第21枠 畳、炎上

 ryu:お前、ファンを捨てて、どういうつもりだ?


 文字に釘づけになった秋葉の額に冷や汗が滲む。

 それは秋葉の『前世』に、かつてのアイドル時代に触れているコメントだった。これをほかのリスナーの眼に晒すわけにはいかない。


 秋葉は直ちに配信画面に表示されているゲーム画面を閉じ、背景画面だけの状態にした。リスナーからはエレクトリカルな配信部屋風の壁紙だけが映っているだろう。一方、秋葉から見るPCには変わらずゲーム画面が映っている。

 まれにこの状況を意図せず起こし、気づかないままゲームを進めてしまいリスナーにずっと背景画面を見せたまま配信が進行してしまう放送事故がおこる。その事故の有名な一例において背景画面が畳一色だったため、この放送事故を『畳』という。


 今の秋葉は、あえてこの『畳』の状況を自ら作った。何とかこの厄介者を追い払い配信を再開できないかと思い、配信枠そのものは終了せずにおいた。ただでさえ普段のゲーム配信はいいところなしなのだ。ここで終わらせたくない。


 AYUMI:帰ってください

 ryu:聞けよ、こっちの話を。それとも捨てた過去は不要ってか?


 しかし配信を続けたのはともかく、相手に反応したのは間違いだった。コメントはエスカレートを続けていく。


 ryu:ガワ被ってアイドルごっことは、整形に失敗でもしたか

 ryu:下手糞がゲームすんな


 最初はもともとファンだったのがアンチになった手合いなのかと思ったが、Vtuberにもアイドル側にも辛辣な誹謗中傷の言葉が並ぶところを見ると無差別に悪口を言いたいだけらしい。どうする?いったん配信を切って枠を変えて立て直すか?


 ryu:考えてみりゃお似合いかもな。大人数でお遊戯会みたいな下手糞なダンスしてただけだもんな。握手券ちらつかせて金を搾り取って、Vに落ちぶれるのはお似合いだ


 震えと冷や汗が止まらなくなった。『やめろ』と叫びだしたくなるのをこらえるのに必死になった。そんな秋葉をよそに、嘲りの言葉が並べられていく。


 ryu:どうせプロデューサに媚びる女の集まり、枕で成り上がろうとする連中だ


 やめろ……自分が中傷されるのだけならまだ耐えられる。だがあの場所を愚弄するのには耐えられない……!


 ryu:男も所属も変えて恥ずかしくないのか、『裏切り者』


 その言葉を聞いて、まともに考えられなくなった。口がカラカラに乾き、ボディーブローを食らい続けたかのように打ちのめされた。『裏切り者』――この言葉が焼きごてで体に刻まれるような感触だった。かつてすずがVtuberになったと知った時に、彼女に対する感情がそれだった。今それを、どこの誰かも分からない奴相手から自分が受けている。


 キーボードに手が伸びる。自分は裏切り者じゃない――そう書き込もうとした。裏切り者であることを認めれば、他でもない自分があの場所を無下にし捨て去ったことになる。そんなのは耐えられない。


 文を打ち込み、Enterキーを押そうとする。


 ――その時、先月すずと再会した時のことが頭をよぎった。


 キーボードにかかりかけていた指が逸れ、マイクにかかった。


「……つまらない」


 自分でも何を言ってるのかよくわからない、ただ、『菊水未来』として書き込んではならない。その一心だった。今の自分は『秋葉あゆみ』なのだ。たとえ自分の前世がバレていてそれを侮辱されているだとしても、それで傷ついているのだとしても、この一線だけは超えてはならない。


「つまらない……こんなのに付き合ってらんない。今日の配信はこれで終わりにします」


 そのまま配信を閉じた。コメント欄を見る勇気は無かった。


 秋葉は待機画面を前に呆然としていた。だが心の整理をつける時間は与えられなかった。


 配信終了から1分もしないうちに、ライバー用のスマホが鳴った。マネージャーの遠見とおみからだ。『コーテックス』の配信はトラブルに備えてマネージャー陣が当番制でチェックしている。たまたま彼女が当番だったか、そうでなくとも当番の人から聞いて飛び起きたか、それはどっちでもよかった。


 秋葉はそーっとスマホを手に取り、『着信』をタップする。


「遠見さん……おはようございます」

「どういうつもりですか……秋葉さん」


 消え入りそうな声の中に、わずかにとがらせたような口調、困惑の中に、わずかな怒りが感じ取れた。


「それは――」


 秋葉は対戦相手から中傷を受けたこと、それをリスナーに見せないために『畳』状態にしたこと。中傷がエスカレートし、自分の古巣をも攻撃されたこと。それを回避するために無理やり配信を終了するためにあんな言動となったことを話した。


 一通り話し終えたところで、遠見は大きく溜息をついた。


「悪気がないのは分かりました。ですがすぐ思いつく範囲でも、貴方の対処は最善とは言えない部分があります。そのゲーム、キック機能はありませんでしたか?」


 『キック機能』……話し疲れて頭が真っ白だったこともあり、脳みそが答えを出すのに時間がかかった。確か……オンラインゲームなんかで部屋の主が参加者を強制退出させる機能だったか。


 秋葉が答えるまえに、遠見が続けた。


「……確認が取れました。キック機能、あったみたいですね。その状況ではまずその相手をキックするのが一番穏便だったと思います。少なくとも誤解を招く暴言を吐くよりは。」

「……申し訳ありませんでした」


 オンラインゲームの経験の浅さが出てしまった。やりとりを聞かれないようにするまでは悪くない判断だったが、ここで相手をキックして何食わぬ顔をして戻れば、不穏当な発言をしてゲームを終了することはなかった。


「これはなかなか厄介ですね……あの荒らしのコメントそのものは、モデレーターに対応してもらって消すなりすればいいだけです。ですが……貴方の発言はどうしてもネットの海に残ってしまう。『つまらない……こんなのに付き合ってらんない』――あの荒らしのやり取りを知らないリスナーから見れば、貴方がゲームに飽きて終了したと取られるでしょう。ですが、正直に貴方と荒らしのやり取りを公開することはできない、それは分かりますよね?」


 秋葉もそれには気がついていた。あのやりとりは最初から最後まで自分のアイドル時代、つまり『前世』に触れている。決して外に明かすことはできず、したがって弁明に使えない。


「でも、どうすれば……」

「謝罪するしかないでしょうね。あくまで自分の失言ということにして収めるしかありません。イメージダウンは免れませんが……」



 SNSでまず謝罪文の掲載をした上、次回の配信冒頭でも口頭で謝罪するという方針となった。万が一実際のやり取りが明らかになる危険性を考慮し、前回のアーカイブは非公開にせざるを得なかった。


「前回、配信中に不適切な発言をし、そのまま終了してしまいました。許可を得てゲームをプレイさせていただいている身ながら、軽んじるような発言をしてしまったこと、視聴者参加型の配信をしておきながら、参加してくださったリスナーさんを置いてきぼりにして勝手に終了したことについて、反省しております」


 謝罪の後は別のゲームをプレイしたが、平静を装うので精いっぱいだった。プレイ中のことはまるで思い出せず、謝罪の内容が適切だったか、その部分だけが頭の中でいっぱいだった。


 ――配信終了後、デスクを拳で叩く。事実からすれば筋違いの謝罪をしなければならないことに対する怒りと悔しさをたたきつける。こんなところで躓いてしまうなんて。だが考えれば考えるほど、起こるべくして起こった出来事だった。


 ゲーム経験の浅さ、荒らしへの対応の拙さ、何より、古巣への中傷を聞き流せなかった。プライドがかえって足を引っ張ってしまった。『秋葉あゆみ』になったからには、それ以前のことは捨て去ってしまわなければならないのに。


 ――またスマホが鳴った。


「秋葉さん、お疲れさまでした」

「……」


 例によって遠見からだ。彼女もいっしょに謝罪文を考えてくれるなど、夜遅くまで親身に対応してくれた。だが、それに感謝するほどの心の余裕がない。


「冒頭の謝罪、良かったと思います。アバター越しでも申し訳ないという表情が出せていたと思いますし」

「……」

「それと、今回中傷したプレイヤーについては必ず特定の上、然るべき対応をするよう上層部に上申しました。SNSでも『誹謗中傷に対する対応について』という声明が先ほどあったかと思います」

「……ありがとうございます」

「やれることはやったと思います。あとは失点なく普段の配信を積み重ねていくしかないかと――」


 突然会話が途切れ、次に聞こえたのは遠見の困惑した声だった。『えっ?』とか。『そんなまさか……』とか不穏な声が響く。どういう展開になっているのか、予想がつかない。

 喉が砂漠のようにカラカラだ。秋葉はペットボトルのウォーターの残りを飲み干した。そのタイミングで再び遠見が話しかけてきた。


「秋葉さん、心して聞いてください」

「……何ですか?」

「ショックを受けるかもしれませんが……」

「どういうことですか?」


 普段はきっぱりものを言う遠見が、こんなに言葉を濁したことはない。秋葉は思わず唾を飲み込んだ。


「郷田社長が……貴方と『お茶会』を開きたい、貴方と一対一でお話がしたい、とおっしゃっています」




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