三次元の逆襲~落日のアイドル、Vtuberになる
へまとろ
第1幕 総選挙
踊り疲れた1人の少女が・
「ふぅ……」
すると、頭上から汗だくのもう一人の少女が照明を遮るように仁王立ちになりつつ声をかけてきた。
「――キク、もう限界?ウチはまだ、2時間はいけるよ?」
そう声をかけられた菊水は呆れた顔で答える。
「はあ……すずの体力は知ってるけど、2時間は盛りすぎでしょ。それに今日のレッスンはこのダンスで終わりだよ。『総選挙』を見なきゃ」
それを聞いたもう一人の少女・
隣では同じくダンスの練習をしていた
菊水は向井を無視して立ち上がると更衣室で汗をぬぐい、帰り支度をして、2人で街に出た。夏真っ盛りだが、もうすっかり暗くなっていた。
◇
菊水は高校生ながら上京して、事務所の寮に住んでいる。伊勢も同じ寮だった。1Kの住まいの上、金銭的にもテレビを置く余裕はなかった。だが心配はいらない。この街でテレビやモニターがある場所なら、今夜の『総選挙』が映らないことはない。あれはもはや、国民的行事だ。
目星をつけていた電気店に入る。エアコンの風が汗をかいた身体に寒いくらいの感触で通り抜ける。平日夜の電気店なんて、大した人通りもない。菊水と伊勢はその風に逆らうように足を速めた。もう番組は佳境のはずだ。
2人が大型モニターの前にたどり着いたとき、ちょうど『総選挙』はクライマックスを迎えていた。次のシングルCDのセンターの座をかけた選挙の結果を、メンバーが固唾を呑んで待つ、張りつめた空気の会場が映し出されていた。世界レベルのサッカーや陸上競技でも使うスタジアムだ。画面左側のテロップには上位10位の名前と票数が掲載されているが、まだ1位は隠されている。
この票は、ファンが購入したシングルCDについている投票券によるものだ。その1票1票の重みが会場の空気を張りつめさせ、画面越しに菊水たちにまで伝わってくるのだ。
やがて、司会の男性の声が響く。
「第9回総選挙、第1位は、31万0288票を獲得した――」
その瞬間、会場は驚きの声に包まれ、メンバーたちは声を上げた口を手で押さえる。しかしテレビカメラはすぐにある一人の女性を映し出した。
「――
それを聞いて伊勢が声を上げた。
「さ、3連覇……!」
「すず、声が大きい。人、通ってるよ。……それに、1位は分かってたようなもんでしょ」
「おやおや?キク、推しの1位に冷静すぎやしませんか?それとも、絶対1位獲るって分かってたってことなのかな?」
伊勢がとぼけた返答をしたところで、菊水は画面から目を離さずに言った。
「すず、黙って。スピーチが始まる」
指宿と呼ばれたその女性は、立ち上がって壇上に立ち、目に浮かんだ涙をぬぐい語り始めた。
「ただ、アイドルが好きで……ここまで走ってきただけの私を、応援し続けてくださる皆さん、ありがとうございます。こんな私でも、3度も1位になれることで、たくさんの人を勇気づけられたらと思います」
語り終えて再び涙する指宿。菊水も彼女につられて目頭が熱くなる。すでに頂点に就いて久しいのに謙虚さ、初々しさを忘れないこの姿勢。これが彼女ならではのもっとも惹かれる部分だった。それでいてトップにふさわしいオーラも兼ね備え、そちらも歴代の1位に決して劣らない。今までずっと憧れてきた存在、オーディションを受けるきっかけになった存在だ。だが――
「来年からは、憧れじゃなくて、超えるべき目標だ」
菊水は決然として言った。伊勢はそれを聞いて菊水の方を向き直る。
「まあ、まずは劇場デビューからじゃない?」
このグループではまず研修生となり、『劇場』で研修生だけの公演や、正規メンバーの公演のバックダンサーなどの経験を重ねて認められれば正規のメンバーに昇格する。昇格すると、チームに割り振られて本格的な公演に参加するようになる。
研修生の段階で公式サイトなどでは名前や顔写真が掲載されて公演も行ううえ、『総選挙』の被選挙権もあるため、ファンからは知られた存在でありこの段階でも活躍するチャンスは十分にある。
だが菊水と伊勢はさらにその前の段階、『仮研修生』に過ぎなかった。レッスンだけを受けていて公式サイトに掲載されず、劇場デビューすらしていない段階。全くの無名で、いつデビューするかも決まっていない。
この段階で1位を目指すなんて
「そうかもしれないけど……私はすずと1位を争いたい。すずとなら、どこまでも登っていけそうな気がする」
伊勢はぽかんとした顔になった。菊水には何となく、ほんの少しだけ頬が赤らんでいるように見えた。
「何それ、いまさらライバル宣言?それともまさか……告白?」
「……悪い?」
だが伊勢は直接返答をすることなく、一瞬周りを見回して、にんまりとした顔で言った。
「人、通ってるよ」
「なっ……!」
あわてて辺りを見回すが、誰も見当たらない。
こうして伊勢に意趣返しを食らったところで番組は終わり、閉店時間を告げるアナウンスが鳴ったところで、2人でそそくさと店を出た。
『すずとなら、どこまでも登っていけそうな気がする』
さっき言った言葉は、紛れもない想いだった。2人はそれぞれ違う地方からの上京で、同じ寮に暮らすことになった。お金はないから遊びに行くことは無く、高校を除けばひたすらレッスン場と寮だけを行き来し、家ではひたすらお互いのパフォーマンスを録画した映像を振り返り、語り合った。互いにアイドルへの情熱が他の誰よりも強いことを知り、その距離は急速に縮んでいった。
どちらかが1位で、どちらかが2位になる。その日は必ず来る。
――あの頃は、まだそう信じていた。
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