最終章:きみに恋をしなおす
冬の終わりが、街を白くぼかしていた。
息を吐くと、白くなる朝。
指先が冷たくて、マフラーを巻いた首元にそっと手を入れる。
駅までの道を、悠真と並んで歩いていた。
ふたりで出勤するのは、久しぶりだった。
彼は黙って歩いている。
でもその沈黙は、もうあの頃の“無関心”とは違っていた。
隣にいてくれる、その温度が、
こんなにも安心をくれるものだったのかと、思い知らされる。
⸻
信号待ちのとき、私はふいに、彼の袖をつまんだ。
驚いたように振り向く悠真に、小さく笑ってみせる。
「寒いね」
「……うん」
それだけの会話が、
どうしてこんなにも、胸をあたためるのだろう。
⸻
週末、何の予定もない土曜日。
ふたりで買い出しに出かけて、スーパーでじゃがいもを選んだ。
手に取るものを、「どっちがいいかな」と聞く私に、
悠真は「どっちでもいい」と、でも、ちゃんと見比べて答えてくれる。
そういう、ひとつひとつの小さな選択を、
これからもふたりで積み重ねていけると思ったら――
たまらなく、嬉しかった。
⸻
夕方、帰り道のバスを待つ間、ベンチに並んで座る。
陽が落ちて、空が薄くにじむ頃、
私は、自分でも驚くほど自然に、手を伸ばしていた。
彼の手に、そっと自分の指を絡める。
悠真は一瞬、目を見開いた。
でも、すぐにその手を包み込むように握り返してくれる。
あのとき――見合いの席で、
無表情に差し出された手を、ただ形だけ握った私。
でもいま、自分の意志で、彼の手を取っている。
⸻
「ねえ、悠真」
「ん?」
「……私、あなたに恋をしなおしたよ」
彼は驚いたように、息をのむ。
でもそのあと、少し照れたように目を伏せ、
ほんの少しだけ、私の手を強く握り直した。
「俺は、ずっと、最初からしてたけどな」
⸻
帰り道の風が冷たかったのに、
手のひらだけが、熱くて仕方なかった。
それはまるで――
冬の中に咲いた、小さな春のようだった。
⸻
* * *
【エピローグ】
ふと、リビングの棚の隅に置かれた、結婚式のアルバムが目に入った。
あのときの写真。無表情のふたり。
でも、いま見たら違う。
あのぎこちなさも、なんだか愛おしく見えてきた。
結婚からはじまった私たち。
普通とは逆だったかもしれない。
でも、だからこそ――
この恋は、じっくりと根を張っていける気がした。
見つめ合って始まる恋じゃなくて、
同じ方向を見ながら、いつのまにか心が寄っていく恋。
そんな恋も、あるのだと思う。
⸻
そして私は、いま――
はじめて、本当の意味で、彼に「愛してる」と言える気がした。
読後の余韻に響くあとがき
この物語は、「好きではなかった人との結婚」から始まります。
けれど物語が進むにつれて、それは“終わり”ではなく、
「心が動き始める地点」であることが見えてきます。
人と人が心を通わせるには、時に時間が必要です。
一目惚れのような情熱的な恋も素敵ですが、
静かに、確かに、日々の中で育っていく愛もまた、
かけがえのないものです。
ふたりで過ごす「選択の積み重ね」が、
やがて絆となり、恋となり、人生になっていく。
誰かを選ぶことは、過去を手放すことかもしれません。
けれどその「選び直し」こそが、
自分の心に誠実であるという証なのだと思います。
「好きじゃなかった人に恋をしなおす」
そんな静かな奇跡が、あなたの胸にもそっと届いていたなら――
この物語を書いた意味が、確かにここにあると信じられます。
ありがとう。
この物語に、最後まで寄り添ってくれて。
きみに恋をしなおす 稲佐オサム @INASAOSAMU
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