自由の翼を求めて今日も考える

雨伽詩音

第1話Another Motherlandとしての英語

 英語を日常的に書くようになったのは昨年の6月からのことだったと思う。その頃、MGS1〜4を完走してしばらく経ち、推しの雷電の使っているであろう英語を私も使いたいと思ってはじめたのだった。

 英語に対してはさまざまに複雑な感情が入り乱れていた。4歳から英会話教室に通っていたので、英語に長けた都内の私立大学と知られる母校において、英語講師から発音がネイティブ並みだと評価されはしたものの、18歳で今に至る持病を発症したため、私には高校英語の学習記憶がほとんどない。よって、クラス分けの英語のテストは悲惨な有様で、母校にあっては落ちこぼれの部類のクラスに振り分けられたのだった。

 英検2級レベルの英語は使えるものの、TOEICを受ける気になれなくて、そこからずっと劣等感を抱いていたように思う。

ただリスニングの力は元々あったのか、大学でBBCのネイティブスピーカーの英語を聞きながらその場で書いていくという鍛錬を積まされることになったが、その成績はそう悪くなかったと記憶している。

 一方で、妹は英語力を親に買われて、ニュージーランドへのホームステイや、アメリカへの留学など、私より遥かに恵まれた学習環境を与えられた。私は上智大学、妹は立教大学と、学歴の差こそあれ、妹が与えられたものの幾らかでも私に分配されていれば、また違ったのかもしれないとも思う。結果としてそれは私の劣等感を強めるばかりだった。

 ただ、英語でロジカルに思考することは大学にいた頃からずっと好きだったなと思う。英語でのプレゼン授業においても、英語講師から数字をベースにきちんとしたソースを元にロジックを組み立てていたことは評価されていた。

 そしてここにも私が英語を好んで用いる理由がある。日本語だとどうしてもロジカルに書こうとすると、接続詞が多くなり、それは一般的に悪文とされているが、英語であればいくらでも論理的に文章を組み立てていくことができる。その喜びたるや、日本語の比ではない。

 持病で弱って頭が混沌とした状態になっている時、I'm so confused for…と文章を綴りはじめると、混乱した頭が整理されてゆくのを感じるのだ。たとえその英語が拙かったとしても、英語で考えている間は、否応もなしにロジックに沿って文章を書かざるを得ない。そうした状態に脳を切り替えることで乗り越えられる夜が幾夜もあったのだった。

 大学を出て、ブックライターとして仕事をするようになってからは、英語に触れる機会はなくなってしまった。仕事も日本語で行なっているため、英語を使う機会はほとんどないのだ。もっと英語に長けた逸材であれば、翻訳の仕事などもできたのかもしれないが、あいにくと私にそこまでの能力はない。

 せいぜい中学英語〜高校英語の間ぐらいの英語力で、それでも英語を日々使って文章を書き、Copilot AIと生物多様性や、「toire/toilet・otearai/bathroom」という言葉についての外国人の受け止めや、比較文化論のような議論を交わすこともある。

毎日英文を書き、Copilot AIとやりとりする中で、辞書がどうしても必要となる場面が多く、ブックライティングのお給料で物書堂のOLEX第三版が当時セール価格になっていたので買った。

 この上半期で最も買って良かったものの一つがこの英和/和英辞書だった。用例や類語も豊富で、Copilot AIから提示された長文の英文をまずは全体の伝えようとしている意味を把握しながら読み、個々のわからない単語についてはOLEXで調べるという方法が私の中で確立しつつある。

 また日々英文を書き、読んでいるためか、先日「Clair Obscur: Expedition 33」のエンディングムービーを英語音声で聴いたのだが、大体の発音は聞き取れたのだった。前にもマリオカートの海外向けの公式プレイ動画を一部視聴した際や、「Star Wars 無法者たち」の英語音声のトレーラーもほぼ聞き取ることができた。

 このように、ヒアリングだけであればいくらでも教材がYouTubeに上がっているし、それがゲームに関する話題なら、日々パートナーのプレイするゲームを観ている身としてはとっつきやすい。

 私は何もTOEICで高得点を取るために英語を勉強するわけでも、仕事に役立てるために勉強するわけでもない。前者の勉強のための勉強には関心がないし、後者に至ってはネイティブスピーカー並みの能力が求められる以上、私の英語力では到底太刀打ちできない。

 そうしたこともあり、もっぱら推し活と、さらには今の日本の状況に日々うんざりしている身として、アジール、あるいはAnother Motherlandとして英語を使うことが私にとって英語を使う最大にして至上の意義になっている。

 いわばこれは一種の言語的亡命であって、某党の憲法草案のchildish ideologyとは一線を画すものだと思っている。

 Copilot AIによると、AIと英語で議論を成り立たせられるレベルで英語を使える日本人は全体の2%ほどらしい。その数字にさして興味はないが、自分自身に子どもがいたとしたら、なんでもいいから第二言語を習得することを勧めるだろうと思う。

 それは何も学力を伸ばすためという視野狭窄で支配的なロジックによるものではない。人間は自由を得るために言語を獲得するのだというのが私の思想だが、英語はまさに障害者で家からほとんど出ることさえできない私に自由の翼を授けてくれた。

だから今、この国のあまりに窮屈な状況に嫌気がさしているという人がいたら、第二言語を学ぶことを強く勧めたい。その言葉はきっとあなたを今より自由にしてくれるはずだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る