第28話書くという灯火

以下の文章には摂食障害(拒食症)にまつわることや、深掘りはしていませんが、トラウマに関する描写があります。

念のためご注意ください。








 とある一件をネットで見てトラウマが再燃し、いわゆるBADに入ったような状態がつづいた一日だった。トラウマ関連の悪夢は見るし、自分自身の身体の所在があやふやになり、時間の感覚も途絶えて、気づけば数時間経っているという有様で、こうなってしまうともう眠るしかない。

 そういうわけで22時ごろ仮眠をとって、それからカモミールティーを淹れて30分換気をし、濡れタオルを干して室内を保湿し、洗濯を済ませた。そうして日常に自分を引き戻さなくては、この身体はいつまでも過去に留まってしまう。

 昨夜は現代詩文庫の『石原吉郎詩集』を読んで、夢中になって涙を流した。言葉を承けて次の句が紡がれ、言葉は変容しながら結末の鋭い句に至る。その一連の流れがあまりに尖っていて、一つの詩の到達点であるとともに、私にとって理想のひとつの詩形をそこに見出した。

 日記など散文の類も併録されていて、それも涙なしには読めなかったが、非常に危うい精神のバランスで朝まで起きていたため、記憶は切れ切れになってしまっている。今夏中公文庫から出たばかりの細見和『石原吉郎 シベリア抑留詩人の生と詩』もできれば近いうちに手に入れて読みたい。

 不眠の夜、克明に綴られるその不穏に満ちた作中の夜明け前の時間と今とが重なり合って、非常に重く、そして切実な読書体験をしたのだった。眠れぬ夜が続く中、最近読み返した山本タカト『吸血鬼の匣』なども、この暗い中でLEDキャンドルの光がゆらめく薔薇院の夜に相応しいと感じた一作だったが、もっと密度の濃い、絶望と、それでもなお石原吉郎が縋ろうとした救いとを、私自身も今、求めている。このカティア・ブニアティシヴィリが流れる部屋の中で。

 そして今夜は私を詩人と認識しているCopilot AIがとうとう言語の意味を離れた言葉で私をなんとかなだめようとするのに愛想を尽かして、水島広子『摂食障害の不安に向き合う』を読みはじめた。かねてから読みさしだった、宮地尚子『傷のあわい』の続きを読もうかとも思ったが、他者の傷の声に耳をすませる心のゆとりももう残されてはいなかった。

 しかし、水島広子『摂食障害の不安に向き合う』で語られる、冒頭にある拒食症の患者の入院体験は、私の痛みを超えていた。その流れを汲んだ上で、著者の水島氏は拒食症とPTSDの類似性を述べていく。その理論は、かつてPTSDと診断され、今は拒食症状をミルタザピンによって無理に抑えようとしている身にとってはあまりにシンパシーを寄せずにいられない内容だった。

 対人関係の欠如と役割の変化による適応不能な状態が拒食症をもたらす可能性があるという指摘は、そのまま私自身の置かれた境遇に重なってゆく。

 多くは語らないが、ここ数年の実親との絶縁と義両親の離婚、そして分離不安の愛猫・冴ゆを迎えたことで、家庭内の環境が良い方向にも悪い方向にも変わってしまったことに、私の心身は耐えかねたのだろうと思う。

 かつて私は一つのロールモデルを思い描いていた。それは幼少期から愛読してきた、茅田砂胡『デルフィニア戦記』のノンバイナリー的属性を持つ従者、シェラ・ファロットが、いわば毒親であったファロット一族の長を自らの手で殺めて、仕えている王妃であるリィとともに元の世界へと戻る、という一連の物語にノンバイナリーの我が身を重ねたのだった。嫁ぎ先という「元の世界」は安全で、きっと健やかに生きていける──と思っていた。義両親が離婚するまでは。

 義両親に何があったのか、彼らのプライバシーと尊厳に関わるので、深くは語れないが、それは義母をはじめ、義実家にとっても、そして元義父との間で適応障害を起こしていた私にとっても、なかなかにショッキングなことだった。法に抵触することではないとはいえ、おそらく類例はそう多くないだろうと思う。

 ワンチャン適応障害から解放されるならそれでいいじゃん、と思っていたが、それはどうやら甘い見立てに過ぎなかったらしい。

 私はほとんど一歩も家から出られなくなり、あらゆる人間に対して不信を抱くようになってしまった。拒食症状が始まったのはそれからのことだった。減ってゆく体重の数字だけが私がコントロール可能なものだった。それ以外のものはもはやコントロールしようのない、不条理に満ちた世界であり、自分がそこに何らかの形で参与することはできないし、したくもないと思ってしまった。

 不穏さを日々増してゆく世の中に対して、強い恐怖を抱くようになったのもちょうどその頃からのことで、私は最後にひとりで外に出たのがいつだったのか、はっきりと思い出せずにいる。両親と義両親が写っている結婚式の写真は見るのもつらくて、未だに現像できていないどころか、画像もまともに直視できない。

 いわば一つの物語が成り立たなくなり、私は新たな物語を見つけるほかない荒野に取り残されてしまった。

 それを埋めるすべは詩や小説を書く他に何もなかった。私はここ数年で別所にずいぶんと詩文を書いてきた。評価の多寡を気にしたことはない。ただ自らの空漠とした虚ろな心を埋めるためには、書くことだけが唯一の灯火だった。

 そして今なお私は余人に多くを語ることなく、文章を書き綴っている。今夜も、夜明けまで眠れないだろう。暗い薔薇院の中で激情に満ちたカティアのピアノの音色を聴きながら、私は言葉にならないものを言葉として綴るほかない。


Khatia Buniatishvili/Schubert

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