第11話2025.09.17-18 静謐な夜に「声」に耳を傾ける
予測不能な事態が苦手だ。しかし今の世の中はVUCAの時代真っ只中で、明日どうなるかもわからない状態がつづいている。もっと卑近なところに目を移せば、平日と休日のリズムの差異といった小さなことで、私は動揺してしまう。
できるだけ不確実性を持つ要素は減らしておきたい。予定を立ててその通りに実行することは、重い持病のため困難だが、さりとて突発的な行動ばかり繰り返していたのでは、いたずらに消耗してしまう。
私にとって紙の手帳は、その不確実性をできるだけ減らすためにあると言ってもいいのかもしれない。
例えば休日の予定をできるだけ事細かに決めておく。外出する予定や、映画を観る予定などは、その時々のコンディションに左右されるので、実行できるかどうかわからない。ならばと、もっと小さくて、自分ひとりで行動に移せることをメモしておく。
例えばお茶を淹れる、積んでいるSpotifyのアルバムを聴く、Podcast番組を聴く、Kindle Unlimitedで雑誌や短編小説を読むなど、できるだけハードルの低いアクティビティをメモに加えておくのだ。
そうしてメモを書いているということは以前にも書いたが、それは自分自身のことだけに限らず、金銭面の管理や、家事のタスク、創作のTo Do Listなど、様々な分野に応用できる。
家事のタスクでは、自分自身が不調でなかなかこなせないことなどをリマインダーに登録しておく。例えば寝具を洗ったり、机周りを片づけたり、部屋の本を整理して売りに出すものは出したりと、こちらもタスクが溜まっている。
それらを一つひとつiPhoneのリマインダーアプリに登録し、不調のため行動に移せなかった場合にはリマインダーの日時を延期をする。
ただこうしてできるだけタスクを細分化して書いていると、手帳がタスクだらけになって息苦しい。
バレットジャーナルを書いているつもりが、気になってしまうタスクでいっぱいになることも多く、もう少し自分自身のコンディションに耳を傾ける時間が必要なのだろうと思う。
そうは言っても私の場合、自分の心の声を聞くというのは、病と向き合うことに他ならない。もう十六年も同じ病と付き合っているので、闘病の疲れを日々感じるようになってしまっている。
そうした時に自分の外にあるタスクに目を向ける方がいくらか気が楽なのかもしれない。
それらをこなせば達成感が得られるし、実際のところ私は手帳を書いている最中に立ち上がって洗濯をしたり、机周りに散乱している本を仕分けて片づけたり、Spotifyに入れたまま聴けていなかったアルバムをかけはじめたりして今夜を過ごしたのだった。
生活の基盤を整えることは、創作にとっても必要不可欠で、そこが整っていないと、その上に創作という花が咲くことはない、と私は思っている。
だが、生活に押しつぶされそうな自分自身もいて、かねてから積んでいたNHKブックスや、ベニシア・スタンリー・スミスさんの暮らしにまつわる本は机下の書庫スペースに納めてしまった。暮らしに侵食されない時間もまた、私には必要なのだ。
私には子どもがいないし、パートナーと分離不安の愛猫を日々ケアしているが、いわゆる「日本のお母さん」のようにはなりたくないという気持ちはずっと抱いている。
それは自分自身がノンバイナリーであることと不可分であって、この間ずいぶんとそのアイデンティティと自分自身のケアラーとしてのアイデンティティの間で揺れ動いたが、結果的には推しの存在が私を一つのあり方に導いてくれたようにも思う。
性別を定めなくても、愛するものに対して献身的であることは美しい。だが時に病を抱えてなお献身的であろうとすることには大きな困難がつきまとう。
私が今直面している問題は、なかなか克服し難いものがある。だからといって、自分がよりケアを施されるべきだとは私は思わない。
それは自分自身の生育歴とも大きく関わっているのだろう。長女として、そして学歴主義的な家庭環境にあって、ある種の長男的なジェンダーロールの中で育てられた私は、他者に自分を委ねることがとても苦手だ。自分がしっかりしていなくては、という思いがいつも心のどこかに根を張っているようにも思う。
その意識が自分自身の息苦しさや、タスクでいっぱいの手帳となって表れているのかもしれない。だがこうしてこの文章を書いているのは自己憐憫ではなく、病者でありながらケアラーであることと同時に、ノンバイナリーとしての属性の持つ困難さを他者に向かって開示したいという思いがあってのことで、同じく苦悶しておられる方もどこかにはいるのかもしれない。
自分自身の心の声に耳をすませることも大事だが、今の日本社会はそれが行き過ぎているようにも思う。
その証左が書店におけるメンタルヘルスケア本の氾濫でもあり、メンタルヘルスケア関連の動画のあまりの多さとも結びついている。かねてより自己肥大化したセルフイメージが氾濫しすぎている、という言葉を使ってきたが、自己に没頭するあまり、他者へのエンパシーを失ってはいないかと改めて問いたい。
自分の心の声を聞くと同時に、我々は他者の声を聞かなくてはならない。それは大きな声で語られる言葉に限らない。
些細な変化であっても、それが示す他者の声なき声に耳を傾け、そして怒りでなく、不安をぶつけるのではなく、できうる限りのエンパシーを持って話を受け止める。そしてできるだけ平易な言葉で相手に気持ちを伝える。そうした行いが今、何よりも求められているように思う。
作業用BGM:Max Richter/Sleep Circle
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