再第2話 つぎはぎの女騎士
目覚めたとき、痛みはなかった。
鼓動は静かで、四肢も動く。けれど、皮膚の下にひどく鈍い違和感が残っていた。“自分の体”であるはずなのに、それがどこか遠くのもののように感じる。
手を上げてみる。指先を動かし、掌を裏返す。
見知らぬ手だった。節立たず、滑らかすぎる。鍛えられてはいる。だが女のしなやかさだ。
ゆっくりと起き上がる。床の冷たさがかすかに足裏に伝わった。
目の前に、壁際に立てかけられた鏡がある。くすんだ反射の中に人の影が揺れていた。
レオは半歩、鏡に近づく。
足取りは確かだった。騎士としての重心配分が、まだ身体に染みついていた。
鏡の中にいたのは――女だった。
整った顔立ち。白い首筋から鎖骨へ縫い跡が走り、両頬は精巧に組み合わされ、左右の瞳の色も異なる。胸は大きく弧を描き荒くなる呼吸に連動していた。全身の縫い目がなければ引き締まった身体は戦女神の彫像のようだ。
美しい。だが、整いすぎていた。
“人”ではなく、“作られた何か”のように見えた。
レオはその女の目を見つめた。
その瞳だけが、唯一、見覚えのあるものだった。あの時、剣を振るっていたときと同じ――魂の色。
静かに息を吐く。
「……これは俺だ」
ただ、その一言だけが落ちた。
怒りも拒絶もない。受け入れたわけでもない。ただ、理解した。――これが、現実だ。
そして、この器に宿る魂こそが、自分のすべてなのだと。
レオは近くの椅子にかけられていたマントを取り、体を覆った。鏡にはもう目を向けなかった。
背後から、声がした。
「……もう、立っていられるのですね」
澄んだ、乾いた女の声。振り返らなくてもわかる。死霊術師――セレス。
レオは肩をすくめ、返事をしないまま頷いた。視線は鏡に向けられていたが、そこに映る顔を見ることはなかった。ただ、魂の境界線を確かめるように、その奥を見つめていた。
セレスの足音が近づいてくる。迷いはなかった。
「ここは北端の修道砦。王国の国境からは遠く離れた場所です。……あなたが倒れてから、およそ三日が経ちました」
レオは静かに目を閉じた。竜の咆哮、炎の奔流、剣を振るったあの瞬間。記憶はまだ体の奥に残っている。
「馬車は崩壊。客の半数が死亡。あなたは最も深い傷を負っていました」
セレスの声は冷静だった。
「頭部の損傷、脳の一部焼失。本来なら、魂も……離れていたはずでした」
レオは反応しない。ただ静かに、己の内側にある“何か”を確認するように息を吸い込んだ。
「けれど、あなたはまだそこにいた」
セレスが左隣に立つ。鏡越しに目が合った。
その瞳には哀れみも驚きもなく、ただ確信だけが宿っていた。
「だから私は、あなたをこの世に繋ぎとめることを選びました」
「……この姿で?」
低く、平坦な声。怒りも皮肉もない。事実を確認する声音だった。
セレスは一度、小さく頷いた。
「最も安定した構成を選びました。魂の形をそのままに、“魂の居場所”として最適なものを。……あなたが誰かは、わかりませんでしたので」
レオは目を伏せた。
「俺が何者かも知らずに?」
「ええ。でも、“騎士であること”はわかりました」
静かに、セレスは続ける。
「剣を抜き、私の前に立った。名も顔も知らぬ女のために。魂がそう語っていました」
沈黙が落ちる。
レオは再び鏡に目を向けた。そこにいるのは、“女”だ。
「……この姿で? 悪趣味な死霊術師が」
「よく言われます」
セレスの口元が、わずかに緩んだ。
「ただ私は、騎士という魂の形を、何よりも美しいと思っているだけです」
レオは小さく息を吐いた。
「何を勝手なことを……!」
叫ぶように振り返る。剣は抜いていない。だが、その気迫が空気を裂いた。
セレスは一歩も引かず、右手を上げた。
「《緊縛》」
言葉とともに、レオの体が音を立てて止まる。魂ごと床に縫い止められるような術。指一本動かせない。
歯を食いしばった。
怒りではない――屈辱だ。魂を縛られたという事実が、何よりも恥だった。
セレスは彼の目を見つめながら、微笑んだ。
「どこまでも、誇り高き騎士ですね」
その笑みは、挑発でも優越感でもない。まるで、崇高なものに出会ったときのような――敬意の笑みだった。
「そんな魂だったからこそ、私はあなたを呼び戻したんです」
術がほどける。レオは膝をつき、かすれた声で呟いた。
「……ふざけるな」
痛みと屈辱。その狭間にあるような声だった。
沈黙を破って、セレスが再び口を開いた。
「もし……その姿を受け入れられないのなら」
机の上の帳面に手を伸ばしながら、静かに告げる。
「“元の身体”を再現する方法もあります」
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