半分メドゥーサ、OLは今日もままならない

奈良まさや

第1話

第一章:目をそらして恋をする


東京都中央区。朝の通勤ラッシュでごった返す地下鉄銀座線の車内、澄川(すみかわ)マコトは、吊り革を握ったまま目を閉じていた。


「……やめとこ。目、合わないようにしないと」


彼女の目は、美しい――が、危険だった。母は"純血"のメドゥーサ。父は不明。10,000人に1人といわれる純血は稀有な種で絶滅危惧種と言われるなか、その「混血」の数は増えていった。ハーフ、クォーター...。

マコトは、混血の中でもハーフとメドゥーサの血が濃い部類であった。


瞳を真っ直ぐ見つめた者は、最大10秒間、身体の自由を奪われる。マコト自身は完全な麻痺能力を持たないが、「2秒くらいは動きを止める」ことができる。小学校の時は、それでいじめっ子を泣かせた。中学では教師さえ動きを止めたことがある。


「ちょっとマコトさん、今のプレゼン、社長の息が止まってたわよ」


「あれ、また目が合っちゃったかな……」


IT企業「オルペウス・ラボ」。社員200名の中で、取締役以上は全員女性で、全員メドゥーサ。もちろん社長も、目元に黒いレンズ入りのサングラスを掛けている。


マコトは総合企画部の主任。25歳にして、すでに部下を持つ立場だ。出世は早い。しかし、同僚から距離を置かれるのも早かった。


第二章:オフィス恋愛未満


ランチタイム。社食の隅にある角テーブルで、マコトは一人の男性社員と向き合っていた。


「……その、今日も一緒に食べてくれて、ありがとう。笠原くん」


「い、いえ……僕なんかでよければ、いつでも……」


人事部の笠原悠斗(かさはら・ゆうと)、27歳。マコトが入社時から密かに好意を寄せていた相手だった。


「ところで笠原くん、昨日のドラマ観た?あの、警察モノのやつ。ラスト、ちょっと泣きそうになっちゃって……」


「……っ!(目、そらさなきゃ……)」


笠原は、さっと視線を逸らした。


(……ああ、まただ)


恋愛になった途端、すべてが停滞する。マコトが目を合わせれば相手は固まる。目をそらせば、相手が何を考えているのか読めない。


いっそ全力で麻痺させてくれた方が、どれほど楽だっただろうか。


第三章:母の教え


帰宅すると、リビングには母・澄川イリスがいた。長い黒髪。まるで彫刻のように整った横顔。彼女はフルメドゥーサであり、製薬会社の創業社長だった。


「マコト。恋愛してる顔してるわね」


「バレた?」


「あなた、目が優しくなってる。メドゥーサの目は、愛を知ると鈍くなるの」


「え……」


「有性生殖を選ぶとき、私たちは"睨まないこと"を選ぶのよ。そうじゃないと、相手が一生動けなくなる。恋愛も、自由意志も、全部、奪ってしまうから」


「……私、怖いよ。いつか、笠原くんの意志まで止めてしまいそうで」


「でもあなたは"半分"じゃない。バランスを学びなさい。あなたには、人間の弱さとメドゥーサの強さ、どちらもある」


マコトは黙って母の言葉を噛みしめた。確かに――"半分"である自分だからこそ、揺れる。奪いたくない、でも、伝えたい。


第四章:視線の向こうに


翌日、マコトは意を決して笠原に声をかけた。


「今日、目を合わせても、いい?」


笠原は一瞬たじろぎ、それでも頷いた。


「う、うん……頑張ってみる」


「ありがとう……大丈夫、長くは見ない。2秒だけ」


マコトはそっと目を合わせた。彼の黒い瞳の中に、自分の姿が映る。たしかに、2秒。たったそれだけ。でも――確かに何かが通じた。


「マコトさん……すごく、綺麗な目だね」

彼が言った。


それは、これまで誰にも言われたことのない言葉だった。マコトは、こらえきれず、目を細めて笑った。


「ありがとう。でももう目を逸らして。じゃないと……固まっちゃうから」


その夜、帰宅したマコトを迎えた母・イリスの表情が、一瞬、歪んだ。


「……恋愛してる顔してるわね」


「バレた?」


「あなた、目が優しくなってる。メドゥーサの目は、愛を知ると鈍くなるの」


イリスの声に、かすかな苛立ちが混じった。まるで、娘の幸せを――素直に喜べない何かが、心の奥で蠢いているような。


「有性生殖を選ぶとき、私たちは"睨まないこと"を選ぶのよ。そうじゃないと、相手が一生動けなくなる。恋愛も、自由意志も、全部、奪ってしまうから」


イリスの指先が、無意識に震えていた。


「でも時々思うの……全部奪ってしまった方が、楽だったんじゃないかって」


「……お母さん?」


「何でもないわ。でもあなたは"半分"じゃない。バランスを学びなさい。あなたには、人間の弱さとメドゥーサの強さ、どちらもある」


その時、イリスの眼の奥で、一瞬、何かが光った。金色の、蛇のような――しかし、それはあまりにも一瞬すぎて、マコトには見えなかった。

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