第4章:過去からの連絡

 その名前を見た瞬間、心臓が、跳ねた。


 ――「千隼くん」

 スマホの画面に表示された、見覚えのある文字列。

 連絡が来たのは、約5年ぶりだった。


 メッセージの本文は短い。

 > 「久しぶり。今度、久々にみんなで集まることになってさ。

 > 綾乃も来れたら嬉しい」

 何でもないような文章。誰にでも送るような誘い。


 なのに、私は手が震えて、すぐには返信できなかった。

 今、私の隣には――夫がいる。

 けれど、私の中の“女の部分”がざわめいたのだ。

 あの頃の、終わらなかった初恋が。まだ、残っていた。



 同窓会は、都内の落ち着いたダイニングバーだった。

 天井から吊るされた照明が、オレンジ色の光を落とす。


 懐かしい顔が、いくつもあった。

 茜、ゼミ仲間、みんな少しだけ大人になっていて、

 でも笑い声は昔のままだった。


 そしてその輪のなかに、千隼がいた。


 「……綾乃」

 彼が私を見つけた瞬間、口元に、あの懐かしい笑みが浮かんだ。


 「久しぶり。変わらないね、綾乃は」

 「……ううん、変わったよ。年も取ったし」

 「いや、やっぱり変わらない。昔のまんまだ」


 何気ない会話のなかに、私の時間が逆戻りしていく。

 記憶の奥に押し込めていた想いが、胸の内側でかすかに疼いていた。



 二次会の席で、彼は私の隣に腰を下ろした。

 周囲は盛り上がり、誰も私たちの会話には気づかない。


 「ねえ、綾乃」

 彼が、ふいに真面目な声を出した。


 「俺、あのとき……お前のこと、ずっと気になってたんだ」

 「……え?」

 「でも、茜と仲が良かったから、誤解されたら嫌だなって。

 気まずくなるのも怖かったし……。だから、何も言わなかった」


 心臓が、鼓動を早める。

 耳の奥が熱くなって、手が震えるのを押さえきれなかった。


 > ――ずっと、気になってた。


 その言葉が、大学生の頃の私を救っていくような錯覚。

 でも、今さら言われて、どうすればいいの? 

 だって私は、もう“結婚”しているのに。



 帰り道、夜風が頬を冷やしても、胸の内側はずっとざわざわしていた。

 家の灯りが見えたとき、少しだけ、立ち止まってしまった。


 玄関を開けると、いつものように、悠真がダイニングで書類をめくっていた。

 スーツを脱いだ姿。緩めたネクタイ。

 視線を上げると、彼は言った。


 「おかえり。……楽しかった?」


 その一言が、なぜか胸に刺さった。

 「うん、懐かしい人たちに会えて……よかったよ」

 そう答えたけれど、嘘みたいに喉が乾いていた。



 その夜、布団に入っても、私は眠れなかった。

 脳裏に浮かぶのは、千隼の言葉と笑顔。


 もし、あのとき告白していたら――

 もし、いま独身だったなら――

 あの手を、取っていたのだろうか。


 でも同時に、私は思った。

 悠真が風邪のときにかけてくれた毛布の感触、

 コーヒーの香り、黙って焼いてくれた朝食。


 それらを思い出したとき、自分の胸が不思議と痛んだ。

 千隼の言葉に心が動いたのなら、

 どうして今、悠真の顔を思い浮かべてしまうのか。


 私の心は、過去と今の狭間で、

 確かに揺れていた。

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