第6幕 壁写真
半年後――
菊水は公演の終わった空っぽの『劇場』、その入り口付近の立見席から舞台を臨んでいた。
この劇場の客席と客席の間には、大きな柱が立っている。初めて見たときは、正直邪魔なんじゃないかと思った。というか実際邪魔で、SNSでもずっと昔からファンに愚痴られている。ただ8年間ここで歌い踊っているうちに、いつしか当たり前のような存在になっていた。この空間全てに思い出と愛着が詰まっている。
「卒業おめでとう、キク」
突然の声にハッとなった。誰もいないと思っていたのだ。
呼びかけながらステージから出てきたのはリカさんだった。感情を押し殺したような声だった。表情は悲しみなどははっきりと感じ取れない、仮面を貼り付けたようだった。卒業した後輩を何十人と見送ってきて、感情を出す余裕もないのかもしれない。
思わず頭を下げる。
「お世話になりました。リカさん」
リカさんは息をふうと吐いた後ステージをゆっくりと歩いて、菊水から見て柱の後ろに隠れるように移動した。自らの姿や顔を隠すように。
「……あんたはあたしより後だと思ってた。そしてこのグループの『柱』になるんだって、そう思ってた」
「……すいません。でも、行きたいところ、行かないといけない所が見つかったんです」
リカさんは菊水の言葉に対し、わずかに声を上げてははっと笑った。
「そうか……あんたもあたしと同じ、アイドルしかないんだと思っていたけど、あたしが勘違いしてただけだったか」
アイドルしかない――すずを思いながら活動してきた8年間は、リカさんからはそう見えていたんだろう。だが菊水にとってすずを追うことが、少なくとも今となっては勝ってしまった。すずを追い求めてこの『劇場』を去ることになってしまったことに、リカさんを誤解させてしまったことに、少しだけ罪悪感を覚える。だがその想いを振り払っていかなければならない。
「リカさん、私――」
「分かってるよ。ここには『外し』に来たんだろう?――行ってきな」
最後の『行ってきな』は、少しだけ震えた声だった。
菊水は踵を返して『劇場』の外に出た。
『劇場』入口の近くの外壁には、一面に写真が飾られているエリアがある。それは現在在籍しているメンバーの壁写真だった。そして卒業するメンバーは、自らの手で自分の壁写真を外す慣習がある。
菊水は自分の壁写真の前に立ち、そして静かに自分の写真の入った額縁に手をかけた。初々しい自分のかつての姿と向き合う。
これからすずを追って、彼女が所属しているであろう『コーテックス』所属Vtuberになる。オーディションを経て合格が決まったタイミングで卒業を発表し、残っていた仕事にケリをつけ、そして最後の公演を終えたのが今日だった。
『コーテックス』に所属すれば、今までの名前と活動は伏せなければならない。このグループはOBが公演やステージにゲストで参加したり、向井のように裏方として関わり続ける人も少なくないが、それも出来なくなる。
『コーテックス』に入ればVtuberとして名前とアバターを与えられ、ファンからもその名前、その姿で応援される。自分の名前やこれまでの活動は、忘れられていくのかもしれない。そうなっても今までの自分を、この8年間を忘れてしまうことのないように――。
菊水は自分の写真の入った額縁を鞄にしまい、劇場を後にした。
◇
菊水はエレベーターから降り、密かに伝えられたとあるビルのフロアに立った。
エントランスは白く磨き上げられた真新しい床で覆われ、正面突き当たりの壁には『コーテックス』の運営会社
ロゴは『動画再生一時停止』を意味する2つの縦長の長方形を象ったシンプルなもので、ここが『コーテックス』の最新のスタジオであることを、ありありと示していた。
左右に伸びる通路のうち、左側を選んで通り抜けると、道中にはホワイトボードが掛けられている。菊水はそれを見て足を止める。そこにはマジックで野放図に書かれた文字や絵の数々があった。これらは『コーテックス』のメンバー、通称『コルメン』が書いたサインや絵なのだという。
しばらくそれを眺めていると、2人組の女性とすれ違った。黒髪で背の低い丸眼鏡の30才くらいに見える女性と、カチューシャ姿の痩せた女の子。菊水は『おはようございます』と会釈を添えて挨拶した。
『お……おはようございます』
カチューシャ姿の女の子が面食らったような顔をしながら挨拶を返したが、そのまま2人はヒソヒソ声で何かを話しながら去っていった。
サインを見ても『雁来とまり』のものかどうかわからなかったこともあり、菊水はそこそこでホワイトボードから離れ、目的の部屋に向かう。
道中で他にも何人かとすれ違った。外見ではコルメンなのかマネージャーやスタッフなのか分からない。だが全員が揃ったように、菊水の顔をしばらく見ると他の人とこっそり何やら話している。
8年もアイドルをやってきたからには顔は割れているだろうが、こんな反応をされたことはない。ちょっとばかり不安になる。
とはいえさほど時間もかからず目的の部屋にたどり着いた。ノックして静かに扉を開ける。
何となく香ばしいにおいがするな……と思っている矢先のことだった。
「おー?これで部屋には4人の女子、つまり全員集合ですかな?」
そこには菊水を含めて4人の女性。これが『コーテックス』内部ユニット『Re-in-Canation』4期生、通称『Reality』のメンバーとの出会いだった。
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