好きな娘の背中に和彫りが彫られてた。
こままのま!
夏の花は背に咲いた
「海、行かね?」
昼休み。窓際の席で静かに弁当をつつく彼女に、俺──
クラスの中ではあまり目立たないタイプ。静かで、いつも文庫本を読んでいる。気弱そうな話し方に猫背気味の姿勢。体育も発表も、常に一歩引いた場所にいるような、そんな子。
付き合って一カ月。周囲にはまだ秘密の関係で、俺たちはあまり人前で親しげにしない。だが、誰よりも彼女のことを知りたいと思っている。
「……え?」
突拍子もない話だったからか、彼女はいかにも驚いたように目を見開いた。
「だから、みんなでさ。週末、海に行こうって話が出てて。黒瀬もどうかなって」
本音を言えば、二人きりで行きたかった…が、付き合ってまだ一カ月。異性と一対一で遠出なんて、彼女にとってはまだハードルが高い。そこで俺は思いついた。人数を増やして“安心感”を演出すればいい――と。
「え、えっと……ど、どうしよう……。あんまり、そういうのって……得意じゃない、かも……」
「別に泳がなくてもいいし、日陰でのんびりしてるだけでもいいと思うぜ。日焼けも気になるだろうしさ」
黒瀬はおずおずと、俺の顔を見た。
「ゆうくんは……行くの?」
「んー、黒瀬が行かないなら俺も断ろうかな。正直、そんなに強く行きたいってほどでもないし」
本当はちょっと楽しみにしてたけど、それは内緒だ。なによりも彼女の気持ちが最優先。盲目すぎると言われるかもしれないが…今年の夏は、彼女とがいい。
黒瀬は少しだけ目を伏せて、何かを考えるように箸を置いた。
昼休憩のチャイムが鳴る。立ち上がろうとした俺に向かって、彼女はポツリと、でも確かに言った。
「……うみ、ゆうくんと……いきたい、な」
頬を赤らめ、恥ずかしそうに目をそらす彼女。その顔は、夏の青空よりもまぶしかった。
□ □ □
迎えた当日。夏の太陽が照りつける快晴の空の下、白い砂浜が光っていた。
黒瀬は長袖の薄い羽織を身にまとい、大きなつばの帽子で顔を隠していた。完ぺきな日焼け対策。水着の上からのロングガードは、海に遊びに来たというより、散歩しに来たという感じがする。
「暑くない?」
「……だいじょうぶ。風、気持ちいいから……」
彼女は薄く微笑んだ。遠くで友人たちがビーチボールを弾ませたり、叫んだりしている。賑やかな波の音に混じって、俺と彼女は静かに波打ち際を歩いた。
膝まで海に入って、砂の感触と潮の香りを楽しむ。最初は波に怯えていた黒瀬も、次第に足を浸けて笑うようになっていた。
「ちょっと、深くまで行ってみよっか」
「……うん。でも……ちょっと、怖いかも」
それでも、彼女の足は確かに前に進んでいた。俺はその姿が嬉しかった。彼女が俺と一緒に“夏”を楽しもうとしてくれている。それだけで十分だった。
しかし、その瞬間だった。
「きゃっ……!」
沖から押し寄せた一際大きな波が、彼女の体をさらった。
「黒瀬っ!」
思わず叫んで手を伸ばす。
転んだ彼女は浅瀬に沈みかけ、羽織っていたサマーガードがふわりと波に乗って流れた。
そして次の瞬間――
目の前に現れたのは、濡れた肌にまとわりつく水着と、彼女のむき出しの背中。
そしてその背には、一面に咲いた和彫りの文様。
牡丹、桜、そして波。細かく丁寧に彫り込まれたその模様は、まるで一枚の屏風のように、美しく、そしてどこか禍々しさを感じさせる。
俺は一瞬、息を呑んだ
「……っ……見た、よね?」
震える声。目を伏せたまま、彼女は水の中に肩まで沈み込んだ。
「えっ……な、何を?」
咄嗟に俺は目をそらし、意味のない嘘をつく。
「ちょうど水が目に入ってさ、よく見えなかったんだよねっ!」
自分でも情けないほど裏返った声だった。
「……うそ。ぜったい見たよね」
彼女が立ち上がり、俺にゆっくりと歩み寄ってくる。
そして――俺の首に、そっと手をまわした。
「……あーあ。せっかく隠してたのになぁ」
水に濡れた髪を払い、彼女はにやりと口角を上げて笑った。あの、いつもおどおどしていた黒瀬凪とは別人のような、妖しい笑みだ。
「あ、あのっ! 俺は、黒瀬が何を背負ってようと関係ないというか! 背中に鬼がいようが虎がいようが関係なく付き合っていきたいというかっ!」
しどろもどろになる俺の口に、彼女の細い指先がそっと触れられる。
「なぎ」
「へ?」
「黒瀬じゃなくて、“なぎ”って呼んで。…そのくらいはしてくれる、よね?」
「……わ、わかった。凪」
「うん、ゆうくん」
にっこりと笑うその顔に安堵して腰が抜ける。砂に崩れ落ちると、冷たい波が下半身を打った。だが、その冷たさを吹き飛ばす一言が、すぐに彼女の口から放たれる。
「……ね、ゆうくん」
「な、なに?」
「このこと……誰かに言ったら、パパに言うから」
「……パパ?」
「うん。パパ。組長やってるの。黒瀬組っていうんだ。今は分家だけど、本家の方とも関係あるんだよ?」
ぞくりとした。
「あー将来的には、ゆうくんのパパにもなるかもしれないけど…ね?」
背中の和彫り以上に、目の前の彼女の笑顔の方が、ずっとずっと怖かった。
「浮気とか、別れ話とかも、ちょっと苦手なんだよね」
「だからさぁ…ずぅと一緒にいようね、ゆうくん」
その一言と一緒に、彼女は再び俺に体を預けた。
遠くで、波の音がしている。どこか、攫われていくような、もう戻れないような。深く、鈍い音に感じた。
好きな娘の背中に和彫りが彫られてた。 こままのま! @koma0427
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