第7話 一日の終わりに

 長棍を使った訓練を終え、リックの全身は心地よい疲労に包まれていた。まだ動きはぎこちないし、体力も続かないが、それでも一歩ずつ進んでいるという実感があった。額の汗をぬぐいながら、彼は深く息を吐き、闘技場の廊下を歩き出した。


 休息所へ向かう途中、照明の灯りが届かない薄暗い角を曲がったそのときだった。不意に誰かの声が背後から響いた。


「ヘイ、そこのキミ。昼の無様な戦いぶり、見てたよ。」


 唐突にかけられた軽薄な声に、リックは足を止め、ゆっくりと振り返った。そこに立っていたのは、やけに派手な衣装をまとった青年だった。深紅と金の刺繍が施されたジャケットに、丈の長いブーツ。胸元のフリル付きシャツはまるで舞台衣装のようで、場違いなほどきらびやかだった。


「ぼくの名はロイド。この闘技場じゃ、それなりに名が通ってる“天才剣士”さ。……で、キミ。今日からここで暮らすって聞いたけど、あんな戦い方で本当にやっていけるのかい?」


 ロイドは口元に笑みを浮かべたまま、リックの前を優雅に一歩踏み出した。その表情には明らかな侮蔑と、同時にどこか芝居がかった雰囲気があった。


「まあ、せいぜいぼくに負けるまでは死なないでくれたまえよ。ハッハッハッ。」


 乾いた笑い声が廊下に響く。挑発というより、見下すような態度に、リックの胸の奥がほんの少しムッと熱を帯びた。しかし、今の彼にできるのは、感情を抑えることだけだった。


「……ありがとう。君も、頑張ってくれ。」


 リックはできるだけ落ち着いた声でそう返すと、ロイドの脇を静かに通り過ぎた。心の中で深く呼吸を整えながら、歩みを止めない。こういうタイプは、言い返しても火に油を注ぐだけだ。リックはそれをよく理解していた。


 やがて選手用の休息所に到着した。分厚い木の扉を開けると、そこには思ったよりも落ち着いた空間が広がっていた。石造りの壁には布のタペストリーがかけられ、壁際には並べられた簡素なベッド。その上では数人の戦士たちがそれぞれの姿勢で休息を取っていた。中には瞑想をしている者もいれば、布で剣を磨いている者もいる。


 リックは空いているベッドを見つけて腰を下ろし、深く息をついた。筋肉がジンジンと痛みを訴えるが、それもどこか心地よい。今日という一日は、彼にとって初めての挑戦に満ちていた。


(朝には武器も持ってなかったのに……今はこうして、訓練を終えて、自分のベッドに座ってるなんて)


 目を閉じれば、あの異世界に飛ばされた瞬間から、ラグナやメアリーとの出会い、闘技場での混乱、そして訓練の汗が次々と頭の中に浮かんできた。不安も、迷いも、まだ完全には拭えていない。でも、それでも――この世界で生きていくんだという覚悟が、今の彼にはあった。


「これからも頑張っていかなきゃな……」


 誰に向けるでもなく、静かにそうつぶやいたときだった。


「おいおい、もう休むのか? さっきまでのへなちょこが、ちょっとは戦士らしくなったかと思ったのに、もうバテてるのかよ?」


 不意に聞こえてきたのは、聞き慣れたラグナのからかうような声だった。扉が開き、斧を背負った彼女が足早に入ってくる。その後ろからは、メアリーも微笑みを浮かべながら歩み寄ってきた。


「リック、今日の訓練は本当に素晴らしかったわ。あなたの努力、ちゃんと伝わってきたもの。最初の動きと比べたら、もう別人みたいだった。」


 ラグナはリックの隣にどかっと座り、肩を軽く叩いた。


「まあ、明日からはもっと地獄を見せてやるけどな!」


「……え、それ今のうちに休んどけってこと?」


「そういうこった!」


 リックは苦笑しながらも、二人の言葉が何より嬉しかった。孤独だったはずの異世界で、こうして声をかけてくれる仲間がいる。それだけで、胸の奥が温かくなる。


「ありがとう、ラグナ、メアリー。これからも……よろしく頼むよ。」


「任せときな!」


「ええ、一緒に頑張りましょうね。」


 三人の笑い声が、夜の休息所に静かに響いた。


 こうしてリックは、またひとつ新たな絆を得た。異世界での生活はまだ始まったばかり。だが彼は、自分の足でしっかりと未来に向かって歩き出していた。そして翌朝、彼を待っているのはまた、新たな挑戦の始まりだった。

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