第32話摂食障害と生きること、電子書籍を読むのをやめたこと

昨夜は2時までパートナーのケアと家事をこなし、消耗しきっていたので、FAUCHONのバターナイフでトーストにクリームチーズを塗ったものと、ほうれん草とベーコンのソテーを作って、SpodeのBlue Itarianにルイボスティーを淹れていただいてしまった。ほうれん草のソテーはパートナーもご所望だったので2人前を作った。

 自炊はひとり暮らしをしていた頃と、同棲時代の1年目ごろまではまだ持病のめまいや、病状がここまでひどくなかったので、3食担っていたが、2021年に今は絶縁した実母と、義母が離婚した元義父とのそれぞれの間で私が適応障害を発症したため、夕方になると調子を崩すことが増えて、夕食が作れなくなってしまった。

 めまいもなかなか厄介で、火を使った料理をするとめまいを起こして手元がしょっちゅう狂うので、凝った料理を作れなくなってしまった。だんだん年を追うごとにできなくなることが増えて、このまま12月に35歳を迎えたら、さらにできないことが増える気がして、気が重い。

 そのような中でも冷凍野菜や缶詰などを使って、簡単な調理は日々行なっていて、夕食作りはパートナーにお願いしている状態だが、それ以外の家事は私が担っている。

 そうした中で少しでも料理ができるとやはり自信になるなと思う。

 とはいえミルタザピンの副作用はなかなか重く、どうしても過食してしまう。と言っても一般的な過食と違い、ひと目見ても明らかに多すぎる量を一度に食べるのではなく、つらい気持ちになるとそれまでより2〜3割ほど食事量が増えるといったところで、それでも39kgだった体重は41kgになってしまい、通院日が来たら主治医に話すつもりでいる。

カロリーにすると1日だいたい960kcalほどしか摂れていない状態だったのが、1500kcalほどになっていて、それは太るな、と思う。

 だがこの調子でせめて43kg台までは体重を増やさないと、病状の改善が見込める余地はないことは頭ではわかっている。しかし、太るのが怖いという気持ちはなかなか消えない。

 自分自身が適応障害から発展したうつ病と、実親との絶縁や、義両親の離婚という、自力ではコントロール不能な環境に置かれたのがきっかけとなって、拒食状態に陥っていることはわかっているし、それから一年ほど経ってなお病状が改善しないことは未だに受け入れがたい。

 パートナーからも「両親のことはもう終わったことだから」と言われるし、主治医からもそのように諭されるので、いつまでも心身ともにひとりで引きずっている身が情けなく思えてきてしまう。

 しかし環境の急激な変化が私の病状を悪化させていることは間違いないのだろう。

 それをすぐに克服できないのは弱さゆえかもしれないが、しかしそれを間違っているというレッテルを貼られるのはなかなかつらいものがある。

 拒食状態のメンタリティの克服はそう簡単にできるものでもないのだと、覚悟は決めている。

 10代、20代の若い女性ならまだしも、30代になって発症するなんて、という思いもあるが、ある種の精神的な弱さを体が表現してしまっているのだろうと受け止めているが、この認識が正しいのかどうか、今はわからない。

 摂食障害の本などを読んでいると、治療に向かうまでのハードルが相当高いのに、「治りたい」という前提からスタートしているものが多くて、どうしても途中で手が止まってしまう。

 病とともに生きる道を考えるほかないのではないか、という思いが私の中にはある。それは基礎疾患にしても、今年から患いはじめたうつ病にしても同様だが、慢性疾患として一生付き合っていく覚悟が必要なのだろう。

 治らなくては、改善しなくては、と思うとつらくなってしまうし、死なない程度に生きていればそれでいい、と最近は思うようになってきた。その中で素晴らしい音楽や芸術、書物との出会いがあれば、それで十分なのかもしれない。

 それから朝7時まで眠れず、18時に起きて、パートナーからとある上製本の電子書籍版がセール価格になっているという話を聞いたのだった。私は上製本なら紙で欲しい、と返した。

 私自身は先月から電子書籍を読むのをやめてしまった。物価高騰で紙の価格が上がり、結果的に紙の本が高くなっていることは実感している。

 しかし、ここのところその物品は、その価格に見合うものかどうかという価値判断は自分で決めていいのだ、ということに気づいた。

 これはSpotifyを抜けてクラシックの音源を集めはじめてから感じるようになったことだったが、1点1500円の3枚組のクラシックの輸入盤のCDと、1点15000円の小さなぬいぐるみが同じ価値を持っているとは私には思えないし、内容がほとんどない1300円のコミックエッセイと、1650円の石原吉郎の評伝は、後者の方が私にとっては価格に見合うだけの価値を持っている。

 そのような価値判断を消費者がそれぞれの基準に沿って行なっていくしかないのではないかと思う。

 セール価格だからといって、さして欲しくもないものを買うつもりはないし、逆にお金を払うに見合うだけの価値のあるものについては対価を支払う。

 そうして私は先日、稀覯本を2冊ほど買ったのだった。内容については伏せるが、今から届くのが楽しみだ。

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