第2話 32歳、フルボッコ状態でようやく“自分の取扱説明書”を手に入れた話

32歳のある日。

私は、ボロボロになってひじ掛けにもたれながら、病院の椅子に座っていた。


そして、問診票を書く前にこう言われた。


――ああ、もう、見ればわかります。


まるで天気予報でも読むみたいな口調だった。


なんの話かって?

広汎性発達障害(PDD)、つまり“大人の発達障害”の診断である。


そのときの私はというと、自己肯定感は水たまり以下。

社会からも人間関係からも脱落して、心も体もフルボッコ。


もはや“人生のリセットボタン”を探しながら生きていた。


IQは平均だったが、上下の差が激しかった。


高いところは「難関大学のゼミ生レベル」

低いところは「年少さん未満」


「バランス悪いねえ」と笑った医者の顔、今でもちょっとだけムカつく。


診断名には「自閉傾向あり」「ADHDもあり」など、見事なフルコンボが並んでいた。


でも実際の私はというと:


・決まったルーチンが大好き

・予定変更は死活問題

・ひとり時間は天国

・暴力沙汰ゼロ、むしろ「空気と一体化」志望


完全に“引きこもり仕様”のスペックである。


ただし、しゃべるのは好き。人間観察も好き。社会学も好き。


このへんはADHD由来らしい。


結果として、「ちょっと変わった理系女子」くらいには見せかけられていた。


要するに、“演技力”と“運のよさ”で、30歳まではごまかせていたということだ。


じゃあ、なぜ今さら診断を受けたのか?


シンプルだ。

死にかけてたからである。


思い返せば、幼い頃から「変な子」だった。


わけのわからない説教、「空気読め」の圧、協調性ごっこに耐えきれず、毎回ブチ切れていた。


でも誰も、その理由なんて説明してくれなかった。


だから私は、「自分がダメな人間なんだ」と思い込んでいた。


けれど、32歳でようやく正体がわかった。


それは、「自分の取扱説明書を30年越しに手に入れた」ような感覚だった。


中身は英語と専門用語ばかりで、読み方も難しい。

でも、少なくとも――

私は“壊れた部品”じゃなかった。


もし子どもの頃、「発達障害」という言葉を知っていたら。

きっと、人生はもう少しだけ優しかったと思う。


でも、知らなかったからこそ。

私は今、人の痛みに少しだけ敏感でいられる。たぶん。

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