第12話2025.09.20-21 奈良原一高『王国』に寄せて
厳しい一週間だった。xenophobic moodがネットで加熱し、家族へのケアが夜〜朝方の時間帯までつづき、なかなか気持ちにゆとりを持てずにいた。自分自身の整容もままならず、ただ消耗していた。
自分自身がケアラーという属性にフルコミットできないことへの自責感もずっと高まっていたように思う。一時期は推しの存在が私を下支えしていたが、ネット上のxenophobic moodの高まりによって、日本国内のサブカルチャーのトレンドコンテンツに触れる気力もなくなり、彼への愛着の念も薄れてしまっていた。
……と書いてみると、この文章もすぐに公開したものかどうか、迷いが生じてくる。こうしてだんだん発語することが難しくなっている。自分自身の緘黙状態も、今の社会的な状況と全く無縁ではない。
かつて近しかったXのフォロワーさんもその場からアカウントを消しているようだし、真っ当な人間であれば、とても今の日本語圏のネットのmoodに耐えられないだろうと思う。他ならぬ私自身もそうで、Readsに登録したものの、misandryなタイトルのついた本が流れてきたので離脱し、Threadsを再開しようとしたが、こちらもこちらでxenophobic postsが流れてきたため、再開を見送った。
そうして場所を追われているという感覚は、被害妄想につながりかねないので気をつけなくてはならないが、そうは言ってもやはり堪えるものがある。
かつて、今年の5月に書いた小説「ささやかなる晩餐を共に」では、架空の隣国との複雑な歴史を踏まえた上で、それでも共に手を取り合い、夕食を共にするふたりの人間たちの姿を、異世界ファンタジー小説として書いた。
だが、そこから社会のありようは悪くなる一方で、特に自分自身が一週間、歯磨きを除いてほとんど整容ができないほど弱った障害者であるという現実も重くのしかかって、息ができない思いでいっぱいになっていた。
そうした中で、友人と話していて教わったのが、奈良原一高『王国』の写真の数々だった。自分自身が閉ざされた空間にいることや、そうした登場人物を作中に書くことが多いということもあって、非常にエンパシーを感じさせる世界観でもあり、社会にとってそれが異質で特異な雰囲気であることはわかっているのだけれど、私にとっては閉ざされて社会から隔絶された空間の方が近しい存在としてあるのだ。
だがその空間も、社会の中に存在している以上は、社会と完全に無縁ではいられない。
私は日中は通院を除いて外に出ることはほとんどないが、夜中になると時折パートナーとコンビニに出かける。
病院はペルソナ5ロイヤルのマルキパレスのような場所なので、そこも「王国」に近しい存在と捉えると、私と社会との接点は、コンビニか、あるいはネット空間ぐらいしかない。
そして後者が非常に荒れ狂っているさまを見ると、さながら世界そのものが壊れてしまっているようにも映り、コンビニに行く気力もなくなって、「王国」の中に閉じこもってしまう。そうして生み出されるものもまたあると思っているし、現に私はこの日エッセイを二本、散文詩を二篇書いたが、それは「王国」が私を社会から匿っているからであって、そうした背景がなければ生まれてこないであろうものたちだった。
私はクラシックの声楽のアルバムを流しながらなんとか整容をし、ショパンに涙を流し、そして今、カティア・ブニアティシヴィリの“Labyrinth”を流しながらこの文章を書いている。このアルバムも「迷宮」である以上は、一種の「王国」にも似た雰囲気を持っているようにも思う。
そうしたものに囲まれていたいと今は強く思っている。世間を騒がせるニュースからは距離を置き、ただ静かに「王国」の末端に座すひとりの人間でいたい。私の自室はそのための空間だと思っているし、そこに余計なものはいらない。
作業用BGM:Khatia Buniatishvili/Labyrinth
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