演算速度20倍:入力速度2倍の脳
田中の端末に、アナントから連絡が入る。
「どうした?」
「田中、いま暇? 解読手伝える?」
「任せろ。何すりゃいい?」
「詳しくは後で説明するけど、ニューロモーフィックコンピュータを使ってほしい。こっちの部屋に来てね」
「お、OK。じゃあすぐ行く」田中にとって、名前は聞いたことがあるが使ったことはない機械。通話を切って、研究用端末室に向かいながらインプットを始める。
「ヘイ、ニューロモーフィックコンピュータって何?」
「人間の脳を模したアーキテクチャの人工知能ですね。Bコネクトが可能です」
「なるほど。カドモスで扱えるのはどんなもの?」
「カドモスにあるのは『プロメウス・ネクサス』ですね。最新型です」
「なんか名前的にヤバそうだな」
「理想値では、単位時間あたり一般的な人間の脳の百倍の処理ができますね。その状態でBCI同期するとおそらくあなたの脳がパンクしますが」
「OK」ちょうど部屋に着いた田中。アナントが振り向く。
「田中、面倒くさいから口頭で伝えるね。直近で解読したい信号はC―1。自然言語的、つまり人間の言語で訳せそうなもの。信号の構造は、単語の羅列で千個だね。で、それを解くための信号がC―2。C―1で出てきた単語のみで構成される循環参照文で、だいたい10万個。C―3もその単語だけで構成されているけど、けっこう短い。おそらくメッセージ的なものだと思う。田中にはC―1とCー2を渡すから、可能性の高そうな語彙を絞り込んで欲しい。UMOにとっても単語が、こっちにとっての文の可能性もあるけどね」
「多分分かった。候補語彙の絞り込みね。ちなみに、けっこう難航してる?」
「まぁね。英語で頻出の語彙五千字でAGI使ってやってみたけど、全然ダメ。数理的な演算じゃないから時間もかかるし。僕もガブさんも疲れたから、一旦他の信号を当たってみる。あ、調べたらニューロモーフィックコンピュータのマニュアル出てくるから、それ見てやってね」
「任せろ」
まずマニュアルを見る田中。「コレは人類の次に行けるかもしれないヤツだ」と偏った理解をしたのち、部屋の端っこにあるニューロモーフィックコンピュータ同期用の座席に座る。専用のBCIデバイスを頭にすっぽりとかぶせ、起動。
まずは田中の脳データが読まれ、滑らかな同期のためにコンピュータ側の微調整が入る。小さな筐体がフィィィンと音を鳴らし、脳細胞にあたる半導体チップの配置パターンを田中用に調整する。
その間に、アナントからもらった信号ファイルをコンソールにアップロード。脳に似ているとはいえ、目標の設定をした方が効果的そうなので、それも手入力で打ち込む。「この信号ファイルは一つ目に千単語、二つ目にその単語群で構成された約十万文がある。ここから千単語、いや最初の百単語でもいい。可能性の高い語彙を英単語から考えたい」と。
コンソールでの設定完了……ではない。まだ必須設定がある。演算速度だ。ニューロモーフィックコンピュータ側の演算速度(コンピューティングスピードを略してCS)と、田中の脳に入力する速度(ライティングスピードを略してWS)。これは田中の脳の平均FLOPSを基準として、その何倍か設定できる。まず初同期に推奨されるCS=1、WS=1にする。本当はいきなり2:2にしたい。いや100:2くらいにしてみたい。が、ここは恐怖が勝つ。
深呼吸。同期開始。
身体感覚が消えていく。アナントとガブリエルの話し声が消える。口の唾液感も喋るという感覚さえ消える。おそらく呼吸などは意識せずとも勝手にやってくれるようだ。脳だけになる。まだ違和感はない。寝る直前とそんなに変わらない。
まだ、まだ。
まだ、まだ、まだ。
うぅっ。
うぅっ?
違和感ののち、何かフィットしたような感覚。
――思考を始めよう。ファイルを読むより、まず「宇宙人がわざわざメッセージを送ってくるからには? その理由は?」的なところから考え始めよう。
” 交流 スパム? ラブレター? 告白 5年前の黒歴史。
宣戦布告 征服 侵略暴動戦争宇宙人UMOのUFO
UMOのUFO良い韻だ これを軸に考えを深めていこう ”
――いや軸にすんな。ダメだ、勝手に発散してしまう。しかも僕の先入観が強くないか? それならむしろ、信号を読むところから始めた方がいい。
“ 千単語+十万文
文あたりの平均単語数は15。つまり単語一つにつき平均1500回出現
単語出現数の変域は3~8765。中央値は2230 ”
――勝手に数値が頭に入ってきた。コンピュータ側が数理演算用のプログラムにも接続しているのか? アナントならともかく僕の脳じゃ無理だぞ? とはいえなんか遅い。もっと早くしたい。おい、止まれ、一旦止まれ
” 止まれUMO、僕に任せろ
えっ、田中クン…… ”
―UMOを美少女化するな僕。違う。止まれ。システムを止めてくれ。同期を解除しろ。
徐々に身体感覚が戻る。田中はコンソールを開き、設定をいじくる。速度は20:2に設定。ニューロモーフィックコンピュータの脳は二十倍の速度で演算し、田中の脳にはそれが要約されたものが、通常の田中の意識の二倍の早さで入ってくる。そして目標を詳細化、非推奨な概念群――ネガティブプロンプト――も追加。これで勝手に美少女化が起こることは無い。
よしもう一回やろう。
プルル。マークからの着信。
「田中、こっち来れるか? ハルモニアからナノグレイを持ってきたいんだがその相談だ」
「了解です」
アナントに事情を伝え作業を中断、ひとまずフライトコントロール室に向かう。
田中が苦戦する中、ガブリエルとアナントも頭をかしげていた。次元マップ系であるB―2とB―3の三次元マッピングが完了し、二人の眼前に表示されている。
「B―2は、火星の地殻に何かあるよ、と言っているように見えるね」アナントが口を開く。
そのマップは、まず全体感として膜状の球があり、中は空洞になっている。そして、表面近くの約二十箇所に、赤色のドットが1×1×1セルの最小スケールで散在している。
「そうだな、基準となるハルモニアの位置がどこか明示されていないが、少なくともこんな配置で人間が何かを作ったことは無いはずだ」
「うーん分かんないな。一旦B―3を考えたい。ガブさん、ビンゴだね。円柱形だ」
B―3の最外枠は、左上から右下にかけて斜めに配置された円柱形。その中に、大小様々なドットが存在している。
「あぁ、おそらくUMOの宇宙、つまりベータ宇宙の三次元マップと捉えていいだろう」
「向こうも三次元なのは助かったね。ただ、このドットってシンプルな天体じゃ無い気がするんだよな……少なくともアルファ宇宙の大規模構造とは違う。あぁそうか、ドットはエネルギーか。あと、うちでいうブラックホールレベルのエネルギー体を自由に操れるとしたら、人工的な大規模構造の編集も可能だね」
「全体的に賛成だ。欲を言えば宇宙全体の大きさや、アルファ宇宙との位置関係も知りたかったんだがな」
「そこまでは向こうも把握してないのかもね。解読できても、知りたいことが知れないのがもどかしいなー」
B―4は三次元にも四次元にもマッピングできなかったため断念し、A群の数理モデルの解読を始める。結果的に解読できたのはA―2とA―3。これでA群の信号は全て解読できたことになる。
「解読できたはいいけど……」アナントが口ごもる。
「あぁ、知ったところで、という感じだな」ガブリエルもため息をつく。
A―2についてAGIがはじき出した結論は、「重力波がベータ宇宙からアルファ宇宙に発せられるときのバルク干渉方程式」。
「僕たちが重力波を送れるくらいの技術力があれば、有用だけどね。今は使えない」
「人類を過大評価しすぎだな。そしてA―3が……」とガブリエルが端末を見つめながらつぶやく。
A―3についてAGIの暫定結論は、「小宇宙を人工的に生成するための方程式」。
「これってUMOがベータ宇宙の中で、それ試してるよーって意味かな」
「もし方程式の意味が合っているならそうだろうな。ただ、完成された方程式で既に実用化されているのか、それとも未完成なのか分からん」
「未完成で『人間さん、この方程式修正してくれない?』とか相談してきてる可能性」
「あるな。無理だが」
「なんか申し訳なくなってきた」
「いずれにせよ、解読できた四つの信号では結局UMOへの通信方法は分からず、だな」
「やっぱり自然言語系の解読しかないか」はぁぁとアナントがため息をつき、ガブリエルは喫煙所へ向かった。
三節:解読
同時刻、航行管理班のマークと猫星。UMO・木星・UMO公転中の小惑星群のデータを踏まえた航行計画を着々と進めていた。特にUMOが球状天体ではなく円柱形であるとした場合の変更も含め、演算に必要なデータ量が莫大になる。
「これ、カドモスの航行用スパコンじゃ無理じゃない?」猫星が無数のファイルとそれぞれのデータ容量をざっと見ながら愚痴る。
「どのくらいかかりそうだ?」
「早くて十日くらいかも」
「それは厳しいな。ハルモニアのスパコンも使うか」
「りょ! そういえば、ハルモニアにナノグレイ残ってないのかな」
「確か千トン以上はあったな」
「磁場とか小惑星の影響が読めないからさ、もっとカドモスに積んどきたいんだよね」
「確かにな。完全自動でハルモニア側からシャトルは飛ばせないから、誰かがハルモニアに一度行くか、ノイドを遠隔操作する必要があるな」
「そういうときは~?」
「使い勝手のいい田中だな。一旦呼んでみよう」
「りょ」そう言って猫星はPCに向き直り、ハルモニアのスパコンへのアクセスを始めた。
「えっ?」猫星の笑顔が消えた。
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