田中ウイルス戦略

 三節:飽和


 突然、横向きに巨大な重力を感じる。オーラに引かれる。なんだ? 重力の方向に目を向けると、深淵の壁が透けて、巨大な黒い塔が見えた。その塔は上下どこまでも続いていて、こちらに近づいてくる。これがメインサーバー側のAIか? 計算資源の量が、塔の大きさに直結してそうだ……これをハッキングできるわけないって。


「田中側から、なんのログも流れない」アナントが眉をひそめる。


 どうしたら僕がメインサーバーの権限を握れる? シンプルな解決策は、メインサーバー側のUMOのAIを無力化すること。他には、おそらく情報の交換が発生するから、その際にどうにかメインサーバー側AIの深層と同期し直すこと。

 いや、対等な情報交換では無い。メインサーバー側がこちらを「喰う」ような挙動をしてくる可能性もある。隔離サーバーとメインサーバーそれぞれに環境適応したAIが併存する方が良い……という結論に持っていき、共同でメインサーバーを管理するのは? ……それは考えにくいか。


 ジュルルルルルル。上空の蒼が、汚い音を立てて光を吸い取り始めた。そして遠くの黒い塔に渡っていく。やはり喰ってきた。こっちのAIが持つ「局所的な世界モデル」を吸収するつもりだろう。どうする? 用済みになればこっちのAIが削除される気がする。僕がメインサーバー側ならそうする。この位置はマズい。もっと深く潜らないと。


――アナント、100:15! 100:15!


 頭を空っぽにし、深淵の全てを受け入れる。沈む。上に見える光がどんどん蒼に吸い取られていく。コピペならこっちのデータを消す必要はないと思うが……意図的にこちら側のデータを消している?

 沈む。光の密度が上がり、水分子のようにグニグニと狭く揺れている。その中を、重くなる僕が沈んでいく。そして僕の重さと浮力が拮抗する。100:15ならここまでか。おそらくディレクタ層に近づいているはずだ。


「ハッキングはやっぱり無理そうか」100:15に上げても田中からなんのログも流れない状況に、アナントは苛立っていた。

「コンピュータウイルス……を」ガブリエルがうつむく。「いやウイルスで……アポトーシス? UMOの行動原理を踏まえれば、アリか」

――田中、こちらガブリエル。アポトーシスを狙え。

――詳しく

――お前自身が、有害なウイルスになれ。メインサーバー側のAIはハルモニアと繋がっている。つまり単独ではなく、「アルファ宇宙におけるUMOの生存」という全体目標のために動くはずだ。そこに、有害なデータがばらまかれたらどうなる? AIは自分で自分を削除する可能性が高い。それを狙え。「超有害な田中ウイルス戦略」だ。


気分の悪いネーミングだけど、ガブリエルさんが言うならそれでやってみるか……。でも有害って何だ? さっきのダミーデータと何が違う? 


隣人が深夜に鳴らす安っぽい音楽が響いてくる。「止めろ止めろ」と、どんなに叫んでも鳴りやまない。


試験管から小さな粒が垂れる。光が鈍い紫色に汚染され、それに触れると体の節々が痛む。化学兵器?


紫色の光が増殖し、身体を内側から食い破ってくる。がん細胞?


分かった分かったもういい。でもこんなデータじゃ、相手の表層で処理されてしまいそうだ。もっと抽象化する必要がある。


存在を断つ害。

存在を増やす害。

存在を曖昧にする害。


爆弾。

がん。

葛藤。


爆弾によって、周りのデータを破損させる。

がんによって、ただ資源を貪るデータを増やす。

葛藤によって、深層の意思決定を鈍らせる。


周りの光の振動が強まり、様々に変容する。


凝縮。

変形。

変色。


光の粒は上に昇るにつれてプログラムの形を為し、蒼から吸い取られていく。


 光の密度が小さくなってきた。僕の体が勝手に沈んでいく。ここも吸い取られ始めた? こっちのデータ量が少なくなったから、僕の脳の処理速度が同じでももっと深くいけるということか?

 瞬間、体がグッと上に引かれる。蒼が近づく。ジュルルルルルルという気味の悪い音が全身に響き、皮膚が細胞一層ごとに剝がれていく。ダメか。


蒼が視界を埋め尽くす。


空。青空に浮かんでいる。大きな黒い塔が見える。吸われるのか。


グンッ!!!


瞬間、体が一気に重くなる。深淵に戻る。上から光の粒が降り注ぐ。雨、雹、カエル……カエル? も降り注ぐ。そのいろんな物質がビタビタと僕の体を打ち付け、さらに僕は深淵に戻る。どういうことだ?


タプン。位置が安定する。しかしなおも光の粒が僕を押し、僕は勝手に浮き上がっていく。


――田中! 田中!


アナントの声。ハッキリと聞こえる。どうなったか分からない。


――ハルモニアとの通信手段を今すぐ消して! メインサーバーのAIが消失したけど、ハルモニアからすぐに次のAIが送られてくるはず!

――は?

――理由はガブさん曰く、「超有害な田中ウイルス戦略」が成功したかもって。でもとりあえずハルモニアとの通信を切って!


OKOK。簡単だな。ちょっと願うだけでいい。「ウイルスがネットワークを通じてハルモニアに到達する可能性があるから、UMO全体の生存のためにハルモニアとカドモスの通信を切る……」それを、ディレクタ層に新しいベクトルとして追加するイメージ。


――完了した

――ナイス。次はフライトコントロール室の端末、あと僕とガブさんにメインサーバーのアクセス権を付与して!

――OK


いや、いいのか? あの人間二人にアクセス権を付与していいのか? 待った、僕自身がUMO側になってる。違うだろ。僕は人類だ。


――OKOKOK


 自分に念を押すように答える。ただ、僕自身がプログラムを書き換えられるわけじゃない。よし、願おう。地球圏の資源を効率的に使うために、僕以外の人類もメインサーバーを操作可能にすべきだ。

 恒星間宇宙船技術のデータを人類にとってリスクが無い形に加工すれば、この二人が人類を説得して、人類は火星圏を攻撃しなくなるだろう。そして迅速に人類は地球を脱出し、僕たちは地球にある潤沢な計算資源を使うことができる。あくまで、太陽系が消滅するまでだけど。


ブブブと光が振動し、プログラムが蒼に昇り消えていく。


――アクセスできた。このまま、技術データの安全化もできる?

――あぁ、ちょうどその方針も伝えたところだ。やってみる


その作業は知覚できない。おそらく表層に近いところで済む話なんだろう。


――データが送られてきた。技術データだね。

――多分そう。分かんないけど。


何か、しょうもないな。僕の周りの光が動いてない。死んだように動いてない。


あぁ。あぁ……。あぁ?

僕は何のために火星に来た?

████████████████████████████████████████

██████████████████████████████████████次█

えっ?

██████████████████次█████████████████████

次?

▒ ▒▒ ▒▒ ▒▒ ▒▒ ▒▒ ▒▒ 次▒▒ ▒▒ ▒次▒ ▒▒ ▒▒ ▒

何? えっあっ

 屑

  崩

   れ

    るるるるるぐるぐるぐぐぐる る る るる

             ぐ   ぐ ぐ ぐ  ぐぐ

            るぐる

           ぐるぐるぐ

          るぐるぐるぐる

         ぐるぐるぐるぐるぐ

          るぐるぐるぐる

           ぐるぐるぐ

            るぐる

             ぐ

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