第3話2025.08.10 言葉を綴る重みと意味

 パートナーが友人たちとの食事会に出かけたため、一日愛猫・冴ゆとともに過ごした。といっても私は彼女にかまい倒したりはしない。

寄ってくれば撫でたりもするけれど、むやみに触れたりはしないし、その代わりに彼女が欲すればなんでも応じるという姿勢でいる。

 それが心地いいのか、彼女も私に気を許してくれて、膝に乗って甘えてくれたり、そばですやすやと眠ってくれたりする。


 そうして愛猫が傍で気ままに過ごしている間、私はひたすらネタ出しをしていた。

ものになるかどうかは追々考える、というスタンスに切り替えるようになったのは、最近得たひとつの忍耐力の証でもある。

 少し前までは練ったネタをすぐに使えなかったり、少し時間が経つと色褪せて感じられたりするのを、自分自身の能力不足によるものだと判定して、自分にダメ出しをすることが多かった。

 今はブレインストーミングのように、とにかく思いついたことをなんでも書き出して、ある程度まとまったメモを作ることもあれば、チェックリストや箇条書き程度で終わってしまうものもある。それらを色でラベル分けしてGopgle Keepに溜め込んでいる。

 ひとつ前に書いた、エッセイ「言葉と出会うために本を読む」は、写真だけを載せてGoogle Keepに放置していたネタで、文章は気乗りするまでは書かずにおこうと決めていた。

 本棚に並ぶ書籍のタイトルの重さが人を威圧してしまわないだろうかと思っていたこともあり、少し寝かせておきたかったのだ。

 その他にも、半ば文章の列記のような形で残したメモもあるが、これも日の目を見ることになるかどうかは、日数が経ってみないとわからない。ただ何かしらの役に立つこともあるかもしれないと放置している。

 

 今日はスマホと、Bluetoothキーボードをつないで仮のPC代わりとしてリビングで使うこともあるiPadの充電器が壊れたこともあり、ロルバーンにネタをひたすら書き出していた。

 暮らしに関するネタをあれこれと書いているうちに家事がしたくなってきて、途中で離脱して寝具を洗い、パントリーを整理した。

 こうした脱線もまた楽しいもので、ふたたびロルバーンの前に戻った時には別の新たなネタが浮かんでいた。

 そちらはロルバーン上にまとまった分量の文章を書けたので、できれば近いうちに形にしたいと思っている。

 ロルバーン上に草稿を書くことはこれまでも行なってきたし、その媒体が紙であれ、デジタルであれ、思考は途切れることはない。

 そうしてアナログの草稿や自筆原稿を書く主人公をどこかで描きたいなという思いも派生して、少しばかり小説の描写に取り入れたこともあった。

 それが「春風の使者」のベースとなっている。



“ 愛猫の餌だけはPCのリマインダーに登録していて欠かしたことはなかった。私がものを食べる、その代替として彼女は餌を食み、私は期限がいつ切れたかもわからないカモミールティーを淹れては夜中まで筆を走らせた。

 出来高制の文筆業は心身を損なうばかりで、PCのタブには乱雑に散らかった論文のPDFやらWEBメディアの記事が並び、たびたび処理落ちする。私はそれらの内容をメモに書きつけ、草稿はそれらの中に埋もれてゆく。

 数ページ前を遡れば、愛猫の体調の記録やら、彼女に投薬した薬の名前やその時間、この首都を席巻する流行病の患者数に、次に買うつもりでいた茶葉の値段のメモやらが乱雑に並ぶ。これらの総体がつまるところ私という人間であって、その最奥に愛猫が香箱をつくっているのだ。 ”

──雨伽詩音「春風の使者」



さらに昨夜書き下ろした、原爆忌から少し遅れて書いた散文詩にも、「書く」という行為について言葉を連ねた。



“ 文筆を生業としていたかつてのわたしからすでに筆は奪われ、この施設にあってはただこの電子端末に声を吹き込んで断片的な文章を綴ることだけが残された。それも人目を憚って、見回りとしてやってくる看護師の目を盗まなくてはならなかった。ささやき声で綴ったものに、書物に編むに値するものはなく、すぐに容量は圧迫されて、古いデータを消さなくてはならない。失われた記録の中に、かつての友の姿があり、師の言葉があった。そのいずれも携えてはゆけぬ身が呪わしい。 ”

──雨伽詩音「そして谺する声を聞け」


主人公はとある施設に入れられていて、そこではペンを持つことも、キーボードで文字を入力することもできない。

書くという行為を奪われることについて、幼少期からずっと考えつづけてきた。

それは日本航空123便墜落事故に際して、ご逝去なさった方々が今際の際に名刺にびっしりと文字を書き連ねていたという歴史的な事柄や、フランクルがナチスの強制収容所においてなお、自著の出版を夢見て、小さなメモに思考を書き連ねてきたこと、今は袂を分かった年長者の方が音声入力でテキストを書いていたということなどとも共鳴している。


人間が発語をしてから文字を獲得するまでには間があった。だが、長い間、人間にとって書くこと、記録すること、そしてそれを残してゆくことは、ひとつの人間の善き営みに他ならなかったのだと、私は思う。

私もまた、ブックライターという職を得ながらも、いつ書くことを手放さざるを得なくなるかわからないと常々思っている。

それは職を失うなどという表層的な問題ではなく、持病の悪化によって認知機能が衰え、ついには言葉そのものを喪失してしまうのではないかという恐怖であり、そのおののきは根強く私を支配してきた。

さらには、夢の中で、私は原因もよくわからないまま、足をまともに動かすことさえできず、よろめくように一歩一歩、ぎこちなく足を動かしてなんとか歩きながら、ただそれに伴う痛みと苦しみとを味わっているという体験をたびたびしてきた。

それは夢のままで終わってほしいとは思うが、自分自身の身にいつそうした困難が降りかかるかどうかは、誰にもわからない。

明日こうして同じように文字を綴ることができるかということは、誰にも保証できない。

私が毎日飲んでいる薬には確率は非常に低いが突然死のリスクを伴う副作用があり、明日にはもうこの世にいない可能性も全くゼロではない。

そうした日々を送る中で、その生と死との間にある長きにわたる病というものを直視せざるを得ない毎日がつづいている。


「辛抱せんばいかんよ」というのは大病なく天寿を全うした、育ての親でもあった祖母の口癖だった。昔の人の生きる知恵と忍耐強さは、それそのものがひとつの美徳だと私は思っている。

ともすれば死をこいねがうばかりの時代にあって、病人として生きながらえていくことは、最終的には本人の胆力次第というところがある。

以前担当してくださっていた老主治医も「短気にならないでくださいね」とよくおっしゃっていた。それは私の病気においては「衝動的になって死ぬなよ」という意味に他ならない。

言葉が私を生かし、言葉を書き綴ることだけが私を支えてきた。度重なる喪失を経て、どうしようもなく不安や恐怖に苛まれる夜に、ただ言葉を連ねることだけが夜を歩く杖となってくれた。

それを誰にも奪われたくないと私は願う。


折しも戦後80年の終戦記念日の節目をあと数日後に迎えようとしている夏の夜だ。

言葉を発することすらできずに原爆の被害に遭われて亡くなられていった人々、そして言葉を綴って自らの死を覚悟しながらその生を奪われてしまった日本航空123便墜落事故の犠牲となられた方々の死を悼むとともに、自分自身もまた背筋を伸ばして生きねばと思う。


作業用BGM:加古隆/KAKO DEBUT 50

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