第20話

 詩織さんが外に出て行ったのは、それからすぐだった。


 タバコと、あと適当に飲み物でも――そう言い残して、玄関のドアが閉まる。


靴音が階段を下っていくのを聞きながら、俺はぽつんと取り残された。


 狭い部屋は、さっきまでよりも急に広く感じた。


 静かすぎて、落ち着かなかった。


 部屋の中をふらふらと歩き回っていたときだった。積み重ねられた雑誌の山が目に入った。


 気まぐれに手に取った一冊のグラビア雑誌。


 そこに載っていたのは――紛れもなく、詩織さんだった。


 水着姿、ランジェリー姿、あるいは、それよりも露出の多い大胆なカット。


 笑っていた。


 信じられないくらい、無邪気に、明るく。


 でも、その笑顔に、俺はどうしても現実感を抱けなかった。


 ――こんな顔、見たことない。


 無防備でもなければ、投げやりでもない。

 俺がイメージしている彼女とは、まるで別人だった。


 数冊めくると、どれも似たような雰囲気の写真だった。ポーズも、衣装も、目線も完璧に作られていた。けれど、どこか嘘くさくて……それでも、ページをめくる手が止まらなかった。


 そんなときだった。


 「――何してんの」


 ドアが静かに開き、詩織さんが戻ってきた。


 振り返ると、手にビニール袋を提げた彼女がこちらを見ていた。何も言わずに、ただじっと。


「……すみません、勝手に」


 俺が慌てて雑誌を戻そうとすると、詩織さんは深いため息をついて、部屋の奥へ歩いてくる。


「別にいいよ。隠してないし」


 そう言ってビニール袋を冷蔵庫の前に置くと、彼女は自分でその雑誌の一冊を手に取った。


そして、パラパラとめくったあと――ふ、と笑った。


「……昔の私。もう、あんまり覚えてないけど」


 淡々とした言い方だった。でも、その奥に、何か鋭く冷えたものがある気がした。


「……こういうの、彼氏にやらされてた」


 詩織さんは雑誌を閉じて、テーブルの上に軽く放る。


「路上ライブとかやってたんだよ、あの人。歌、うまかったし。最初は本当に、ただ好きで……気づいたら付き合ってた」


 彼女は床に座り込み、煙草に火を点けた。


「最初は良かったよ。優しかったし、夢追ってる姿とか、かっこよく見えたし」


 ぱちりと火の音がして、部屋に煙が広がる。


「でもね、売れなかった。お金もなくて、機材とか、スタジオ代とか、全部足りなくなって……そのとき言われたの。『お前、スタイルいいんだからグラビアやれよ。知り合いに紹介してやる』って」


「……」


「最初は断ったよ。恥ずかしかったし。そういうの、全然向いてないって思ってた。でも……その時はまだ、好きだったから」


 ゆっくりと、煙を吐く。


「“彼が困ってるなら、私が助けなきゃ”って思ってた。……ほんと、バカだよね」


 自嘲気味に笑って、彼女は続けた。


「一回やったら、そこそこ売れたみたいでさ。そしたら、彼はどんどん要求してくるようになった。もっと出ろ、次はこれ……って。私が『もう無理』って言ったら、殴られた」


 俺は何も言えなかった。ただ、黙ってその言葉を受け止めることしかできなかった。


「それからは……怖くて逆らえなかった。笑顔で写真に映って、撮影現場から帰ったら、彼が機嫌良くなってる。それだけで、なんか……救われた気がした」


 詩織さんは、タバコの火をじっと見つめたまま言った。


「でもね、ある日、いつものように紹介された撮影案件に行ったら――そこ、AVの現場だった」


 淡々とした声。


 けれど、その奥には、焼けつくような記憶の跡があった。


「そこで、やっと思ったの。あ、この人と、別れなきゃって」


 彼女は立ち上がり、キッチンに向かう。


「……それだけの話。別に、珍しくもないでしょ。今どき」


 水道の音が流れる。何かを冷やす音。


 でも俺は、その場から動けなかった。


 さっきまで見ていた、あの笑顔の写真。


 その裏に、こんな物語が隠されていたなんて――想像すらできなかった。




後書き

‥なんかヒューマンドラマになってない?

気のせいかな

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