第6話 どこにでもある宇宙

 夏休みに入ってから――私は毎日のように、七五三くんの家に通った。

 七五三くんちは田舎にあるから、なんだかとっても涼しい。


 言い方は悪いけど、ちょっと避暑地みたいな感じ?

 彼氏の家が山の近くって、ケッコー良いものです。


 しかしそれにしても……今年の夏は暑い!


 これって、どうなの?

 温暖化?

 まぁ、色んな説があるみたいだけど、ホントのとこはどうなんだろう?


「毎日、暑いよね……」


 宿題の手を止め、私は彼に言う。

 私たちの勉強部屋は、おじいさまの幽霊屋敷のリビング。


 魔法陣みたいな絨毯。壁に貼られたキテレツなお札。 ニンニクの束。

 古くてぶ厚い書物、部屋中を取り囲むカラスたちの剥製。


 はい。

 私、そろそろマジで慣れてきました……。


「どうしてこんなに暑いんだろ? せっかくクーラーをつけてるのに」


「クーラーが耐えられる外気温は、基本43度なんだ。つまり外の気温は、今、43度以上なんだろうね。そうなると、クーラーもなかなか上手く機能しなくなってくる」


「43度……マジか……だからこんなに暑いんだね……」


「ねぇ、葉月さん――」


 宿題から顔を上げ、七五三くんが言う。


「そろそろお昼だよね」


「あぁ、ごめんなさい。そろそろ私、帰るよ」


「いや、そうじゃなくて。良かったら、ソーメン食べない?」


「ソーメン? いや、いいよ。いつもごちそうになってばっかだし」


「いや、良かったら食べてもらえないかな? おじいちゃん宛てに、日本中のアチコチからよく送られてくるんだ。ボク一人じゃ、とてもじゃないけど食べきれなくて」


「そっか。うん。それじゃあ、いただいちゃおっかな」


 七五三くんのおじいさまは、生前オカルト研究家だった方。

 だからアチコチの土地に、お友だちがいたんだろう。

 って言うか――みんな、おじいさまが亡くなったこと、知らないのかな?


 七五三くんが、台所の方に歩いていく。

 十分もしないうちに、ソーメンのセットを持ってきてくれた。


 小皿の上には――ネギ、錦糸タマゴ、キュウリ、ミョウガ、シイタケを煮たもの。

 自家製のつゆ、チューブじゃないワサビ。


 はい。

 私の彼氏・七五三くんは、どんな料理でも作れます。

 私の出る幕なんかございません。

 しかも盛り付けは、お店レベルで美しかったりするのです。


「なんか……七五三くんって、フツーに一人暮らしができてるよね……」


「そう?」


「やっぱり私も女子として、料理を作る練習とか、するべきなんだろうか?」


「女子としてって、何?」


「いや、だって、女の子は、やっぱ料理が上手な方が――」


「家庭料理なんか、誰だって作れるよ。作れる人が作ればいいんじゃないかな?」


「そ、そうなのかな?」


「世の中にはね、もっと大事なことが色々あるよ。料理に人生をかけるのは、料理人だけでいいんじゃない? 彼らは本当に神業的な技術を持っているからね」


 いや、でも、勉強は七五三くんの方ができるし。

 私、木登りとかできないし。

 料理どころか何もかも、私、七五三くんよりすごいとこが一つもないんですけど?


 そんなことを考えながら、私はズズズッとソーメンを食べる。

 やっぱ七五三くん、ソーメンを茹でるのも上手いなぁ……。

 絶妙なタイミングで、キリッと氷水でしめてる。


「ところで、葉月さん」


「ん?」


「今日、お祭りがあるよね?」


「うん。え? 何? もしかして七五三くん、私といっしょにお祭りに行ってくれるの?」


「いや、行かない」


「キッパリ……キッパリすぎるでしょ、それ……」


「じゃあ今日のキミは、少し遅くまで外出できるのかな?」


「限度があるけど。まぁ、お祭りが終わる時間くらいまでなら……」


「だったら――夕方、水着を持ってウチに戻っておいでよ」


「み、水着?」


「うん。暑いんだろ? いいとこに連れてってあげる」


「そ、それは、まぁ、いいけど……」


「じゃあ、準備があるから、ボクはこれで。食器はそのままにしておいて。勝手に帰ってくれていいから」


「え? ちょ、何なの、七五三くん? 準備って、何の準備?」


「宇宙だよ」


「う、宇宙?」


「うん。それじゃあ、また夕方ね!」


 そう残すと、七五三くんはリビングから出ていった。

 幽霊屋敷の謎リビングに座ったまま、私はソーメンの続きを食べる。


 な、何なんでしょう、私の彼氏?

 フツー、ソーメンと彼女を残して、どこかに行きますか?


 ま、いいですけどね。

 私、ソーメン、食べますけど。


 でも――なんで水着?

 って言うか、宇宙って、何?


 どこよ?

 Whereよ?


 ここらへんに、夜間営業してる『宇宙』ってプールがあるのかな?

 いや、でも、ここらへん、コンビニすらありませんよね……。


       〇


 自転車で家に帰ると、私はすぐに水着の用意をした。

 色々バッグに詰め込んでいる私を見て、ママが言う。


「あらら? 彼氏とお祭りですか? いやん、妬けちゃう」


 ウチの親は、放任主義。

 私に彼氏がいようがいまいが、まったく気にしないご様子。


『うん。あのね、ママ。今日はめちゃくちゃ暑いから、彼氏といっしょに宇宙に行ってくるよ♪』


 こんなことを言ったら、ママは一体どんな顔をするだろう?

 逆に、『宇宙なんか行っちゃいけません!』とか、真顔で止められたりして。

 だから私は、「ご想像におまかせいたします」と笑っておいた。


 夕方になり、あたりが夕やけに染まりはじめる頃、私は家を出る。

 浴衣姿の人々とは、まったく逆の方向にペダルを漕いだ。


「やぁ、葉月さん! いらっしゃい!」


 おじいさまの幽霊屋敷から出てきた彼は、いきなり、もぉ、やる気満々だった。

 頭の上に乗っけた、ゴーグルタイプの水中メガネ。

 学校指定の、男子用・紺色スク水……。

 まぁ、私だって、スク水なんですけどね……。


「な、七五三くん……めっちゃやる気じゃないですか……」


「うん。じつはボクも、宇宙に行くのはひさしぶりなんだ。だから、もうさっきからウズウズしてるよ!」


「でも『宇宙』って、何? どこ? どうやっていくの? 七五三くん、スク水で自転車に乗るの?」


「いや、歩いていく」


「歩いて?」


「葉月さんも、水着に着替えてきてよ」


「いや、私、服の下に着てる」


「キミだって、めちゃくちゃやる気じゃないか」


 そうほほ笑んで、七五三くんが私に手を差し出してくる。


「それじゃあ、手をつなごう。転ぶといけない」


 私は、彼の手をとる。

 手をつなぎ、七五三くんの家を出ると――彼はなぜか、私をお屋敷の裏に導いた。


 そこは、なんだか森のような場所だ。

 少し、薄暗い。

 時間も夕方から夜になる中間だから、木々の奥はもう夜みたいだった。


「『宇宙』ってとこ、七五三くんちの裏側にあるの?」


「葉月さん」


「ん?」


「宇宙って、一体どこにあると思う?」


「ホントの宇宙のこと? それなら、あっちでしょ?」


 人差し指を立て、私は空の向こうを指さす。

 その回答に、彼は少しだけ肩をすくめた。


「宇宙ってね、じつは色んなとこにあるんだ」


「色んなとこ?」


「うん。もちろん、今のキミの答は正解だ。でも、いつだって、どこだって、答っていうのは複数あるものなんだよ。一つだけなんてことは、ゼッタイにない」


「複数……」


 歩きながら、彼が自分の胸を押さえる。


「たとえば、ここ――ボクの心の中にも宇宙が存在する。うち宇宙うちゅうと呼ばれる宇宙だ」


「内宇宙……」


「そう。内宇宙は、誰の心の中にもある。そこはまるで、空の向こうにあるあの宇宙と同じように、無限に広がっている」


「無限に……」


「海の底にも、宇宙はある」


「海の底にも?」


「うん。深海は、地球内部に存在する宇宙だと言われてる。実際のところ、深海は宇宙と同じくらい、人類には何もわかってないんだ。そもそも到達したことがない」


「ないんだ……」


「あとは、まぁ、原子・素粒子・量子力学の世界にも宇宙は存在するね。『ミクロ宇宙』だ。インターネットだって、『サイバー宇宙』だよ」


 私たちは、森のさらに奥へと歩いていく。

 静かだ……。

 とても静かな場所だった……。


「そして今からキミに紹介するのは、ボクのおじいちゃんの宇宙だ。ここはね、誰も来れない宇宙なんだよ?」


「誰も、来れないの?」


「うん。今、この宇宙に入れるのは、ボクだけだ。でもキミはボクの彼女だから、特別に招待したい」


「ス、スク水で?」


「スク水で」


 七五三くんが、いきなり立ち止まる。

 彼が指さした方向を見て、私は「え……」とそこを見つめた。


「これがおじいちゃんの宇宙だよ。彼はいつも夏になると、この場所でのんびりしてたんだ」


       〇


 そこに広がっていたのは――まるで月面のような空間だった。

 ゴツゴツとした、灰色の世界。

 岩みたいものがポツポツと転がっていて、その中央に大きな水のたまりがある。


「こ、これは……宇宙と言うか……お、お風呂、的な? ろ、露天風呂?」


「まぁ、みんなはそう呼ぶかもね。でもボクもおじいちゃんも、ここを『宇宙』と呼んでいた」


「う、宇宙といえば……まぁ、宇宙っぽいけど……」


「さぁ、入ろう。水は裏山から流れてくる清水せいすいだ。午後から水を止めて、きちんと掃除もした。飲めるし、泳げる」


 私と七五三くんは手をつないだまま、その水に足をけていく。


「ひゃっ!」


 な、何、これ?

 め、めちゃくちゃ冷たいよ!

 この夏の暑さが、一瞬でゼロになるくらい!


「う、うわぁ……すごく冷たい……でも、気持ちいい……」


「まず足から水温に慣らしていこう。いきなり飛び込んだら、心臓に悪い」


「りょ、了解」


 ヒザから下だけを水に浸け、私はバシャバシャと揺らしてみる。

 この水、なんだかプールの水と全然違う。

 本物の水、って感触。


「慣れてきたら、少しずつ体を浸けるといい。この暑さなんか、すぐに吹っ飛ぶよ」


 私から手を離し、七五三くんが腰まで水に浸かった。

 頭の上の、水中メガネをかける。

 大きく息を吸い込むと、頭のてっぺんまで水の中にもぐりこんだ。

 数秒で、ザバーンと顔を上げてくる。


「わぁ! やっぱりこの宇宙は最高だよ! 冷たくて気持ちがいい!」


「わ、私もやってみよっかな」


 なんだか七五三くんがうらやましくなって、私もその場で服を脱ぐ。

 はい。

 学校指定の紺色スク水です。

 オシャレとか、可愛いとか、そういうのは全然ありません。


 ゆっくりと、その水の中に下りていく。

 彼と同じように、水の底にもぐってみた。


 ホッペタに、冷たい水の感触が広がっていく。

 毛根に、心地良い冷たさがしみ込んでいった。

 息が苦しくなると、私はその場から勢いよく立ち上がる。


「め、めちゃくちゃ気持ちがいいよ! 猛暑なんか、全然気にならないレベル! 毎日でも入りたい!」


「ははははは。だったら毎日、水着を持ってくるといいよ。キミさえよければ、ここで宿題をやってもいい」


「でも、ここってたしかに宇宙だね! ルックスが宇宙っぽい! 月面みたい!」


「いや、ホントはね、ここはもっともっと宇宙なんだ」


「もっともっと宇宙?」


「ほら、来た」


 七五三くんがアゴ先で示した方向を見ると、そこには一つの小さな光が見えた。

 とてもとても、小さな光。

 あれは……ホタル?


「この森の向こうに、とても綺麗な川があるんだ。そこにはね、ホタルの幼虫のエサになる巻貝が生息している。暗いし湿度もあるから、ホタルがたくさん育つんだよ」


 彼の説明を聞いているうちに、たくさんのホタルが集まってくる。

 こ、こんなことってある?

 あっという間に、ありえない数のホタルたちがこの暗闇を飛びはじめていた。


「ちょっと待ってて」


 そう言って、七五三くんが水から出ていく。

 一人で水に浸かったまま、私は次から次へと増え続けるホタルたちの輝きを見つめた。


 こ、これは、たしかに宇宙!

 真っ暗な宇宙空間に、キラキラした小さな星たちが揺れている!


 宇宙!

 宇宙だよ、これ!


「どう、葉月さん? おじいちゃんの宇宙」


「す、すごいよ! めちゃくちゃ、宇宙だよ!」


「スイカ、食べるよね?」


 いつの間にか、七五三くんがスイカを手にしている。

 すごく、大きなスイカ。

 持ってきた包丁とまな板で、彼がそれを切り分けはじめた。


「近所の農家さんがくれたんだ。すぐそこの井戸で冷やしてた。ボク一人じゃ食べ切れないから、葉月さんも手伝ってよ」


「手伝う、手伝う! 私、めちゃくちゃ手伝うよ!」


 それから私たちは、宇宙に座ってスイカを食べた。

 足を水に浸け、宇宙の星々、って言うかホタルたちをながめながら、美味しいスイカを食べる。

 昼間が猛暑だからか、蚊もいない。


 綺麗だ……綺麗だよ……。

 こんな夏、フツー過ごせる?


「ねぇ、七五三くん」


「何?」


「さっきあなたが言ったみたいに、宇宙って、空の向こうにあるものだけじゃないんだね」


「うん。宇宙は、どこにでもある。そしてどんな宇宙も、まるで無限のように広がってる」


「あのね、七五三くん」


「うん」


「今日の、この素敵な宇宙は――たぶん一生、私の内宇宙に残っていくと思うよ」


「だったらうれしいな。でもキミの内宇宙は、無限だ。ボクはいつか、その無限の宇宙を、素敵な思い出で埋めつくすことができるんだろうか? その、彼氏として」


「どうだろ? でも私も彼女として、七五三くんの内宇宙を素敵な思い出でいっぱいにするつもりだよ」


 私たちはほほ笑み合い、キラキラと輝くホタルの星たちを見上げる。


 ホタルの命は短いと、どこかで聞いたことがある。

 星の寿命も短いと、何かで読んだことがある。


 でも――私と七五三くんが見てるこの宇宙は、ずっとずっと永遠だ。

 少なくとも、私の心の内宇宙には、いつまでも残り続けるだろう。


 宇宙で食べる、よく冷えたスイカ――美味しいね、七五三くん。

 私たちはきっと、人類史上初、宇宙でスイカを食べた二人だよ♪


 地球は、今の私たちの姿を、自分の内宇宙に覚え続けていてくれるかな?

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