交際していた彼が、あたし──十六夜希に向かって逆手に持った包丁を振り上げた時、あたしの胸裏にあった感情は死への恐怖と諦め、彼やファンへの少しの罪悪感、そして大きな安堵だった。

 これで生き地獄から解放される。

 そういう想いが確かにあって、あたしは殺されることを受け入れるつもりだった。

 けれど、あたしは死ななかった救われなかった

 高校生の男の子が投擲した傘が、吸い寄せられるように殺人者の利き腕に命中し、彼が逃走したことで未遂に終わったからだ。

 いや、そうはならんやろ……。

 あまりのご都合主義ミラクルに、あたしはあきれて内心で突っ込んだ。どんなコントロールと肩力やねん、プロ注目本格右腕か、と。そもそも何で雨でもないのに傘持ってんねん。コンビニで見た時は持ってへんかったやろ。

 駆け寄ってきたその高校生は冷淡そうな顔立ちをしていたが、言葉を交わすうちに、その瞳の奥に、優しさと甘さのまじり合った色が垣間見えた。

 あたしの中に巣くう弱くてずるくて悪いあたしが、

 きっとこの男の子ならたっぷり依存させてくれるよ? 今の依存先はもう駄目だろうし、この機会に乗り換えちゃいなよ、

 とささやいてきた。

 童貞っぽい顔してるし、簡単に転がせるよ? ヤらせなくても大丈夫そうだよ? 都合良く利用しよ?

 と、しきりにそそのかしてくる。

 残念ながらあたしの中に善良な天使はいない。あたしはその高校生に狙いを定めた。

 これが織笠裕也ゆうくんとの出逢いだった。







 事は、概ねあたしの目論見どおりに進んだ。

 何だかんだ言いつつゆうくんは甘く、めんどくさがりながらもあたしのことを完全には拒絶しようとしなかった。会話も楽しく居心地がよかった。彼といるとあたしのツッコミのキレが一段上がるのが特に愉快だった。

 あたしはすっかり彼を気に入っていた。

 連絡頻度や会う時間が少ないこと、思っていたよりは転がしにくいことを除けば理想的な依存先だった。その、ちょっと思いどおりにならないところが、かえってあたしを夢中にさせていたところもあったのだと思う。

 メールをしてもなかなか返ってこない。けれど、たまになら返ってくる。そしてする楽しいやり取りは、あたしを安心させ、舞い上がらせた。気がつけば、ゆうくんからのメール通知を見るだけで温かくて甘い気持ちが胸に広がるようになっていた。今までの依存先──不安を紛らわせるだけだった──では得られなかった初めての感覚だった。

 ……これ、あたしのほうが転がされてへん?

 という気がしないでもなかったが、とにかくあたしはゆうくんのことを好きなっていき、やがて、利己心から恋心に心の天秤が傾く切ない軋み音を胸の奥に聞いた。

 けど、誤算があった。

 ゆうくんの心が本命の女の子──義妹ちゃんから離れる気色がなかったのだ。彼の瞳の奥に住む、彼女への愛に綻び──つけ入る隙は見つけられなかった。本人は否定していたけれど、あたしには直感的に確信できた。

 あたしはひどくおびえた。

 もしもゆうくんが義妹ちゃんとよりを戻したら、あたしがくっつくのを許してくれなくなるだろう、という予感があった。会うことすら控えようとするかもしれない。線引きの仕方が極端なきらいのある彼なら、十分にありえた。

 だからあたしは、かつてないほど懸命に頭を働かせて妙案をひねり出した。

 それは、あたしがレズビアンであると嘘をつくというものだった。

 これなら、男女の関係にはならない、とゆうくんも安心できる。間違いが起こる危険がないのならそれほど距離を取ろうとはせずに、親しい女友達として近くに置きつづけてくれるだろう──そんなふうな計算だった。

 ゆうくんにしたあたしの発言も、あたしがレズビアンであるという前提で解釈しても矛盾しない。つまり、あたしが彼氏のいる女の子と関係を持ったことで、その彼氏が激怒してあたしを殺害しようとした、とも取れる言い回しだった。ゆうくんと肉体関係を持とうとしていなかったことも嘘に真実味を与える。

 さらに都合がいいことに、人肌恋しすぎて病んでた時に奈瑞菜ちゃんに相手をしてもらった夜の写真──ゴシップ記事もある。ダウナーな雰囲気に反して姉御肌の彼女なら、頼み込めばゆうくんを騙す手伝いもしてくれるだろう。断られたら、あたしのマンションで酒を提供すると約束すればいい。重度のアルコール依存症で各所からアルコール禁止令を出されている彼女なら間違いなく飛びつく。

 加えて、その後もあたしがキスやセックスを求めようとしなければ信憑性はどんどん高まっていく。

 上手くいく要素は揃っていた。

 そうしてあたしは、身の上話に一つだけ嘘をまぜた。

 嘘はアイドルの生命線、最も大事な能力だ。それを全力で行使した──今まで培ってきたすべてをフル活用した本気の嘘だった。

 けれどゆうくんは、童貞高校生の割には女の言葉に対する不信感が強く、それだけでは完全には信じてくれなかった。信じられないと彼が明確に言葉にしたわけではない。口では納得して信じたふうなことを言っていたが、内心では信じ切っていないというような響きがあったのだ。

 とはいえ、奈瑞菜ちゃんに〈十六夜希はレズビアンである〉という嘘を重ね掛けしてもらい、あたしが恋心をひた隠しにしていたら、次第にゆうくんの疑いは薄れていき、すっかり信じてくれた──ゆうくんを帰してから飲んでもらうという計画を、暴走した奈瑞菜ちゃんがぶち壊した時はどうなるかと思ったが、余計なことは口走らないでいてくれて本当によかった。

 やっぱりアル中に酒はあかんな、とあたしは学び、今後は飲ませんようにせなな、と固く誓った。

 ……奈瑞菜ちゃんがあたしの寝ている間にちゃっかりゆうくんに気持ち良くしてもらったことにムカついて意地悪しようというのではない。彼女のためを思ってのことだ。

 もちろん嘘だ。

 応援すると言っておきながら横からかすめ取ろうとする女が一番最悪だから、当然の対応だろう。







 言い訳をさせてもらうと、プリクラを撮った時点ではゆうくんの携帯電話に横恋慕爆弾カップル風プリクラを仕掛けるつもりはなかった。ゆうくんと義妹ちゃんの仲を引き裂こうとか、あわよくばゆうくんに振り向いてもらおうとか、思っていなかった。あたしは本当に彼の幸せを願っていたし、今も願っている。

 ただ、彼の腕の中で泣いたあの夜、あたしはおかしくなってしまったのだ。

 あたしの恋情が、今まで感じたことのない甘い熱と、それから耐えがたい痛みをもたらしたから。

 心が、体が、彼を求めて喘いでいた。

 セックスなんかしたくない。快感もなければ幸福感もない。一時的に不安感を紛らわせるだけの不快な麻酔でしかない。しないと心が壊れていくから仕方なくしていただけだった。

 そのはずだったのに、あの夜に何かが変わった。ゆうくんに入ってきてほしくて、彼に隙間を埋めてほしくて、胸が切なかった。

 泣き疲れて知らないうちに眠っていたあたしは、ふと目を覚ました。深夜だった。ゆうくんを見たら、穏やかな寝息を立てていた。童貞のくせに半裸のアイドルが隣にいてもムラムラして眠れないということはないようで、スヤッスヤのスヤだった。おちんちんも、しゅんとしていて、頬っぺをつついたり、彼の手をあたしの胸に宛てがったりしても起きなかった。

 魔が差した。

 といっても、どんな手を使ってでも義妹ちゃんから略奪しようと思い立ったのではない。せめてもの繋がりとしてあたしとのプリクラを彼のものに貼ろうと思っただけだ。

 あたしはそろりとベッドから抜け出し、ナイトテーブルに置かれたゆうくんの携帯電話を手に取った。ついでだから電話帳やメールをチェックしようというわけではないが、携帯電話を開いた。

 と、待ち受け画面に美少女の顔が映った。透明感のある美少女がはにかみ笑う画像だ。

 これが義妹ちゃんか、と直感し、その時初めて恋敵の顔を知った。

 彼女の笑みに翳はなく、きっといろんな人から大切にされ、その人たちが一生懸命整えたきれいな道を歩いてきたのだろう、そう思われた。

 嫉妬はなかった。

 あたしとは生きている世界が違いすぎて比較や競争の対象にならない。ただ少し悲しく感じた、それだけ。それだけ。

 中のデータを検めようとしたが、画面ロックが掛けられていてできなかった。ちっ、と口の中で舌打ちを転がし、バッテリーの蓋を開けた。何となくムカついたから、見つかったら一番ヤバそうなプリクラ──ラブホ云々のやつ──を貼ってやった。

 へへっ。

 達成感を得たあたしは、再びゆうくんの隣に収まった。

 翌朝、(あたしの密かなサポートにぎにぎしこしこにより)尋常ではない量の夢精をかましたゆうくんは、シャワーを浴びて、食パンとミルクティーが置かれたダイニングテーブルに着くと、差し向かって座るあたしにノーパンとは思えない真面目な顔でこう尋ねてきた。


「希は枕営業がないほうがいいんだよな? なくなっても困らないんだよな?」


 何や藪から棒に、と訝りながら、「そりゃそうやけど」


 よし、わかった。ゆうくんはそう応じると、


「希、金を貸してくれ」


 とうとうヒモとして覚醒したのか? とあたしは身構えた。


「ええけど、いくらや?」


「口座の金、全部」


「覚醒しすぎやろっ!?」


 詳しく聞けば、投機で金を増やして事務所を買収するという。あたしが枕営業をしなくてもよくするために。

 現実的ではない、と思った。株の短期売買なりFXなりは、要するにギャンブルのようなものだろう。ドールズにもギャンブル狂いの子がいて、楽屋でよく目をガン開いて爪を噛んでいるが、彼女曰く、


「収支? そんなのマイナスに決まってるじゃん──じゃあ何でやるのかって? 当たった瞬間にコスモが弾けるからさ☆」


 らしい。意味はわからないが、ギャンブル依存症の連中がヤバいやつらということと儲かるものではないということはよく理解した。

 だからあたしには、投機とやらも難しいように思えていた。

 けれど、あたしはゆうくんに口座を預けることにした。

 彼があたしのために行動してくれることがうれしかったから。たとえ嘘だったとしても構わない。このうれしくて幸せな気持ちをくれただけでお釣りが来るから。

 軍資金が尽きた時、何て言って慰めようか、なんて呑気に考えていた。

 ゆうくんが帰った後、彼が放った夥しい精液でまみれたボクサーパンツを手にしてあたしは、悩んだ。

 この精液をあたしの奥に塗り込めば彼の子を妊娠できるのではないか。そうすればゆうくんはあたしのものに……。

 もちろん踏みとどまったけれど、舐めながら自慰はした。夢中になって繰り返していたら、すべて舐め取っていた。やはりおかしくなっていた。

 何となく罪悪感が湧いて、『ごめんな』とメールした。







『やってくれたなァ! 十六夜希ィ!』


 爆弾は帰宅してすぐに爆発したらしく、ゆうくんが帰って二時間もしないうちに彼から電話が掛かってきて、開口一番、ネタに走ったような奇妙に芝居がかった大げさな口調でそう言い放ってきた。


「ごめんて、悪気はなかったんや」


 ゆうくんは溜め息をついてあっさりと矛を収めた。


『エリは、どうしたら機嫌直してくれるかな』


 しょんぼりした姿が目に浮かぶ元気のない声だった。

 この日はオフで、近所のスーパーかコンビニに買い物に行く予定しかなかったから、鷹揚な気持ちで応じた。


「浮気してへんて証明できへんか? あたしがレズやってのも話してええで」


 実際、ゆうくんは何もしていない。義妹ちゃんとよりを戻してからこの前晩までは、手も繋いでいないし、ハグもしていなかった。


『……へそを曲げて、そもそも話を聞いてくれなそうなんだよなぁ。

 仮に聞く耳を持ったとしても、完全には信じてくれないだろうな。エリは疑い深いほうだから』


「んー、ほんなら義妹ちゃんが本命だって証明するのはどうや?」


『プロポーズでもしろってのか』


「それ、ええな。指輪のサイズはわかるか?」


『エリバージョンパーフェクトフォームのなら』


「何やそれ?」


『ああ、まぁ、だいたいはわかるってことだよ』


「ほーん? ま、後からでも調整できるし、だいたいでもええか」


 という感じの割と軽めのノリで、サプライズプロポーズ計画が詰められていった。資金は、とりあえずはあたしの口座から出すということになった。

 どうせなくなる金なら、形のあるものにしてもらったほうがいいだろう。罪滅ぼしにもなる。







 などと考えていたが、ゆうくんの指示どおりに株やらを取引しているうちに、あたしは恐怖を感じはじめた。

 百発百中、全戦全勝なのだ。

 しかし、インサイダー取引の類いではないという。あくまでも広範な知識と卓越した相場感による清く正しい勝利だ、などと供述していた。

 ほんまか? ほんまは悪いことしとるんやないか?


『俺が黒だという証拠は存在しない。したがって、俺は白である』


 ある夜、たまりかねて電話で問いただしたら、ゆうくんはいけしゃあしゃあとそう宣った。

 たしかに証拠はないのかもしれない。でも、指数関数的に増えつづける残高を見ると、にわかには信じられない。そもそもその言い種は、手続法を悪用しているヤってる輩のそれだ。

 とはいえ、ゆうくんを止める気は起きなかった。彼への想いが判断力を鈍らせていたのかもしれない。

 ファンのみんな、すまん。あたしは惚れた男と堕ちるとこまで堕ちることにした。逮捕されるまではいっぱいサービスしたげるから堪忍やで──あたしはゆうくんと心中する一面を飾る覚悟を決めた。

 一方のゆうくんは気負った様子もなく、


『マジで大丈夫だから心配すんなって。

 それより、株主の調査のほうはどうだ?』


 ゆうくんからの指示で、探偵を使って、市場に株式を売りに出していない長期保有株主の調査も並行して進めていた。総株式の過半数を確保するためには彼らと交渉して、少なくとも株式の一部を譲ってもらわなければならない。それに適した相手を見定め、交渉を有利に進めるために必要なのだそうだ。有り体に言うと、弱みを探っていた。


「ゆうくんって割とガチで悪い男やろ」あたしは思わずつぶやいた。


『友達想いの優しい男やで』


「似非関西弁で誤魔化そうとすな!」


 でも好きやねんなぁ。困ったもんやで……。







 あたしは冷蔵庫から缶チューハイを出して、リビングのローテーブルに戻った。タブを起こして缶を開け、口に運ぶ。甘ったるいグレープジュースの味が口内に広がり、その奥にアルコール特有の苦味が仄かに感じられた。

 テレビには顔見知りの男性アイドルが映っていた。深夜のニュース番組だ。彼はキャスターを務めている。

 時刻はテッペンに近づきつつある。

 見るともなく彼の仕事ぶりを見ながら、ちびちびと缶チューハイを飲む。

 今、ゆうくんは何してんのやろ。

 サプライズプロポーズは成功し、ゆうくんと義妹ちゃんは仲直りした。だから、いちゃついたりしているのかもしれない。

 その様を想像し、しかし眉をひそめるでもなく、心は不思議と凪のように穏やかだった。

 缶を傾ける。

 ふと思った。もうええかな。もうがんばらなくてもええんやないか、と。

 あたしは生きることに疲れていた。すべてを投げ出したい気分に堕ちかけていた。

 あたしが死んだらどうなるのだろう、と考えてみる。

 ドールズの利益は一時的には減るかもしれないけれど、奈瑞菜ちゃんもまだ賞味期限は先だし、きっと持ち直すだろう。

 ファンはどうかな。泣いてくれるのかな。泣いてくれるかもな。

 でも、それも一過性の表面的なものだろう。アイドルに対する情などその程度のものだ。ただのコンテンツなのだから、すぐに新しい玩具に気持ちを向けて、あたしのことは忘れるだろう。せいぜい、たまに、ああそういえばそんなアイドルいたな、と思い出す一瞬があるだけだ。

 ゆうくんはどう思うやろ……?

 よくわからないメンヘラ女が勝手に死んだな、という程度だろうか。

 事務所買収計画が中途半端に終わって腹を立てる? 面倒な女から解放されてハッピー?

 ゆうくんの胸の裡は読み切れないけれど、少しは悲しんでくれたらいいな、と思う。できれば、抱いておけばよかった、と後悔もしてほしい。

 思いついたことがあった。

 遺産を全部、ゆうくんに遺贈する旨の遺言を残したらおもしろいかもしれない。きっと義妹ちゃんの疑いが再燃するだろう。あなたに無理やり堕胎させれられた子の下へ一足先に行きます、とか何とか思わせぶりなメッセージでも添えれば修羅場確定だ。彼の人生にどえらい爪痕を残せる。最高だ。


「……アホくさ」


 缶を呷って空にした。

 手持ち無沙汰になった手が、携帯電話に伸びた。

 開いてみてもゆうくんからのメールはない。

 プライベートでしているSNSを覗く。ブログにコメントがあったが、中身のあるものではなかった。ダイレクトメッセージも来ていた。SNS内の友達の〈ドライフラワー〉からだった。開くと、


『こんばんは。

 もしよかったらオフ会しませんか?

 突然ごめんなさい。牛タンバーガーさんともっと仲良くなれたらな、と思ってお誘いしました。牛タンかハンバーガーを食べながらお話しましょう(笑)』


 少し驚いた。ドライフラワーはネットの世界からリアルに踏み出そうとするタイプには思えなかったが、違ったみたいだ。


「オフ会か……」


 会うのは……どうだろう?

 相手はたぶん女性だ。性格はおとなしめ。〈牛タンバーガー〉とかいう仙台くらいでしか見なそうなメニューの正体がOverdollsの十六夜希だと知っても、大騒ぎはしないと思う。待ち合わせで物陰から相手を確認してから最終判断を下せば危険も少ない。

 でも、会うメリットはあるだろうか?

 リアルの友達にはなれるかもしれない。けど、ドライフラワーは彼氏優先だろう。メンヘラの依存には付き合ってくれないに決まっている。だから彼女と会っても旨みは薄い。

 それに、今はゆうくんのことで頭がぐちゃぐちゃしていて友達どうこうという気分でもない。

 ……断ろう。

 返信を打ちはじめて──ふと思いついて手を止めた。

 もしもドライフラワーが悪い人間、例えば女を誘い出して仲間と輪姦するのが目的の男だったら、という希望が脳裏をかすめたのだ。

 きっとあたしはほかの子よりも悲惨な目に遭う。トップアイドルをレイプするのは、強い征服感が得られ、その種の人間にはたまらないだろう。我を忘れて獣欲の限りを尽くしてくる姿が容易に想像できる。撮影だってされるかもしれない。そうしたらアイドルとしても女としても終わり。死ぬしかなくなる。


「……へへっ」


 あたしは笑った。それから、返信の文面を書き換えた。


『いいよ!

わたしもドライフラワーといつか会いたいと思ってたのよ!

お洒落でおいしいハンバーガーショップがあるから、そこに行こ?

隠れ家カフェみたいな雰囲気の店で、きっとドライフラワーも気に入るから』


 迷わず送信ボタンを押した。それなのに、

 

 ──でも、希のそれは自傷行為だろ?

 ──ごめんな、希が大切だからそれはできない。


 ふと、あの夜のゆうくんの声が耳に蘇り、罪悪感が胸を締めつけた。

 少しして返信が来て、週末の昼下がりに会うことが決まった。







 待ち合わせ場所はそのハンバーガーショップの最寄りの駅の東口。

 先に物陰からドライフラワーの顔を確認するなどという保険は掛けず、あたしは囮捜査の囮役よろしく堂々と通りの脇に立っていた。

 ドライフラワーには、『マスクと明るめブラウンのキャップの女』と伝えてある。オフ会の約束に嘘がなければ、じきに現れるだろう。

 腕時計に目を落とせば、午後一時二十分を回ったところだった。

 そろそろやな、と顔を上げたところが、


「あなたが牛タンバーガーさんですか?」


 目の前に見覚えのある黒髪ロングの美少女がいて、あたしの目を見て尋ねてきた。

 あたしは目を丸くした。


「え、あんたがドライフラワー?」


「そうです。はじめまして、でいいんでしょうか」


「どんな運命やねん……」あたしは呆然とつぶやいた。


「本当に関西弁なんですね」


 とほほえんだドライフラワーは、義妹ちゃんだった。

 あたしの胸に惨めな気持ちが溢れ出した。

 義妹ちゃんはあまりにもきれいな人間だった。あたしのような汚い人間にとっては、彼女は毒だ。まっとうな人間特有の濁りのないその透明な瞳が、あたしにはつらい。嫌いだ。目を合わせたくない。

 瞬間的に、ゆうくんと義妹ちゃんが並んだところを想像してしまった。二人ともいかにもエリートらしい風体をしているから、お似合いだ。

 この子の近くにいたくない、と思った。本能が悲鳴を上げている。

 だからあたしは、


「ごめん、やっぱ今日のオフ会はなしにして」


 そう言って逃げ去ろうとした。

 彼女から逃げて、劣等感から逃げて、世界からも逃げてしまおう。どうせあたしにはハッピーエンドは訪れない。なら、もういい。

 しかし、


「待って!」


 義妹ちゃんに手を取られ、引き止められた。

 自分の男に未練タラタラの女に何の用があるというの? ないやろ。もうほっといてや……。

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