第2話
昼休み。
財布の中には、三百円だけが残っていた。
学食の定食は最安で三百七十円。
パン一個買ったら、それで終わり。
何も買えないままコンビニを一周して、何も買えずに出る――
そんなことが増えてきたのも、いつからだったか。
けれど、不満はなかった。
(香澄が管理してくれてるから、俺はちゃんと生活できてるんだ)
そう思い込んでいた。
そう“思い込む”ことで、納得していた。
スマホに通知はない。
それだけで、少しだけホッとする自分がいた。
昼食は諦めて、学内の裏手にあるベンチに座る。
人通りが少なくて、風の通る場所。
腹は空いている。けれど、飲み物も買いたくない。
自販機に百数十円落とすのが怖かった。
「勝手な出費」は、あとから香澄に見つかる。
(給料日まで、あと三日……)
空腹に意識がぼやけていく。
ゼミで言われたことも、頭に残っていない。
レジュメを読んでも、何も入ってこない。
(眠い……)
うとうとしていたそのとき、足音が近づいてきた。
軽くて、リズミカルで、どこか柔らかい。
「……綾瀬くん?」
その声に、はっと目を開けた。
そこに立っていたのは、文系のサークルで何度か見かけた女子――遠野しずくだった。
こっちは一方的に知っているだけで、向こうは俺の名前を知ってる。
意外で、でもどこか、懐かしい声だった。
「あ、こんにちは……」
「こんなとこでひとり? ……元気ない?」
問いかけられた瞬間、胸の奥が痛んだ。
優しすぎるその声が、
壊れかけてる何かに、触れそうで――
「うん、大丈夫。ちょっと休憩、っていうか……」
口元だけ笑ったつもりだったが、声はかすれていた。
「……これ、よかったら」
しずくは、コンビニの袋を差し出してくる。
中には、おにぎりとペットボトルのカフェラテ。
「私、お腹すいてたのに、買いすぎちゃったみたいでさ。食べてくれたら嬉しいな」
「え……」
言葉が詰まる。
しずくの顔と袋を、交互に見た。
(ダメだ……)
喉が鳴りそうなほど、欲しい。
けれど、手が出せない。
「ごめん……気持ちだけ、受け取ります」
そう言ってしまったのは、反射だった。
――香澄に知られたら、きっと怒られる。
誰かから“もらい物”をすること。
それは“浮気の入り口”だと、言われてきた。
(また怒らせる……)
あの無言のスマホ越しの視線が、頭をよぎる。
「そう? 無理しないでね」
しずくは、優しく笑ってくれた。
それ以上は、何も言わずに立ち去っていく。
……けど、少し寂しそうだったのは、俺の気のせいだったのだろうか。
彼女が去ったあと、胃がきゅうっと鳴った。
恥ずかしい。みっともない。
でも、それよりも――
(怒られるかもしれないって考えることのほうが、自然になってる……)
なのに、それを“変だ”と思えない自分がいた。
午後の講義は、半分以上意識が飛んでいた。
ノートを取るペンが止まる。
口が動いても、言葉が出ない。
隣の席の友人に「大丈夫?」と聞かれ、曖昧に笑ってごまかした。
(ちゃんとしてるつもりなのに、ミスばっかりだ)
そうやって、自分を責める。
怒られる前に、先回りして自分を責める癖がついていた。
バイト先の予備校へ向かう道中。
電車の中で、また胃が鳴った。
乗客の視線が突き刺さる気がして、さらに汗が出た。
それでも、今日の授業はある。
遅れるわけにはいかない。
……その予備校の教室で、運命が変わり始める。
――それが、御影しずくとの“出会い”だった。
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