鮮血の輪舞 ―Rondo of Blood― 炎獄からの使者
坂口衣美(エミ)
悪魔との出会い
私は夏美。苦痛に顔を歪めて激辛料理をむさぼる人々の配信動画をエンドレス再生し、季節が巡るたび愛ゆえの殺戮を繰り返す熱帯夜の猟犬。
獲物たちが息絶える瞬間に放つ憎悪は、この血にまみれた両手から人間らしい体温を奪い去ったのかもしれない。私の指先は氷のように冷たい。重度の末端冷え性だ。身を焦がし内臓を沸騰させ意識の連続性を危機にさらす酷暑でもそれは治らない。ホッカイロ、半身浴にストレッチ、ウォーキング、たんぱく質に鉄分補給、鍼、灸、整体、マッサージ、どれも私の指先をあたためることはできなかった。
なにをしても体熱の感じられない手。遠い未来、私は永遠の冬に到達するのではないか。吹きすさぶブリザード、仔ペンギンの羽毛に固まる純白の雪、風の音だけを友とする極寒の夜。激辛料理を食べる人間の姿を求めるのは、その幻想を完全に否定しきれない自分がいるからだ。汗まみれで目覚めてなお凍える手を抱え、私は仔ペンギンのビー玉のような目を思う。いつか私もあの人たちのように指先までポカポカになりたい。どうすればあれほどの勢いで全身の血管を拡張させられるのだろう。心底疑問である。
だが、今はそんな些末なことを気にかけている余裕はない。守るべき存在が災禍に見舞われているのだ。
それはこのアパートの上階に住む男、健二。私の愛する男だ。その健二がスマートフォンにメッセージを送ってきた。健二が電子的連絡手段を取るのは珍しい。ごく短い文章だった。危機に瀕してそれだけしか入力できなかったのだろう。
通知音に呼ばれて画面を見た私は、ベルゼブブの羽音を聞いた。それは骨肉に染み渡り、地獄の風の生臭さが鼻をついた。私の想像力は時に現実を凌駕しそうになる。
健二のメッセージは緊迫感に満ちていた。刹那の間で駆けつけなければ手遅れになるだろう。健二、健二。男の名を呼びながら私は立ち上がる。
寝起きから布団にとどまり食い続けていたえびせんを放置し、私は玄関に走った。元の形がわからぬほど限界まで伸びきったジャージを着、八十年代のボンジョヴィのように髪を爆発させたまま。
それで良いのだ。健二とは一緒に風呂に入ったこともある仲。すっぴんである私の眉毛が半分しか生えていない事実など躊躇する理由にはならない。
濃厚な異臭を放つスニーカーを蹴り飛ばし、超有名スポーツブランドの模造品であることを堂々と主張するロゴが入ったサンダルを装備する。
鍵は――このさい施錠などせずともかまわない。健二の身が最優先だ。
私は覚悟を決めるため、通信機の画面に最後の一瞥をくれた。
そこにはぬぐう手間を惜しんだ結果の重なり合う指紋と、切実な思いが込められたであろう健二の言葉が見える。
『やつきた。へやおる。むり』
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