第9話
暖色の照明に包まれた玄関は、思ったよりも整頓されていた。
スニーカーが二足、きちんと揃えられ、傘立てには一本だけビニール傘が立っている。
「上がってください。あ、スリッパそこです」
促されるまま、用意されたスリッパに足を入れる。廊下を進むと、六畳ほどのリビングが現れた。
テーブルには開きかけの参考書と、マグカップの跡が丸く残っている。壁際には勉強机。
「お茶淹れますね」
キッチンに消えたしずくの声が響く。湯を注ぐ音と、ほうじ茶の香りが部屋を満たす。
俺は椅子に腰を下ろし、視線を机の上の文具に落とした。付箋が色ごとにきれいに並び、シャーペンは芯が新しい。
しずくが湯気の立つマグを差し出してくる。
「はい、熱いから気をつけて」
「……悪いな」
「いいんですよ。そのくらい」
「それにしても……」
しずくはテーブル越しに腰を下ろし、頬杖をついたまま俺の目を見る。
「先生、彼女さんと最近うまくいってないですよね」
一瞬、呼吸が止まる。
「……なんでそう思うんだ」
「なんでって。先生の顔がそう言ってます」
淡々と言い切り、唇の端だけで笑う。
「私、香澄さんのこと知ってますよ。塾の帰りに駅で先生と一緒に歩いてたの、見たことあります」
そして、わざとらしく目を細めて続けた。
「めちゃくちゃ美人さんですね。モデルさんですか? いいなー……私もあんな顔に生まれたかったなー」
軽く笑い、少し声を落とす。
「……でも、あの人って、ちょっと束縛系ですか?」
心臓の奥で、小さな音が跳ねた。
「……あのな」
「別に悪いことじゃないです。ただ、気になっただけ」
言葉を探す間もなく、彼女は少し身を乗り出す。
「先生、私と付き合いませんか?」
唐突な言葉に、喉が詰まる。
「……お前、高校生だろ」
「高校生ですけど、先生と一つしか違いません。十八と十九、たいして変わらないですよ」
まっすぐな目。冗談の色はない。
「それに――」
彼女はふっと視線を落とし、また俺を見上げる。
「私、先生の大学に行くつもりなんです。同じ場所に通えば、もっと会えますよね」
背筋が、じわりと冷える。
「……冗談はやめろ。送ったし、もう帰る」
立ち上がろうとした瞬間、袖口を掴まれる。柔らかな感触に、動きが止まる。
その指先はすぐに離れたが、しずくは変わらず穏やかに笑っていた。
「分かってます。今は無理ですよね。でも……」
椅子の背にもたれ、窓の外の夜をちらりと見やりながら、彼女は言った。
「私、待ちますよ」
その声音には、妙な確信があった。
あたかも、自分の未来がもう見えているかのように。
俺は返事をせず、玄関まで足を運んだ。
背後でドアが閉まる音がしても、なぜかその笑みだけは、夜道を歩く間ずっと離れなかった。
後書き
昼ドラかな?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます