第24話
詩織さんは額を俺の胸から離し、ゆっくりと顔を上げた。
無表情に見える瞳の奥に、熱のようなものが隠れている気がして――息が詰まる。
「……まだ迷ってんの?」
その声は、短く、鋭い。
問い詰めているはずなのに、不思議と突き放すような冷たさはない。
喉が渇いていることに気づき、唇を湿らせようと舌を動かす。
けれど声は出にくく、ようやく絞り出せたのは震えた言葉だった。
「ち、違います。ただ……俺には……」
脳裏に、香澄の姿が浮かぶ。
付き合い始めた頃、頬を赤らめながら差し伸べてくれた手。
「付き合おうよ」と、不器用に笑いながら言った顔。
「が……いるから」
自分でも驚くほど、その声は弱々しかった。
詩織さんはほんの一瞬だけ目を細め、すぐに指先を俺の胸元へ伸ばした。
ボタンを、一つ。
音もなく外れる。
「ふーん」
小さく鼻で笑う。
挑発するように、口角をわずかに上げて。
「じゃあ、なんでここにいるの? ……さっきの彼女のところに帰らなかったの?」
「それは……」
「答えなくていいよ。もう、あんたの顔が答えになってる」
二つ目、三つ目と、ボタンが外されていく。
冷たい空気が胸に触れ、心臓がやけに大きく鳴る。
「ま、待って……俺は、そんなつもりじゃ……」
必死に否定の言葉を並べようとする。
けれど、喉は詰まり、声は情けなく途切れていくばかりだった。
詩織さんは肩をすくめ、乾いた笑みを浮かべた。
「“つもり”なんて関係ないでしょ。」
囁きながら、爪先で俺の胸を軽くなぞる。
ほんのわずかな刺激なのに、体が跳ねた。
「……っ」
言葉にならない。
「安心していいよ。私は“襲う気”なんて考えてない。ただ――あんたが“縁切る”って決めてるなら、これが一番早いと思っただけ」
耳元で、吐息混じりに囁かれる。
その息が頬にかかるだけで、背筋が粟立った。
「ほら。見てよ。もう、逃げられないでしょ?」
視線を逸らそうとしても、詩織さんの顔が近すぎて、どこにも逃げ場がない。
そして――
詩織さんはふっと笑った。
いつもの無愛想さを脱ぎ捨てたような、柔らかい笑顔。
直後、耳朶に熱が走った。
「……っ!」
小さな甘噛み。
柔らかな唇と、わずかな歯の感触。
理性を縛っていた糸が、一気に切れる。
「……ほら、ね?」
耳元で甘く囁かれる。
その声が、頭の奥まで響いて、何も考えられなくなる。
――香澄。
その名前を心の中で呼ぼうとした。
けれど、浮かんだ記憶はノイズのように弾け、すぐに消える。
息は乱れ、心臓は暴れる。
目の前の詩織さんの熱に、体が勝手に従ってしまう。
タンクトップの肩紐がずり落ち、白い肌が目に入る。
そのまま、胸が押し付けられる。柔らかい感触に、呼吸が浅くなる。
「……まだ拒むの?」
彼女の瞳が、真っ直ぐに俺を捕らえる。
問われているのに――答える前から、もう決まっているような目だった。
「……続き、していい? いいよね?」
問いかけ。
でも、返事を待つ気配なんてどこにもない。
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