が荒い。

 『自分』の吐息が耳障りだった。


 『私』はバックミラーに目をやった。後続の車は無い。ただ真っ暗な闇があるだけ。

 バックミラーに映る闇の中に、一瞬、何かが動いたような気がした

 

『私』はごくんと唾を飲み込んだ。


(やっぱり、追いかけてきている)


 雨が強まってきた。

 車内に蒼く光るカーナビを確認した。

 

(この先にやっと左折できる道がある。ここで曲がることさえできれば⋯⋯)


 目的の道の手前に、黄色いトラックが見えた。

 これから工事をする為に、今まさに到着したという感じだった。作業員が夜間灯を配置している。まだ点けられてさえいない。

 眼の前で通行止めの看板が立てられた。

 レインコートを着たおじさんが旗を降る。『右折をしろ』。


 (まただ)


 戻ることは出来ない。

『私』は仕方がなくハンドルを右に切って、示された橋を渡った。


 更に遠ざかってしまった。

 どんどんと、逃げ道を塞がれて行く感覚があった。


(この川は渡りたくなかったのに……)


 『私』の焦燥がひどくなっていく。

 雨冷えで指先は冷え切っているのに、妙な汗が身体を伝って気持ちが悪い。


(どうしよう。アイツに追いつかれてしまう……)

 

 川を背に、『私』は住宅街を走らせた。

 この辺りの土地勘は無い。下手に曲がって行き止まりにでもなったら目も当てられない。


 『自宅』を示すナビは、とっくに役に立っていなかった。


 おかしいと、私は思った。

 いくら夜だからと言って、常夜灯のひとつ、窓から漏れでる灯りのひとつもない住宅地なんてあるものだろうか。


 それ以上行っては行けない。


 私は思うが、『私』は車を走らせ続ける。


 やがて、たっぷりと水を貯えた池にぶつかった。真っ黒な水面は鏡のように凪いでいる。


 いつのまにか、雨はあがっていた。


 水辺に一本の藤の花が咲いていた。

 藤色というには、やけピンク味が強く、妖艶に闇の中に浮かび上がっている。


 曇天に星は無い。水面に映るものは無い。藤の花すら


 おかしい! 

 ここに居てはいけない!!


 私は思うが、『私』は呆然と立ち止まったまま、水面を見下ろしている。


「こっちだ!」


 某声優に似た、ものすごく良い声が、闇を切り裂くように『私』を呼んだ。


   ※※※


 激しい動悸と喉の渇きに目が覚めた。

 びっしょりと汗をかいていた。

 

 これは私の動悸じゃない。

 夢の向こうの『私』のものだ。


 ナイトモードでつけっぱなしのクーラーで、快適に保たれているいつもの寝室。

 私は枕元の水筒の水を口に含んで、人心地ついた。


 隣には変な格好で寝息を立てている夫。

 足元には涼を求めて潜り込んできた猫が、くつろいだ相好で寝こけている。

 いつもの風景。いつもの場所。いつもの環境に私は安堵した。


 今は七月。

 猛暑、酷暑と呼ばれる日々が続き、とてもじゃないがクーラーなしでは寝られないい夜が続いていた。

 しばらく雨も降っていない。


 夢の先では冷たい雨が降っていた。

 藤の花が咲くのは、この辺りでは四月下旬から五月に跨るくらいである。

 今年は寒暖差が激しく、開花が遅かったと記憶している。

 悪天候に苛まれ、体調を崩して出かけるどころでは無かった為、記憶が曖昧だった。


 あの『私』に逢ったのは初めてだという気がした。

 これまで逢ったどの『私』の中にも『視える』人は居なかったはずだ。

 

 覗いたバックミラーの中に、あの『私』はたしかに何かを『視て』いた。

 

 真っ黒な奇妙な池が気になった。

 おそらく、『私』は川を渡ってはいけなかったのだろう。

 

 私は時計を確認した。まだ午前三時を回っていなかった。

 もう一口、水を口に含んで眠りについた。


    ※※※


「もう少しだ。振り返るな。まっすぐ進め!」

 

 珍しい。

 少し場面が飛んだが夢が続いている。

 

 イケボの青年の背中を『私』は追っていた。

 誠に勝手ながら仮称マモルと呼称させてもらおう。

 

 車は置いてきたようだ。戻れない以上仕方がなかったのだろう。

 この『私』も気に入って手に入れた車のはずだ。あとで取りにこられればいいと思う。


 木に似せたコンクリート製の柵で覆われた黒い池を左手に、極力水面は見ないようにしながら進んでいたが、やがて仮称マモルは池を離れて草むらに足を踏み入れた。

 のネルシャツを着こなし、スリムなジーンズの長い足で、下草を踏み分ける様に先を進む。

 手にした大型の懐中電灯で、行き先を照らしてくれていた。


 『私』は喋らない。

 湿り気の多い空気の中、仮称マモルを追うのが精一杯だった。

 集中していないと、すぐに離されてしまう。仮称マモルの足は早い。

 

 草むらを抜け、街灯の下まで来てやっと仮称マモルは足を止めた。

 公園だった。

 街灯の横には満開の藤棚があった。落ち着いた綺麗な藤色をしている。野田藤だろう。

 眼下に人家のオレンジの灯りが見えた。


「アレは何だったの?」


『私』はぜいぜいと息を吐きながら、仮称マモルに尋ねた。

 

 仮称マモルが振り返った。

 随分と背が高い。『私』は見上げる形になる。

 

 仮称マモルの顔を認識する前に、輪郭がぼやけた。


 「アレは……フニャム◯△▽……」

 

 声も途中から妙な反響音が混ざって、聞き取れなくなる。


 もう少しだけ!

 私の思いも虚しく意識は浮上して行き⋯⋯。


    ※※※


 目が覚めた。

 胸の上には、覗き込む愛猫の顔がった。


「ムニャオゥ〜」


 なにか言ってる。

 時刻は午前五時十八分。

 あと十分程で、目覚ましが鳴るという時間。

 

 そうかそうか。

 いいところでお前に起こされたのか。お猫様。


 たかだか四キログラムでも、胸の上の乗られると起き上がれない。


「どいてくれないと、起きられないんだけど?」

「ニャ!」


 わかっているのかいないのか。

 やたらいい返事をして、降りてくれるお猫様。


 水筒とスマホを手に廊下に出ると、この時間ですでに茹で上がりそうなむわっとした蒸し暑さが迫ってきた。

 今日も暑くなりそうな予感にげんなりする。


 ふとカレンダーが目に入った。

 向日葵の写真で夏らしさを演出された七月。

 

 夢との二ヶ月の誤差。


 ボロボロで、自分のことで精一杯だった当時の私には受信できなかったゆえの誤差だったのだろうか。

 が旧暦のお盆であることは関係あるのだろうか。

 私の故郷でお盆といえば、旧暦の七月だった。

 

 あの『私』が、無事に家にたどり着き、後でちゃんと車も回収出来ていることを私は願った。


第一夢 完

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