第16話2025.10.04-05 薔薇院にて
某氏が某党総裁になり、昨夜は一晩中眠れずに、朝10時まで起きていた。私はノンバイナリーとしてTheyの小説や詩を書いてきたので、このような世の中に強い危機感と懸念を感じる。
そうしてTheyは今、私の胸中にあり、私もまたTheyの一員だ。小説を書くこと、詩を記すことが私を私でいさせてくれた。それはこれまでも今からも変わることはない。
LGBTQとして、IQ130のギフテッドとして、そして難治性の精神疾患を患う身として、作品を公開するための安全性を保っていられるのか、ということはこの二日間ずっと考えてきた。
だが、声を上げなければかき消されてしまう。いつまで続けられるかはわからないが、少なくとも私がこれまでオンラインで書いてきた文章は、少なからず弱者と呼ばれる人々の止まり木としていくばくかの機能を果たしてこられたように感じている。
文学が今後どのような形で変遷していくのか、今はわからないが、少なくともしばらくは暗黒の時代が続くのだろうと思う。
つくづく焦って作家にならなくて良かったと心から思う。商業誌に掲載していただいたこともあったし、今はブックライターとして商業で書いてもいるが、仮に作家として活動していたとしても、筆を休めていたかもしれない。
心が貧しい時代になった。そのような貧しさの中にあっても、私は稀覯本を集め、クラシックやジャズの輸入盤のCDを買い集めるだろう。一つの美の拠点として私の部屋が機能するように。
貧しさの波は私の部屋にまで押し寄せてきているようにも思うが、まだかろうじてその波は届いてはいない。私は今日、自分の印を薔薇に定めた。
これは近しかった友人から「詩音は薔薇の香りが似合うから」と言われて薔薇の香りのハンドクリームを贈られてから、自分の象徴としての香りは薔薇に定めていたこともあるが、大手拓次への憧れなども無論ある。また実家にいた頃にはよく薔薇を鑑賞したものだった。
5月の春薔薇、9月の秋薔薇と、一年を通じてその折ごとに薔薇を愛でてきた。これはその甘い郷愁でもあり、同時に一つのresistanceでもある。
今となっては部屋に花を生けることは叶わないが、それでも私はアンティークローズのカレンダーを愛用していて、造花も薔薇を選んで今は生けている。
この薔薇院から、新たな作品が生まれる余地はまだ残されている。現に私は今夜だけでいくつもネタを練ったのだった。それらは詩にするも良し、小説にするも良し、あるいは短歌にしてもいいかもしれない。それらがどこまで羽ばたくのかはわからない。
ひとえに読み手の皆様に委ねるほか、書き手としてできることはないのだ。だが今を生きる困難に直面している弱い人々のよりどころであり続けられることを静かに祈るばかりだ。
Florence Delaage/Florence Delaage Joue Sur Le Piano d'Alfred Cortot
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