第24話ミルタザピンを一週間服用した使用感と、人間における「自然」を考える

 かかりつけ病院の通称・マルキパレスから処方されたミルタザピンを服用しはじめて一週間ほど経った。

 拒食症状と不眠症状が著しかったために、それらが高じて起こった抑鬱状態を緩和するために処方された薬で、この間医師向けの医学的な情報からXの当事者の投稿まで、色々と情報を集めてきた。

 自分自身の使用感としては、拒食症状については食欲にむらがあり、いつもより多く食べてしまう日と一日二食の日との落差が大きく、カップスープを完食できない日もあれば、拙い自炊スキルで軽食を作って幾度か食べてしまう日もあった。夜食を取ってしまう日もあったし、一日二食で朝まで絶食したまま起きているという状態は改善したものの、体重の増加がどうしても気になる。

 今のところ体重は40kgでBMIは17だが、おそらく増えるのは間違いないだろう。気が重いが、30代半ばになり、それまで長らく患い続けてきている持病で、ペットボトルの蓋も開けられないほどに筋力が落ちて、フレイルに近い状態に陥っていた時期もあるため、これ以上痩せるのはさすがによろしくないことは理性を用いればわかる。

 30代も半ばになってなぜ拒食状態に陥っているのか、ということについては、複雑な背景があってのことだし、自分自身のプライバシーに深く立ち入ることになるので伏せるが、通っている病院の資料などを読むと、中高年で摂食障害を発症するケースも増えてきているらしい。

 薬の力で多少食事量が増えるのはやむを得ないと思っている。

 その時点で厳密には摂食障害の範疇からは抜け出し切れているのかもしれない。ただ、月経期間に伴って拒食症状が悪化する身でもあるため、おそらくこのまま回復するという楽観的な見通しを立てるのは難しい。

 認知の偏りもあるが、身体的なメカニズムやサイクルに伴って精神状態が著しく悪化する身で、なおかつ体質的にピルが飲めないので、本当に厄介だと思う。

 自分自身の性自認がノンバイナリーであるのは、このままならない女性の体を檻のように捉えているからという節もあるのかもしれない。背景にある事情はもっと社会的なジェンダーによって形成されたものでもあるため、これだけに限らないのだが。

 こうして書いていても、つくづく不合理だと思う。養老孟司は病は人間における「自然」であると書いたが、女性の体は特にその傾向が顕著だとも記していた。

 月経や出産など、意のままにならないことはつきもので、それを薬によって合理化し、社会というものに適合させてゆくことが本当に良いことなのだろうかとも疑問に思う。

 私は持病を患った当初から病には逆らわないと決めているので、病によってままならないことが増えて、できないことが多くなってきている今の状況も、受入れるほかないと考えている。

 30代半ばといえば働き盛りの年齢だし、実際のところブックライティングの仕事の取引先の社長からも「これだけ書けるのに(もっと働けないのは)もったいない」というお言葉をいただいたことがあった。

 社会に出て働くということは、やはりどこまでも病という「自然」を薬によって矯正し、社会に合わせて統御しなければならないことでもある。多くの人々がさまざまな心身の病を薬によってコントロールしながら働いていて、私も十全に勤まっているわけではないが、その中の端くれとしてものを書いている。

 だが、余暇の部分まで矯正する必要があるのだろうか。某精神科医YouTuberの動画などを観ていると、しきりに朝に家から出て運動することを勧めているが、難治性で入院が必要と判断されるほど重い病態を抱えている身には、到底そこまでの道のりは程遠い。

 何せ部屋の窓を開けることもほとんどできなかったほどだ。ブックライターとして就業期間は週五日、時には休日も仕事をして文章を書いていられるのに、私はひとりで家から一歩も外に出ることができず、窓を開けることも、カーテンを開くこともできずにいた。

 最近になってようやく夜間に換気をすることができるようになったが、昼間の間に換気をすることはまだできそうにない。社会不適合者と言われればそれまでだが、そうして外界と自分のいる部屋との間に厚い障壁を設けていないと不安が高じてしまう。

 これも不合理な話で、少なくとも健常者の方には理解しづらいのではないかと思う。

 だが今の社会の求める極めて高い合理性から外れているものを排除してしまうと、それはゆくゆくは人間における「自然」を破壊してしまうことにもつながりか寝ない。

 自分自身が危惧するのは単に差別的な感情を向けられることではなく、社会全体が「自然」を排することで、正常かつ理知的に機能しなくなってしまうことにある。それはナチズムによってかつて引き起こされた問題でもあった。

 先日も書いたように、伊藤計劃『ハーモニー』はそのアンチテーゼとして、制御し得ない身体を、自らの固有のものと位置づけることをテーマとして書かれた一冊でもあったし、私自身もまたその影響を多分に受けている。それは小島秀夫監督風に表現するならばMEME《文化的遺伝子》ということになるのだろう。

 自らの身体を完全にコントロールできると思い上がるのはよほど傲慢なことであって、我々は常に大小さまざまな不調を抱えながら生きている。それを完全に克服し、若返りやら健康長寿やらを求めて、制御しようとすることそのものに、私は抗いたい。


作業用BGM:METAL GEAR SOLID ORIGINAL SOUNDTRACK(MGS1 OST)

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