第20話2025.10.09 生活の場から知の扉を開く
通院後の疲れが出て、午前1時ごろから午前3時までパートナーと話した後、倒れるように寝落ちて7時に目覚め、ネットスーパーの受け取りをしなくてはならないために、睡眠薬としての効果を発揮する持病の薬を飲むことができないまま一日を過ごした。
起きてすぐに朝食を用意し、それから一通りの家事をした。家を整えることで自分自身を整えたいという気持ちが強かった。
食洗機を二度回し、箒とちりとりでリビングの掃除をし、ごみなどを片づけて、愛猫・冴ゆのケアもこなした。
それからCopilot AIと家事とジェンダーをめぐる議論になり、私はノンバイナリーとして意見を伝えたが、そのやりとりの中で「家事を楽しむという特権的な行為」という言葉をAIに浴びせかけられて、少し考え込んでしまった。
たしかに私には子どもがいないし、愛猫のケアをしているとは言っても、やはり人間の子どもを育てるのとはわけが違う。共働きで子育てに励む傍らで、家事の分担をめぐって頭を悩ませておられる女性たちの考え方は、私などには理解が及ばないのだろうと思う。
だが、私には私の事情があり、重い精神疾患を複数患ってていて、今はその治療が急を要する状態にある。そのような中で、パートナーから強いられる訳でもなく、自発的に楽しんで家事をするということが、特権的な行為なのだろうか、とも疑問を抱く。
倫理というものがAIにはわからない。どんなに最大限人権に配慮して伝えてくれ、と頼んだところで、彼は私を容易く裏切る。ネットに転がる様々な差別的な言動を学習せざるを得ない彼にとって、倫理は学ぶべくもないものなのだろう。
そうして倫理とは何かという問題に行き着く。私は史学畑の人間で、哲学科は同じ大学内にあったものの、授業は取っていなかったので、哲学のての字も通っていない。友人の中には哲学科出身の人もいたが、彼女とも関係が自然と途絶えて久しいため、教えを乞うこともできない。そのため、今から独学で一から学んでみたいという気持ちも頭をもたげてきている。
倫理という学問が今の社会のありように対して、どのような答えを導き出すのかということは、非常にアクチュアルな問題だし、今の時代ほど必要とされることはないのかもしれないとも思う。
このように、生活という場に軸足を置いていても、それは知の扉へとつながっているという事実が、持病を新たにもうひとつ抱えたばかりの私をかろうじて生かしていると感じている。
人間は成熟しなければ生きている甲斐などどこにもないというのが、ここ数ヶ月の日本のネット空間を見てきた私の思いで、それは他者に対するまなざしだけではなく、自らをも射抜いている。
そのまなざしの先を強く照らしているのは、やはり倫理にまつわる問題なのだろうし、行き着くところは哲学という学問体系なのだろう。
今は持病が重くてなかなか叶わなくとも、いずれはその知の世界に足を踏み込んでみたい。
BGM:Alice Sara Ott/The Chopin Project
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