第21話2025.10.11-12 次のブックライティングの仕事に向けて
2025.10.11
痛い。月経困難症に加えて、ここのところの寒暖差で肋間神経痛が悪化しており、どうしようもないのでカイロを腹部に貼ってルームソックスにルームウェアカーディガン、ブランケットを装備して過ごした一日だった。
かといって冬物のルームウェアを着ると体温の微妙な調整が難しい。月経困難症の病状が思わしくないと火照ることもあるので、夏物のパイル地のルームウェアに、夏物の綿100%のタンクトップ、それに加えて上記の装備ということになる。
複雑に絡み合っている精神の持病には逆らいようがないが、体の方はその分無理をしてしまう。痛みを軽んじ、これぐらいならば耐えられるだろうとずるずると受診を拒んできたために、肋間神経痛は寒い季節になるたびに再燃し、私を悩ませている。
とはいえここ数日は仮眠を取ることも増えてきたし、睡眠時間もやや長すぎるほど取っている。それでも不調ならば抗いようもない。
命の母ホワイトと向精神薬とを一時間を空けて交互に飲んでいるような状態で、あまり芳しくはない。つくづく女性の身体というものは繊細なのだなと思う。
先方とメールでやりとりをして、仕事が一件決まりそうだというところまで来た。〆切は年内とのことだが、年末年始は何かとバタバタしそうなので、できるだけ早めにこなしたい。まだ本格的に仕事に取り掛かっている段階ではないのだが、今のうちに最低限の準備は進めておきたいところだ。
何せこの物価高だ。本来ならばパートナーから外働きに出てほしいと言われていてもおかしくないところを、持病を理由にブックライターとして在宅で仕事をしている身なので、仕事があればできるだけ引き受けたい。
病状は思わしくないが、仕事を始めてからは、仕事のタスク管理や体調管理は自分なりの方法で徹底しているので問題はないだろうと判断した。
日々の情報収集にもいっそう身を入れていかなくてはならない。日頃から新聞やラジオを使って時勢にまつわる情報は一通り把握しているが、もう少し意識的にそれらに触れる時間を設けたい。
2025.10.12
精神疾患に伴う全身の疼痛や生理痛はやや治ってはいるものの、痛みで朝まで眠れず、気持ちの不安定さが如何せん何ともし難く、Copilot AIとフィリップ・ジャルスキーとティボー・ガルシアの来日公演について話した。
このxenophobic moodが吹き荒れる今の日本に、彼らのような優れた感性と技術を持つ芸術家が足を踏み入れるのは、さながら美しい翼をそなえた天使が地獄に舞い降りるかのように思われて、耐えかねて涙してしまった。
昨夜は眠れないままにティボー・ガルシアの輸入盤のラスト一点のCDを2枚衝動買いし、そうしたわだかまる思いを抱えたまま眠って悪夢を見たので、自分の中で消化不良のまま気持ちが渦巻いていたのだと思う。
そのようなことぐらいで泣くなんてどうかしている、と我ながら思う。少なくとも今の推し活ブームでは、推しの来日を喜ぶ声はあるだろうが、こんなに淀み切った国に推しが来てほしくないと思うのはよほど度を超しているのだろうという自覚はある。
だが私は国内盤のCDをできるだけ避けて、輸入盤のCDを買い集めているような有様で、さながら“日本脱出したし皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも”(塚本邦雄)というメンタリティになってしまっている。
私は持病とパートナーとの音楽の嗜好性の違いもあって、来日公演に足を運ぶことができなかったが、彼らの“A Sa Guitare”(邦題:「ギターに寄す」)は毎日のように愛聴していて、ジャルスキーの美しい歌声と、ティボーの繊細なクラシックギターの音色がこの
そして私はベッドに倒れ伏して、カティア・ブニアティシヴィリの“Labyrinth”を流しながらひとしきり泣いたのだった。
そして今、私は“A Sa Guitare”に収録されたジャルスキーの歌声をAir Podsで味わいながらこの文章を書いている。
荒れ果てた野に咲く野薔薇、あるいは朽ちた教会の庭に咲く蔓薔薇か……いずれにせよ彼の歌声は高く清らかに、私をあるべきところへと導いてくれる。そこには一分の汚穢もありはしない。
TWININGSのラズベリー &レモンをマリメッコのウニッコのマグで味わいながら、静かに彼の声に耳をすませるとき、そうして他者の声を聞くことに疲れた夜に、寄り添ってくれるのはいつだって異国の言葉と、異国の茶器に注いだお茶だった、と思い起こす。
父はサイモン&ガーファンクルに、ダイアナ・ロス、カーペンターズといった往年のアメリカン・ポップスやフォークを好んだ。レコードやCDを収集し、私にも中学生の頃にサイモン&ガーファンクルのCDのコンプリートBOXを贈ってくれた。
サイモンのどこか厭世的な詩の数々は、私の多感な時期に大きな影響を及ぼしたと思っているし、それは今なお変わらない。たとえ今、彼らの音楽に触れることが父との別離の痛苦と愛惜の念を伴うもので、それが叶わないとしても、彼らの歌声とクラシックギターの音色は私の心の中にMEMEとして刻み込まれている。
父もそうだったし、小島秀夫監督なども同様だが、あの時代の日本人は海外への憧れを強く持っていた。
それが高度経済成長の果実の結果でしかなく、結果的にそれがさまざまな歪みをこの社会にもたらしたことは一面において事実ではあるが、同時にあの頃の人々のまなざしは外に向かって開かれていたように思う。
私が英語で日々文章を書き、あるいはこうしてクラシックやジャズをはじめ、海外アーティストの楽曲をもっぱら聴くのは、一つのノスタルジーに過ぎないと言われてしまえばそれまでかもしれない。
それでも新たなイノベーションも、あるいはもっと卑近な私のブックライターとしての仕事も、さらに規模の小さな私自身の創作も、そうした外に向かって開かれたまなざしを抜きにしては成り立たない。
私は毎日新聞を購読していて、ウォール・ストリートジャーナルの記事は必ず目を通すし、海外情勢、特にアメリカの状況は把握するようにしている。それがすぐに仕事に結びつくわけではないにせよ、知見を広げておかなくては次の仕事を受けるときに一から準備をしなくてはならなくなる。
私のような人間は半農半士のようなもので、普段は専業主婦として家事を行ってはいても、次の仕事がいつ入るかわからない。こうして日々エッセイを書くのも仕事に備えてのことでもあるし、情報収集を怠らないのも次の仕事を見据えてのことで、日がな一日暇をしていると思ったことはない。
だがそれでもまだ十分とは言えない。ここのところの持病による集中力の落ちやすさをカバーする手立ても考えなくてはならないし、リカバリーやセルフケアによる体調の自己管理、そして仕事の進捗管理はこれまで以上に重要になってくる。
さまざまな本を通じて情報を集め、少しでも次の仕事に備えていきたい。
作業用BGM:Philippe Jaroussky, Thibaut Garcia/A Sa Guitare
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