ぼくはとても遠い海の真ん中にいます

後谷戸隆

ぼくはとても遠い海の真ん中にいます

「ぼくは無人島にいます」というお手紙をもらったのは三ヶ月ほど前のことでした。


「とてもさみしいので、佐藤さん(わたし)と文通ができないでしょうか」


 お手紙にはそう続いていました。


 それがわたしと彼との文通の始まりだったのです。 


 でも、そのお手紙のやり取りは、ふつうとはちょっと違っています。


 ふつうでしたら、手紙のやり取りは、郵便ポストを介して行われるでしょう。でも、わたしたちの文通は、わたしの机の引き出しを介して行われているのです。


 どういう理屈でそうなっているのかというと、それはわたしにもわかりません。


 ただ、どういうわけかわたしの机の引き出しは、彼のいる無人島とつながっているらしいのでした。 


 彼はわたしの手紙を読んで、「佐藤さんこんにちは。今日はかまどを作りました」とか「鏃(やじり)を作りました」とか、そんなことを手紙に書いてくれて、その手紙をなんらかの方法でわたしに送ってくれます。


 一方でわたしは、「こんにちは、今日はわたしの書いた詩を送ります」とか、「小説を送ります」というふうに、わたしの作ったお話を送っていました。 


 彼はわたしのお話をとても喜んでくれて、「とても面白いです」とか「今日はできが悪いです」とか書いてくれます。


 わたしはわたしの書くものを楽しんで読んでくれる人を、彼のほかには知りませんした。


 わたしが書きものをしていることは、お母さんにも、友達にも内緒だったものですから、だから彼は、わたしの書くものの、ただ一人の読者だったのです。


 わたしは彼のことが大好きでした。 


 暇さえ見つければしょっちゅう机の引き出しにわたしの作った話を入れて、「今日のは自信作です。お返事お待ちしています」と彼の返事を待つ日々を送っていたのでした。


「あなたのことを助けにいけたらいいのですが」とわたしはよく手紙に書いて送っていました。すると彼は「ぼくを助けることはきっとできませんよ」と返事をします。


「どうして?」 


「ぼくはとても遠い海の真ん中にいます。周りにはたくさんのサメがいます。たくさんの海賊が行き交っています。佐藤さんがきたら、きっと死んでしまうでしょう」


「それでも、わたしはあなたのことを助けにいきたいです」


 すると、彼は涙のにじんだ手紙を返してくれました。


「ありがとう、佐藤さん、その気持ちだけで、ぼくはうれしいです。ぼくは生まれてからずっと、そんなことを言ってくれる、ただ一人の友達だけを持ちたかった気がします」


 わたしは、わたしの手紙でこんなに喜んでくれることが嬉しくて、


「わたしも、わたしの書いたものをこんなに読んでくれる、ただ一人の友達を、ずっと探していたように思います」と気持ちをこめて書きました。




 それから半年が経ちました。


 ある日のこと、お父さんが、我が家の屋根裏に潜んでいる侵入者を見つけました。 


 侵入者は、何年か前の大不況のときに職を失ってしまったのですが、たまたま我が家に都合の良い屋根裏があるのを見つけると、そこに居着いてしまったらしいのです。


 侵入者は、家族がみんな出払った昼間や夜中など、こっそりと屋根裏を抜け出して、冷蔵庫の中身を少しずつ拝借していたということでした。それで時折、お母さんは冷蔵庫の中身がなくなっているといって、わたしをしかりつけていたのでした。 


 それ以来、彼から手紙が届くことはなくなりました。




 それでも、わたしはわたしの書いた小説や詩を、手紙の形にしたためて、机の引き出しに入れていました。


 彼の感想を聞きたいと思って、彼の無聊を慰められればと思って、何度も手紙を書いてみました。


「お返事、お待ちしています。どうか」


 でも、わたしの手紙が彼の無人島へ届くことは、二度とありませんでした。 


 いつか、遠い海の真ん中で、ただ一人で孤独に苦しんでいる彼のことを、忘れられるような日もくるのかもしれません。でも、それまでわたしは、何度も何度も、彼からの返事がこないかと思って、引き出しを開けてしまうのだと思います。

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